Mājan talk 雀話

    (175)点ピンは永遠の...


近代麻雀の今月号(10・15日号)

     

 中に「でかぴん麻雀入門(西原理恵子&山崎一夫)」というページがある。そのページの今月号のタイトルが「点ピンは永遠の適正レート」。

  

 点5でドキドキハラハラするσ(-_-)には とても点ピンが適正レートとは思えないが(^-^;、とりあえず読み始めた。すると冒頭に こんなことが書いてあった。

  
 サラリーマンの麻雀レートは昔から点ピンが一般的って、この“”って いつころの話なんだろ....いまから50年前といえば、1960年(昭和36年)くらい。当時は大卒の初任給が2,3万円くらいの頃(と思うんだが....)。まさか月給 数万円のサラリーマンの間で、点ピンが一般的だったとは思えない。それと「当時は点5などの低レートは存在しなかった」という話にも、ちと首をかしげた。
 σ(-_-)が本格的に麻雀をやりだしたのは1964年(昭和40年)くらい。そのころフリーモードの雀荘馴染み客が自然にフリー客状態になって、4人揃ったら打ち始める雀荘などでは、点3が主流だった(という記憶)。ちょっとレートが高い店でも点5だった。

 σ(-_-)も昭和44年くらいになると、何度か点ピンで打った。しかしそれは恰好つけたときだけ。σ(-_-)がピンでもよく打つようになったのは、社会に出て10年ほど経って(昭和50年代) 多少 金回りがよくなってから。とはいえ点5を打たなくなったわけではない。云うなら点5と点ピンは半々くらい。同世代のプレーヤーは、いずれも似たような状況だったのではないか。
 そこで点ピンというレートがたとえ50年くらい前からあったとしても、サラリーマン一般的レートとしての選択肢の一つになったのは ずっと後の時代になってから。また点5は、そのころでも ピンより一般的にプレーされていたと思うしだい。
 もちろん人によって麻雀環境は異なる。またσ(-_-)のような友達麻雀ではなく、鉄火場的な場所では点5などという低レートは存在しなかったかも知れない。だとしても、「その当時(1960年(昭和36年)は点5などの低レートは存在しなかった」というのは言い過ぎのような....

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