ブルー・ムーン



都電荒川線の薔薇を見に行ったときのこと。


終着駅の三ノ輪橋で、電車と薔薇を写真に撮ろうと
シャッターチャンスを待っていた。
薔薇はほぼ満開で、あたりにはカメラやビデオを構えている人もいる。
私もアングルを決めると次の電車が来るまで手持ちぶさたにしていた。

近くに三脚に立派なカメラを構えて待っている初老の男性がいた。

「写真がご趣味なんですか?」
とたずねると
「ええ、まあ…
この薔薇はブルームーンというのですよ。」

カメラはブルームーンにピントが合っていた。
話をしてみると、その方は薔薇にはあまり詳しくないらしいのだが、
ブルームーンの思い出を話してくれた。


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昔、まだブルームーンが世に出て間もない頃
フランスに旅行した知り合いがブルームーンの苗をお土産に持ってきてくれた。
海外旅行が今のように普通でなかった頃だろう。

苗を大事に植え育てると、翌年にはきれいに花を咲かせてくれた。
その色は今まで見たこともない色で咲き、香りもとてもすばらしかった。
ブルームーンは近所でも評判になり、遠くの方からもわざわざ花を見にやってきたくれた。
皆口々に「見たことのない色だ、本当に珍しい」と賞賛してくれた。

その翌年、ブルームーンが蕾を持ち、さぁ、いよいよ花が咲くぞ、と楽しみに待っているときに
朝起きてみると、薔薇が盗まれたいた。

必死に捜した。
近くの家の庭はくまなくのぞいてまわり、かなり遠くの家の庭までのぞいて歩いた。
もちろん警察にも連絡した。
随分、捜した。

しかし、薔薇はついに見つからなかった…


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「今では ブルームーンはどこでも簡単に手に入りますがね…」
そういって、その方は思い出すようにして笑った。


ブルー・ムーンが作出されたのは1964年のこと。(独、M.Tantau)
薔薇がフランスに渡り知り合いの方の手にはいるまで多少の期間があったとしても
随分昔のことである。

盗まれてしまったブルー・ムーン。

長い年月が過ぎても
その方にはきっとたったひとつのブルームーンだったのだろう。
その事を思い出しながら、今もブルームーンにピントをあわせているのだろうか…

たったひとつの薔薇を思い続ける、そんな楽しみもあるのだなぁ
そんなふうに思った。

私が三ノ輪橋から帰りの電車に乗ったときも、その方はカメラのファインダーをのぞいていた。







Blue Moon(Photo by kameさん)




それにしても…
空港での検閲もあるというのに、フランスからブルームーンの苗を持ってきてくれたという
知り合いの方は、いったいどんな人なんだろう・・・