昭和42,3年頃、新宿と錦糸町のフリー雀荘に、ちと通っていた。新宿と錦糸町なんて、右と左に泣き別れの場所。両方にいっぺんに通っていたのではない。最初、新宿の某店に通っていて、後から錦糸町に通うようになった。
別に新宿でイカサマがバレ、出禁になって錦糸町に流れていったわけではない。(笑) たまたま人に連れられて錦糸町の店に行ったら、そっちがなんとなく気に入ったので、そのまま河岸が変わっただけ。
フリー雀荘と云っても、当時はまだ普通のリーチ麻雀の店はなかった。新宿の店も錦糸町の店もブースタイルのスポーツ麻雀で、たしか4千点持ちだった記憶。4千点持ちだから、リーチのみのアガリは千三百点ではなく、リーチドンの7百点。
新宿の店へ顔を出していた期間は半年くらい。錦糸町の店に通った期間のほうが長かった。しかし今日の話は、新宿の店でのエピソード。
半年も通っていれば、メンバーとも多少は親しくなる。そんな頃、たまたまその店の給料日に出くわした。そして或るメンバーが貰ったばかりの給料袋を持って、σ(-_-)のとこへ来た。
別にσ(-_-)に給与明細の説明にきたわけではない。給料袋をブラ下げて、ぶらぶらと店の隅に来たら、そこにちょうどσ(-_-)がいたというだけの話。そしてσ(-_-)の目の前で封を切り、袋をひっくり返すと百円玉が1枚コロコロと出てきた....(゚0゚)
「何、それ?」と聞くと、「今月分の給料....」
要は経費やら負け分やらを精算したら、これだけしか残らなかったという話だった。掛ける言葉もなくしていると、「金が残っただけいい方。ひどいときには足がでる....」
思わず「そんなんで、よく働いているねえ」と言うと、「飯だけは食わしてくれるので、取り敢えず食うには困らん」だって...
先日、麻雀雑誌でフリー雀荘のメンバー募集の広告を見た。得点計算のできる人というのが条件であったが、なんと給料37万円だという。この不景気の時代に好きなゲームをやりまくって37万とは、なんだかウラやましいような話。しかし聞きかじりの話によれば、現実はそんな甘いものではないらしい。
それによれば、まずメンバーもゲーム代を徴収される。さっぴかれるゲーム代がどれくらいかは個人差があるが、いずれにしても結構な金額になってしまうとか。
またゲームの勝ち負けは自分持ち。そこでゲームで頑張れば、ゲーム代もカバーできる。あるいはさらに収入を増やすことができる。しかしメンバーともなれば、立場上、しゃかりきに勝ちにゆくわけにも行かない。
ヘタなアガリをすれば、「メンバーのくせに....」などと文句もでる。たまたま節度あるアガリ(?)でプラスしていても、新規のお客さんが入店すれば、「お客さん、東の3局、1万点プラスです」と席を明け渡さなければならない。
負けていれば、「お客さん、東の3局、1万点マイナスです」と云っても、大抵のお客は、「次に入るよ」と云うだろう。そこでメンバーが月の収支で勝ち越すことはかなり難しい。
なるへそ、云われてみればごもっとも。となるとメンバーの世界は、今でも百円玉コロコロの世界なのかいな....
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