(4b)阿佐田哲也    .


 阿佐田哲也(あさだてつや)、本名・色川武大(いろかわたけひろ)。
 麻雀エンターテーメントの世界において、阿佐田哲也という存在はとてつもなく大きい。

 昭和5年、阿佐田氏を隊長として、麻雀エンターテーメントグループ、麻雀新撰組が結成された。
 現在、麻雀のプロ団体なるものは6団体ほどある。そのなかで一番老舗(しにせ)なのが日本プロ麻雀連盟。その日本プロ麻雀連盟結成時の主メンバー、小島武夫氏も麻雀新撰組出身。101連盟の創設者、古川凱章氏も麻雀新撰組出身。その意味で、今日のプロ団体のルーツは麻雀新撰組にルーツがあるといっても過言ではない。

 麻雀小説についていえば、「阿佐田の前に阿佐田なし、阿佐田の後に阿佐田なし」という状況。その業績と存在感により、世に雀聖と謳われる。

昭和4年3月28日、東京牛込に生まれる。東京市立谷小学校。東京市立三中学。
終戦の年(17歳)より運送会社、零細出版社等に籍を置いたりしながらの風来生活。
昭和28年、桃園書房入社。昭和30年退社。井上志摩夫名で短編小説を書く。

昭和36年、「黒い布」(色川武大)で中央公論新人賞。
昭和40年、週刊大衆に雀風子名で「サラリーマン麻雀実戦訓」を連載する(後に「麻雀の推理(双葉社)」として刊行され、ベストセラー)。

昭和43年9月、週刊大衆で阿佐田哲也(「朝だ、徹夜だ」に由来)の筆名で麻雀小説
「天和の職人」を発表する。

昭和44年より同誌上に連載された「麻雀放浪記」は麻雀文学史上不朽の名作となる。

以後、麻雀小説の名作を多数執筆。また「月刊・プロ麻雀」や「月刊・近代麻雀」で健筆を揮う。

昭和45年、麻雀エンターテーメントグループ「麻雀新撰組」を結成(局長に就任)、麻雀メディアにおおきな影響を及ぼす。

名前を冠した麻雀大会・阿佐田哲也杯は、若手雀士の登竜門となる。
昭和52年「怪しい来客簿」(色川武大)で第5回泉鏡花賞。
昭和53三年、「離婚」(色川武大)で直木賞(巷間では、「本来麻雀放浪記こそ、より直木賞にふさわしい」との声しきり)。
昭和56六年、「百」で川端康成文学賞。
平成元年2月、「狂人日記」(色川武大)で読売文学賞。
平成元年(1989年)3月、岩手県一関市に転居。
4月3日、心筋梗塞で瀬峰病院に入院。4月10日、同病院にて死去。享年60歳。

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