チーポン01・食い換え


 食い換えに関してですが、一般に禁止みたいなところがありますが、ルールブック等で見かけたことはありません。ルール上明確に禁止されているのでしょうか?

 また、通常はチーの場合についてしか話題にならないのですが、ポンの場合もやはり禁止なのでしょうか?

  中国麻雀ではすべて自由です(現在でも)。日本でも同様でした。しかし戦後、日本の一般麻雀においては一萬をチーして四萬を切るのは釈然としない」理由で禁止されるようになり、一般麻雀ではこのルールがかなり普及しています。

*競技麻雀では、禁止されていません(四萬をチーして四萬を切るのもOK)。

 また食い換えを禁止しているルールでは、ポンも「チーがダメならポンもダメさ」という感覚で、發ポンの發切りも禁止されています。

*ツモを飛ばして海底を回さないようにしたり、結構使えるんですけど....(-_-)

 食い換えを認めなというのは「一萬をチーして四萬を切るのは釈然としない」というような理由だけなのでしょうか。

 一言で云ってしまえばそういう事と思います。
 打牌の基本は、「一切の制約はない」というものです。つまり何をツモって、あるいは何をチーポンしようと、捨て牌とは何の関係もない、と言うものです。

 そこでフリーハンドの麻雀では、チャンタやサンシキというような役狙いだけではなく、ツモ順をズラして海底を回さないため、一萬をチーして四萬を切るとか、同じ一萬を切るとか、さらには立直者のツモを飛ばすため、中をポンして中を切るなどのテクニックが駆使されます(これをポン切り称しています)。

 また次のような手の時、上家がドラの五索でも切れば、これをチーして二索が切られたりします。
 六索六索六萬七萬三筒四筒五筒二索三索四索  ポン三萬三萬三萬

  こうして海底ツモが消える、あるいは立直者の最後のツモが飛ぶ。さらには「5800の手が12000に化ける」という状況の中から、「釈然としない」という感情が頭をもたげ、食い換え禁止ルールが生まれてきたと思われます。

  このような例は、「『先付け』といいながら、後で役をつけるとは...」という勘違いの感情から誕生した完全先付けというルールと同じですね。

 ただ発生がそういう感覚性によるものであっても、それなりに支持を受けたルールは残存してゆきます。すなわちそのルールが良い悪いとかいうことと、普及するしないという事とは別問題です。

 食い換え禁止に比べて、食い換えOKというルールには、どのような優位性、正当性があるのでしょうか。

 前述したようにもともと食い換え禁止はルール的必要性があって生まれてたものではなく、単に感情性に由来するものですから、こういう比較は少し難しい面があります。

 実際、ゲーム中に食い換えが必要となる局面はそうはありません。また禁止なら禁止でそれに対応して打つだけのことです。しかし、「釈然としない」という感覚的な理由だけで、「打牌に制約はない」という基本を変えるほどの正当性もないと思います。

 喰い換えを禁止するルールの場合、鳴いた牌と同じ牌を切ると、その時点でチョンボになるのでしょうか。

 一般麻雀の場合でも、うっかりやってしまったからといって、「同じ牌を切った時点でチョンボ」というほどのルールは聞いたことがありません。まあ、その時点で「おい、そのチーは出来ないよ」とクレームがつけられ、「ゴメン、ゴメン。じゃあチーやめから」ぐらいで済んでいるのではないでしょうか。

 万が一、うっかりチーした本人はもちろん、誰も食い代えに気づかずゲームが進行してしまった場合、数巡たってから「おい、あのときのチーは食い代えだったんじゃないか」などといっても後の祭りです。たとえ「そういえば...」という話になっても、そのチーは有効としてゲームを進行することになります。

 先日仲間内で打っていてふと思ったのですが、六筒七筒八筒九筒九筒から全帯(チャンタ)狙いで打六筒とした後、九筒をチーして最終的に九筒と字牌のシャボ待ちになりました。

 このような場合(もしくは順序が逆で食い替えになった場合)、振り聴になるのでしょうか?

 九筒を切っていないのですから、九筒と字牌のシャンポンになっても振り聴になりません。もちろん九筒または字牌でロンアガリできます。

>(もしくは順序が逆で食い替えになった場合)

 これは「食い替えOKのルールの場合で」、ということですね(食い替え不可であれば九筒をチーして六筒を切ること自体できないわけですから)。この場合も食い替えのあと、九筒と字牌のシャンポンになっても振り聴になりません。