匿名
不登校から学んだこと
現在、息子は小学6年生で学校生活とミニバスケットの練習の日々を元気に送っています。それでも、出かける前は緊張と不安からか腹痛を起こし、トイレにかなり時間を費やしています。その様子に心配しながらも、イライラする自分がいました。今は息子が自分に気合いを入れ、納得し登校するまで、気長に見守れるようになりました。以前は、学校が好きで熱があっても休みたくないと泣いていたのに・・・まさか、学校に行けなくなるなんて・・・と信じられませんでした。
4年生の夏休みの終わりに、ミニバスケットの試合を腹痛で休み、次の日の始業式には登校したものの何となく元気がない様子。それから、登校する時間になると泣き出すようになり、励まし半ば無理矢理、車で送っていく日々が続きました。学校では普通に過ごし、元気に帰宅していたので、行けば何とかなるのではと毎日同じ繰り返しでした。
バスケットの試合の日も、朝、集合のときまで泣いている状態で、会場に着いてからはいつものように元気にやれるので、どうにかして連れ出したほうがいいのでは、と必死でした。そういうことが1ヶ月続きました。
とうとう足が一歩も動かなくなり、学校でも保健室にいることが多く、帰りも心配をかけまいと元気なふりをしていたと聞き「しばらく休もうか」と言っていました。「でも、病院には行こうね」と約束して・・・もう、それしかないと単身赴任の主人に電話をしました。
そんな時、出会ったのが北村(きたむら)弥枝(みつえ)先生の講演会の案内「親が変われば子供が変わる」、これだ、これしかない!という思いでした。その内容は“自分のことを言われている・・・”と思うくらい、胸に響くものでした。今までの自分を反省し、子供と主人に「本当にごめんなさい。」と謝っていました。そして、本当に心から“自分を変えたい、変わりたい”と思い、教育研究会未来で心の勉強を始めました。
年が変わり、3学期の始業式には遅れながらも私と行くことができました。先生も友達もとても喜んでくださって、彼もとても嬉しそうでした。次の日は車から降りられず、友達数人が迎えに来てくれて、どうにか行くことができました。
その翌日から、また行けない日々が続き、最後のお別れ会の日に先生から「ぜひ、連れて来てください」とのことで、車に乗せ学校に向かいました。校門の外まで数人の友達が出迎えてくれて、車を見つけると、一生懸命手を振ってくれていました。彼は恥ずかしそうでしたが、私はうれしくて胸がいっぱいになりました。教室では、みんなが普通に接してくれて楽しかったようです。
主人が単身赴任なので、普段は中学生の娘と息子の3人の生活でした。息子との険悪な状態の間に入って助言してくれるのは、いつも娘でした。明るくて元気がよく、優しい子です。その娘に「うちが学校行ってる間に心中しないでよね。」とよく言われました。その時の私の顔は、疲れきっていたそうです。「なるようになるよ、母さん。」「落ち込まんでね、大丈夫だよ。」と逆に励まされ、母親失格だと痛感しました。
息子に何か原因があるはずと、追いつめたために起こった結果です。それが、私に原因があると気付いた時、ショックでしたが「私が変わってプラスのエネルギーを送ればいい。それだけのことなんだ。」と知ってから、気が楽になりました。
振り返ってみると、胎教のときからずっと、不安な気持ち、実家の両親へのマイナスの想い、何一つ良い影響がなかった・・・。優しい主人への感謝の気持ちも、うわべだけではなかったか。主人を癒す愛を出していなかったではないか。すべて私の心、想いから起きたことでした。
心の勉強をしていくうちに、息子も少しずつですが前進できるようになりました。5年生になって、最初は5〜6時間目だけ、次は3時間目からというふうになり、1年経って普通に登校できるようになりました。6年生での修学旅行では、自分から委員に立候補し、長崎での平和集会で立派に発表したそうです。
今まで私たちを支えてくれた方々へ、感謝の気持ちでいっぱいです。今回のことで、今まで知らなかったことや、気付きをくれたこと、学ばせてもらえたこと・・・息子に対して感謝しています。
体験記