誇り高き先住民族
 

   サハラ砂漠の人口の確かな数はわかっていません。 領土の境界が不明瞭なところが多く、統計方法が

各国、各組織で異なるためです。 推定人口は、以下のようになっています。

モロッコのサハラ砂漠地方には、1.5万人のベルベル定住民と 3万の遊牧民、

モーリタニアには、モ−ル人(アラブ系ベルベル人) のうち、50万の遊牧民と 
10万の定住民

南アルジェリアには、全人口の3分2の41万人の定住民
リビアのフェザン地方には、1万の半定住民を含む3万の定住民
チャドのティベスティ、ボルグ−、エナディ−地方には、3万5千人トゥ−ブ−族の遊牧民

スーダンとエジプトのサハラ定住民は、1.5万−3万
遊牧民とは、サハラ北部のアラブ人とサハラ南部のベルベル人をいいます。

後者のトゥアレグ族は、マリ、ニジェール、チャドの北部へと遊牧生活を送っています。
            トゥアレグ族


  
  ベルベル人とは、マグレブ (モロッコ、チュニジア、アルジェリア) やサハラ砂漠の原住民のことで、昔から

この地で生活を営んできた民族です。  「ベルベル」 という名は、7世紀に東方から進入てきたアラブ人が、

彼らを指すのに用いた野蛮人を意味する、ギリシャ語 「バルバロス」 に由来しています。 が、現在では、軽蔑

の意味はなく、彼ら自身も使っています。 ベルベル人の中でも、遊牧を行なう 最も砂漠の民らしい人々は、

トゥアレグ族です。 彼らは、主にサハラ全域と さらに南縁のサヘルに住んでいて、青いシュシュ(ターバン) と

民族衣装(ガンドゥ-ラ) を身に付けていることから、「青の民族」と呼ばれていました。 19世紀以前の彼らは、

戦闘用の駱駝に乗り、槍と皮の盾と大きな刀で武装し、隊商や他の部族のオアシスを略奪するなど、戦闘的

且つ 勇猛なことで近隣部族から恐れられてきました。  しかし、20世紀初頭に、フランスに鎮圧された後、

家畜の水や草を求め 砂漠を歩きまわる遊牧民となりました。

  1961年から1973年にかけてのアフリカ北部の大干ばつに、家を奪われ、段々と農耕民として定住化する

傾向にあるという。 現在、彼らは40万の人口持ち、サハラよりむしろスーダンやニジェールに多く住んでいます。  

アルジェリアのホガール台地、タッシリナジェ−ル、ニジェールのアイール地方のトゥアレグ族は、部族の首長たち

によって選ばれた「アメノカル」 と呼ばれる全集団の長を持っていました。 各種族は「イマシュク」と呼ばれる貴族、

それに従属する 「イムカド」 となり、いずれも奴隷を所有し、貴族が保証する庇護に対して「イムカド」は、貴族の

家畜、羊、山羊、駱駝の群れの管理をしました。 原則的には、父権的な統治の組織、女性は完全な自由を享受し

ていました。 女性は、公的生活に 老いても、その地位を持っていて、結婚は、常に一夫一婦制で、女性は夫を選

ぶ権利を持っていましたが、同じカーストの男女、または、高いカーストの男と低いカーストの女との間のみに許され

ました。  この制度 「カーストハイガミ−」 は、上のカーストに下のカーストの黒人の血が 入ることを防ぎ、上級

カーストの純血さを保つ役割を果たしていました。 トゥアレグ族の社会は、いくつかのカーストに分化している点で、

他のベルベル族と異なっています。


            トゥブ−族


  


   僅かな人口を持つトゥブ−族は、フェザンからチャド湖にかけて、アイ−ルと その周辺の平原を占めています。 

いくつか地点で、山の標高は、3000メートを超え、砂漠の環境も加わって、気温の著しい開きをもたらしています。 

冬は極めて厳しく、最も風当たりの少ない谷でさえも、細々とした農耕しか営むことしかできません。  

飢饉はいわば風土病であり、住民は生存を続けていくためには、いくつかの農地を

異なった場所にもっていなければなりません。 

  トゥブー族の隊商は、リビアのオアシスからチャド湖の近辺に向かいます。 

南部の小さな系列の部族、ダザ族は、スーダン地方の黒人と混血し、定住化して 

牛の牧畜を行なっています。 トゥアレグ族の先祖代々の敵であるトゥブ−族は、

強力な種族であり、16世紀にカネムに軍事的な遠征を行いました。彼らの公的宗教は

イスラム教です。


                モ−ル人


  

   西部は、モ−ル人 (ム-ア人) が占めている。 モーリタニア、セネガル、スーダンなどにおいて、彼らは45万人の

人口を持ち、多数の対立する部族に分かれています。 サヘルでは、牧畜を行なう牧畜民が、彼らの牛を冬は北へ、

乾期には、南へ追って行きます。  北部には、ゼネガ.ベルベル人に由来する駱駝の大遊牧民が生活しています。

中世末、アラブのハッサンは、彼らからベールを取り去りましたが、ベルベル族のすべての伝統 例えば、女性の大きな

自由が消滅したわけではありませんでした。

モール人は、南モロッコとも交渉を持っていて、イジルの岩塩産出地帯へ通じる隊商は、なお多く利用されている。 

しかし、モール人のイスラム文化は、アルモラビド(11世紀、イスラム教の修道士) の時代以来、凍結したままです。

   


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