小松天神睦は2004年 発会10周年を迎えました
小松天神睦10周年記念式典が ご来賓、友好神輿団体ご臨席のもと 挙行されました。 遠路遙々、出席いただいた各団体のみなさま 本当にありがとうございました。 会員各位の協力もありがとうございました。 |
|
《式次第》 ・開会のあいさつ 実行委員長 森田昭二 ・会長挨拶 小松天神睦会長 佐藤正一 ・来賓祝辞 川西町長 原田俊二様 衆議院議員 近藤洋介様 北区総代長 横山 武様 栗駒睦会長 菅原廣雄様 ・各会紹介 若頭 山口俊昭 ・乾杯 櫻睦会長 小林孝幸様 ・祝宴 ・アトラクション ・閉会のあいさつ 会長代行 佐野 元 |
小松天神睦結成10周年にあたり 私ども「小松天神睦」は、平成6年の天満神社の神輿改修に際し、一部有志が、この機会をとらえ 地元での盛り上がりにつきましては、天満神社の祭礼を北区のエリアに留まらない祭りにするため、 さて、当時私どもは祭事委員会から担ぐ許可は得たものの、神輿に関しては全くの素人でありました。 また、栗駒睦のご指導のもと岩手県一関市での神輿の祭典等各地の神輿場への遠征に臨みましたが、 最初の数年、私どもは神輿場に大変飢えておりました。近くに魅力的な神輿場があると知るや、次々 さて、私ども「小松天神睦」の10年を振り返りましたが、10年にして、祭渡御、神輿遠征、会の運営 小松天神睦会長 佐藤正一 |
「神輿があがるまで物語」 「小松天満神社」の神輿は明治25年に建造されたもので、当時は祭礼が春秋の年2回開催され、様々な催物と多くの参拝者で賑わっていたと伝えられております。しかし、昭和2年に諏訪神社の末社となり、その後、社殿の焼失、戦中戦後の人手不足等から祭礼の開催も年1回となり神輿は昭和23年の渡御を最後に諏訪神社の神輿倉に長く仕舞われたままとなっておりました。昭和40年代からは、子供樽神輿が町内を練り歩くなどしておりました。 |
その間、天満神社一帯の調査が行われ、その結果、「天神森」は東北最大級の前方後方墳であることが判明し、県の文化財指定を受けることになりました。また、平成5年からはこの天神森を核とする形に設計された「フレンドリープラザ」の建設が始まりました。 平成6年春、神社一帯の環境が大きく変貌を遂げている時機を捉え、地元有志が戦前の祭の賑わいを復興すべく音頭をとり、神輿修復実行委員会が組織され、地元有志に浄財を募り大改修が行われました。 平成6年7月20日の祭礼では、修復が完成した神輿が長い時を超えて、牛車に牽かれての渡御がなされました。沿道には神社参拝がままならないご老人たちが、神輿に両手を合わせる姿が多く見受けられ、神輿修復による祭復興の効果を強く感じ取ることができました。 |
|
さて、神輿会の話はここからはじまります。 神輿は見事に修復され、祭もその賑わいを復興することができましたが、実行委員会メンバーの一部は何か物足りなさを感じておりました。そして、「神輿を担ぎたい!担ごう!」これが担ぎ手も担ぎ方も道具も何もないままに出した結論でした。「捨てる神あれば拾う神あり」天満神社に奉る二神アマツカミスクナノミコトと菅原道真はまさに拾う神でありました。程なく町内にいた神輿経験者をツテに、所属していた宮城県の神輿会「栗駒睦」に教えを請うべくお願いしたまでは良かったのですが、何を聞きたいのかさえ整理されていない状況では門前払いが当然の結果でありました。 |
