ワケがあって、清朝 第5代の雍正帝(1722年 - 1735年)のことを調べていた。するとウイキp に、こんな記事があった。
○雍正帝の文字の獄(以下、要点のみ)
父 康熙帝が行った文人弾圧を雍正帝も強く行なった。1726年(雍正4年)、江西省で行われた科挙の初期試験「郷試」において、内閣学士で礼部侍郎(文部次官に相当)の査嗣庭という試験官が、『詩経』の一節である「維民所止」という部分を出題した。
しかし維の上に亠、止の上に  ̄ をつけると雍正になる。これは「雍正帝の頭を切り落とす]という意味。さらに雍正の二文字を民所で分断しているのは「雍正帝の胴を二つに裂いている意味」とされた。そこで査嗣庭は投獄されて病死、死体は晒し者とされた。さらに彼の息子も死刑、一族も投獄されたり 流罪に処された。
これを読んで誰でも思い出すのが、京都の方広寺にある「国家安康・君臣豊楽」と刻まれた梵鐘。これを徳川が「国と安で家康を分断し、豊臣を君主とする”という意味だ」という難癖をつけ、豊臣攻撃のきっかけとした(大阪 冬の陣)。
ホントに権力者ってのは、どこの世界でも同じようなことをやってるんだね....(>_<)
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