サハラ砂漠とは どんなところ ?
  サハラ砂漠とは アラビア語で砂漠、または何もない土地という意味である。そして アフリカ大陸の

北と南を分断する世界最大の砂漠である。 砂漠は 海のようになだらかに広がるだけでなく、険しい

岩山や谷を擁し 起伏のある景観を造り上げいる。 この砂漠が嘗て森林で覆われていたとは信じがたい。

  サハラ砂漠は モロッコ、チュニジア、アルジェリア、西サハラ、モーリタニア、リビア、エジプト、スーダン、

ニジェール、マリ、チャドにまたがっており、その面積は 約9百万平方キロメートルで 地球の陸地の

約16分の1を占め アフリカ大陸の3分1である。 

  
  年間降雨量は 100ミリ以下と少なく 夏の日中気温は摂氏50度以上、冬でも摂氏25度くらいであるが

夜は寒く 夏で摂氏0度、一月が最も寒く、タッシリやホガ−ル群山では 零下10度にもなる。

サハラ砂漠は 5代群山 −イフォラスのアドラ−ル群山、ホガール群山 (3003m)、エ−ル群山、ティベスティ

群山(3415m)、そしてエネディ−群山− を配した広大な盆地である。

最大の砂丘は アルジェリアのテネズルフト、ニジェールのテネレ、エジプトとリビアの国境のリビア砂漠にあり、

全サハラ砂漠の10分の1にすぎない。 残りの地域は、石ころだらけの土漠であり オアシス以外 緑は見ら

れない。

  アルジェリアやチュニジアに見られる塩湖は 海水とは関係なく 砂の下が 岩盤のため 雨水が1箇所に

溜まり そこへ周り砂の成分が流れ込み これが乾燥して蒸発して その土中の塩分が 噴き出して結晶と

なったものである。 結晶ができるまでには 4−5千年かかる。 塩湖のことは 一般 にショット、水がなくなり 

塩が浮いた平原のことをセブハと呼ぶ。 アトラス山脈の降雨量が比較的多いため サハラ北部には ショット

が多く 南へ下がるほどセブハが多くなる。

  
  サハラの地殻構造は プレートテクトニクス運動の結果出来上がったものである。 プレートテクトニクスとは、

地球の表面が数十枚の薄く硬いプレートでできており、マントルの対流運動によって、地殻変動が引き起こさ

れるというものである。 この運動によって圧縮されて 断層ができたり、大陸性の山脈や内海、火山が形成

された。 古生代の終わりから アフリカ、ヨーロッパ、アメリカのプレートが衝突し、中央台地やザエールのよ

うな花崗岩山塊が現わた。  アルジェリアの南端、サハラ砂漠の中央に位置するアハガル山地は、約2百年

前に 火山が造り出したものである。  爆発により、吹き上げられた火山灰や岩くずが、玄武岩の火山錘を

造り、これが凝固したものである。 そして、噴火時に、流れ出した溶岩は、谷を埋め、平地を造る。 更に、

数世紀にわたる風化によって 崩された高地の岩石が、大量の流水により 散乱し 礫の平原を造っていった。 

と同時に 水と風の浸食でできた細かな砂は、風で運ばれ、砂の海、砂丘へと移行していった

 
  2万年前−1万年前の完新世に入って サワラ上空の亜熱帯高気圧の勢力の消長によって、何度も湿潤

期と乾燥期が繰り返された。 今から 1万8千年前には、最後の乾燥期がピークを迎えた。 しかし、一万2千

年ごろから 気候は徐々に湿潤化して、森林が拡大する。 8千年の大湿潤期には、セネガル南部を流れるカサ

゙マンス川あたりまで、森林が広がり、森林面積は現在のほぼ2倍となった。 サハラが、現在の3−4倍の降雨量

に恵まれて、ステップ化、サバンナ化し、「緑のサハラ」 と言われたのも、このころである。 更に、5千年前ごろ

から 再び厳しい乾燥期を迎えて、森林が後退し、サハラ砂漠が進行した。 その後も、数回の湿潤期と乾燥期

が繰り返されてきた。

  
  1950年代、イタリアとリビアの考古学者が、荒涼たる地域 タドラ−ト.アカクスに分け入り、涸れ谷の岩陰に岩壁

画を発見した。 岩が突き出し、風化を免れた砂岩の洞窟には、植物や動物、狩猟をする人々が、線画や彩色して

描かていた。  300にものぼる岩壁画を分析した結果、紀元前1万2千年から紀元前後にかかれていたことが判

明した。 野生生物の時代、 狩猟の時代、 牧畜の時代、 馬の時代、 駱駝の時代の順で移行していった。

乾燥が進んだこの地で、唯一 棲息できる動物が駱駝だった。 紀元前2百年ごろ、ペルシャからエジプトにもたら

され、繁殖したとされている。

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