諦めきれないメンバーは、教えを請うために再び夜な夜な頭を突き合わせて作戦を練り始めました、大きな壁がいくつも立ちはだかりました。壁の1つ目は、来年の祭まで担ぐ場がないことでした。対策として近くに迫っていた川西町民パレードに参加させてもらうことにしました。交渉を重ね何とか了解を得て、担ぐ場が確保できたのであります。壁 |
4つ目の壁は、半纏や担ぎ棒などの道具や資金がないことでした。これも対策など何 もなくあらゆる頑張りで乗り切ることにしました。半纏は祭事委員会へお願いし、担ぎ棒は会員の材木店に安価融通をお願いし、その他は設立予定の会の会費を充てにすることとした。会費充当に至っては保証の限りではありませんでした。そして最後の大きな壁は 神輿の知識が何も無いことでした。対策として、まずは数名が「栗駒山車祭」と「一関市神輿の祭典」に参加して神輿を担ぎ、その体験報告を皆で聞くこととしました。参加者の報告からは興奮と感動がよく伝わり、この時ばかりは不安感より期待感が勝る感じでありました。これらの壁への対応は、全て同時進行で行われておりましたが、その一方で、済まし顔をして全て準備万端との説明で再び栗駒睦に教えを願ったのであります。 |
8月上旬、遂に神輿の先生が5人遙々栗駒町からやって参りました。栗駒町と川西町とは車で3時間はかかる距離にあります。参加者は北区公民館の2階で正座をしながら、ほぼ丸投げで教えを請いました。栗駒睦の佐々木会長代行は「言葉使い悪いけど ご免よ」と一言の後、優しい言葉で丁寧に指導者の紹介、神輿の歴史、服装、基本的なステップ等の説明がなされ、その後、屋外でステップの実技指導を受けていると、あっという間に時が過ぎてしまいました。この時点で会員数は僅かに25名だったため、佐々木代行から「あんだら神輿やめた方がいい」の一言。会員増強を確約し、再度の指導を懇願し、やっと了解を得て、帰り際にいくつかの宿題を貰い、再度、来町指導を受けることができることとなりました。 |
|
いよいよ、町民パレード当日。北区公民館には真新しい半纏、股引などを身につけた神輿会員予定者52名全員及び栗駒から20名近いの応援を得て、総勢80余名によるお神輿は沿道に「花笠音頭」の歌が鳴り響く中、夏の夜空に向かって担ぎあげられました。 喉をカラカラに渇かし、早くなるテンポを何度も修正されながらも、終点の小松小学校グランドに到着し、三本で神輿を収めましたが、そのときの感動は、神輿会の原点となっております。 9月の寒河江「神輿の祭典」を含めて、栗駒睦の皆さまには、短期間に合計5度もご指導を頂き、この温情に対する感謝の念は今でも変わっておりません。 その後、大急ぎで正式に神輿会を発会致しましたが、役員の多くは担ぎ神輿の実現に向けて中心的役割を担ったメンバーが就くこととなりました。 |
規約第1条には「天満神社の神輿を担ぐ事で自ら楽しむ事を第一義とし会員相互の親睦を図ることを趣旨とする。」と謳っておりますが、その後は活動範囲を広げ、天満神社に限らず、神輿のメッカであります三社祭をはじめ多くの神輿場に活動の場を広げ、神輿を楽しみ、会員相互及び多くの神輿会との親睦を図ってまいりました。 当初、会の名称は「小松天神神輿会」でしたが「栗駒睦」及びその親会であります 「櫻睦」に倣うと共に、親睦の趣旨を強めるために「小松天神睦」と改め今日に至っております。私ども「小松天神睦」は、復興した小松天満神社の祭礼を神輿の担ぎ渡御により一層盛り上げていくと共に、神輿を担ぐことにより地域を興し、交流の輪を広げていきたいと考えております。 地元の皆様並びにお付き合い頂いております多くの神輿会の皆様には、「小松天神睦」及び本会会員に対しまして、益々のご厚情を賜ります様、よろしくお願い申し上げます。 |