EF58
EF59
EF57
ED16
ED14
ED11
1946年から製造されたEF58のうち、1951年に32、33、34号機の3両を
歯車比変更等の工事を行い、貨物用として誕生しました。
晩年は3両とも浜松機関区に属し、東海道の小運転貨物や入換えを行っていましたが
、最後までEF58に戻されることなく1979年7月の33号機の引退を最後に姿を消してしまいました。
EF18
6次型と呼ばれる1941年製34-41号機
5次型と呼ばれる1940年製26−33号機
4次型と呼ばれる1939年製25号機
3次型と呼ばれる1938年製20-24号機
2次型と呼ばれる1937年製17−19号機
1次型と呼ばれる1934年製1-16号機
1934年(昭和9年)から1941年(昭和16年)にかけて41輌が製造されました。
EF10

アメリカ、WH製。昭和3年(1928年)の称号改正で6110 (6010〜6015)を改番して
ED53となる。ED53の歯数比を変更し貨物用としたものです。

イギリスのEE社製。ED17・旧ED18に遊輪付きの
台車を新製し履き替えたものです。
ED19
ED18
EF15
1940年(昭和15年)から1943年にかけて全部で15両製造EF571はEF568〜
EF5612と外形は同じだが、機関車出力が1350kwから1600kwになった。
1923(T12)年に2両が輸入された、米GeneralElectric社製の電気機関車。
輸入当時は1010形を名乗ったが 1928(S3)年にED11形の改称された。
1960(s35)より国鉄浜松工場で入れ換え機関車として働いていたが
S54にED182にゆずる。
ED14形は、国鉄(JR)が東海道線電化開業時に輸入された大正15年(1926)米国ゼネラル・エレクトリック社製の60t箱型デッキ付電気機関車で、当初は1060形と呼ばれた。
 東海道線を追われてからは中央線、飯田線、仙山線で主に貨物車両けん引に従事していた。
 国鉄では昭和36年〜40年に全機廃車されたが、当社ではセメント原石輸送の開始(昭和35年11月10日)により、強力な電気機関車増備の必要に迫られていたことから、昭和37年(1962)4月25日認可により、まずED142・143の2両を譲り受け、さらに昭和40年(1965)12月23日届けでED141、昭和41年(1966)10月31日届けでED144の払い下げを受け、再び4両の仲間が全員揃って東海道線を並走する近江鉄道に集結した。
ED31
ED31形は、大正12年(1923)芝浦製作所・石川島造船所製の40t凸型機で、元伊那電気鉄道(JR飯田線)デキ1〜5で、同社が国鉄に買収されて昭和27年(1952)にED31形と改称された国産初期の古典機である。
 国鉄では昭和30年(1955)から廃車され始め、昭和30年9月23日(昭和30年8月17日認可)にED313が、昭和30年12月1日(昭和30年10月24日認可)にED315が、昭和32年2月21日(昭和31年12月21日認可)にED314の順に払い下げを受け、本線の主力機として使用を開始した。
 ED311・ED312は昭和30年に西武鉄道に譲渡後、近江鉄道へは昭和35年(1960)8月8日認可を得て再譲渡同年8月15日入線した。
この2両は入線時に西武鉄道bP・2を旧国鉄番号に戻しED311・312と改番した。
 ED313・314は、武佐・近江八幡間の東洋カーボンの貨物列車として昭和61年(1986)7月31日まで、新八日市・近江八幡間の一般貨物列車として昭和61年10月30日まで活躍していた。
 その後、工事列車用として使用されている。

昭和6年に誕生した国産の中型直流電気機関車で、国産初のF型機EF52を基本として18両が製作された。主電動機や出力はEF52と同じであった。

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EF13

1944年10月から終戦までに7両が製造され、1947年4月までに24両が製造され。
原型は車体が凸型で鋼材や銅を節約して製造された。高速度遮断機の代わりに断流機
を採用、その他部品 の省略や簡素化が計られた。このための粘着重量不足を補うため
に台枠にコンクリートを流し込んで重量を合わせた。  これを是正するために1948年度
に高速度遮断機設置を含む大改造が行われ、それ以後も1951年度 位まで改造が
行われた。  更に、1953年から1957年にかけてEF58形の旧車体を載せ替えた。
 これにより、車体が1947年度製造のEF15と似通ったものになった。
25号は側窓が1つ少ない変形機である。
EF1220 1653年10月改造 川車