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    (381)名古屋 たこ焼きのルーツ


  ウイキp によると、どうやら大阪で初めてたこ焼きが販売されたのは1933年(昭和8年)で、場所は大阪だったらしい。それから ぼつぼつ広まって、「1955年(s30)には大阪市内で5000軒はあるという説が出るほど一般化した」という。

 現在たこ焼き店はナゴヤにもたくさんある。しかしナゴヤで初めてたこ焼き店が開店したのはいつ頃なのか、それは どこの場所だったのか、さらに店主は どんな人だったか、今となっては それを知っているのはσ(-_-)だけ(たぶん(^-^;)。そんなルーツを、浅見 了が いま解き明かす( ̄^ ̄)

 ナゴヤに広小路(ひろこうじ)という通りがある。江戸時代からのメインストリートで、東京で云えば銀座通りというところ。今では法律で禁止されたので屋台は影も形もない。しかしこの広小路、1975(s50)年頃までは名古屋駅から新栄(しんさかえ)あたりまで、道の両サイドに飲食店の屋台がびっしり並んでいた。

 名古屋の市域も広がって、どこからどこまでを広小路通りと呼ぶのはムズカシイ。しかし当時の飲食屋台街としては、中村区の名古屋駅から中区新栄あたりまで。そんな屋台街の中心的な場所は、デパートの丸栄オリエンタル中村(現在の三越)、あるいは本の丸善があるあたり(現在の行政区分で云うと 飲食街として有名な錦3丁目。そこで屋台街としても、そのあたりが中心地。

 その中心的場所のさらに中心に、朝日神社という神社がある。当時 σ(-_-)はとくに朝日神社あたりを夜な夜な徘徊していた(^-^; 当然 そのあたりの屋台街のことは、自然に詳しくなる。

 余談であるが、麻雀牌を売っている屋台もあった。2段式のガラスのケースに、10セットほど並べて打っていた。当時はまだ麻雀をしなかったので、何かのゲームの道具と思っただけ。しかし値段は当時としてはかなり高額の、1セット 数千円だったような記憶。ひょっとしたら、象牙もあったのかも知れない。麻雀を知っていたとしても、とても手が出るような値段ではない。でもなんとなくカラフルな道具だったので、かなり興味を覚えた。

 1960(s35)年前後のある日、その朝日神社の前で見慣れない屋台を見つけた。それが名古屋で最初のたこ焼き店だった。覗いてみると、40代か50歳前後の男性がなにやら鉄板で お好み焼きの団子バージョンのような物を焼いている。ふ~んと思って買ってみると、これがすこぶるオイシイ。それから、よく通うようになった。

 通ってるうちに店主と話もするようになる。聞くともなしに聞くと、「前は大阪でやっていたが、夫婦で名古屋に移動した」ということだった。とはいえ 今になって まさかインタ-ネットでこんな記事を書くことになるとは思わなかったので、名前など まったく聞かずじまい...いやはや、残念至極....(ノд`) しかし いずれにしても、それが名古屋最初のたこ焼き店であることはたしか。もちろん広小路の店より以前に、周辺の区などでオープンした店があった可能性もある。しかし戦後 間もない当時の状況から、わざわざ周辺の区域で そんな店がオープンしたとは考えにくい。

 そのたこ焼き屋台の道の反対側に丸善ビルがあった(今は無い)。丸善は洋書や新本を販売する会社で、σ(-_-)もよく通った。その正面入り口で、1人の男性がほぼ毎日、腕時計を立ち売りしていた。いまどき 立ち売りと云っても分からないと思うが、戦争が終わってまだ15年ほど。腕時計となれば高級品。簡単に手に入るものでもなかった。そこで当時、中古の腕時計などを繁華街で立ち売りする人がいた。そして新本や洋書を扱う丸善ともなれば、そこへ来る客筋も それなりにいい。そこで腕時計屋さんも、丸善前で立ち売りしていたのだと思われ。

 σ(-_-)が毎日のようにたこ焼き屋に顔を出していると、その腕時計の立ち売り男性をよく見かけるようになった。単純に(この人もたこ焼きを買いに来た)と思っていたが、たこ焼きは買わないで じっと見ているだけ。

 そのうち その時計屋さんが、美人座の横にたこ焼きの屋台を出した。これが名古屋で二つめのたこ焼き店。元祖のやり方を見て覚えたので、作り方は同じ。しかし鉄板のたこ壺が小振りなので、出来たたこ焼きも小振り。大きさもさることながら、味付けもσ(-_-)には元祖の方が良いと思った。※美人座は、当時 錦三地区にあったもっとも大きなキャバレー。「なにが美人座だ」という話をよく聞いていたので、そのうち確認しに行こうと思ってるうちに、無くなってしまった(笑)

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