モ560型 モ561〜モ565
大正末から昭和初期の間に日本車両で製造された3扉14m級
半鋼製ボギー車で瀬戸電気鉄道のホ103形、後に名鉄も560形として瀬戸線、揖斐・谷汲線で活躍した。一部は760形になる
昭和39年7月付けで561〜564が転入48年565が転入した。
ク551型 ク551
愛知電鉄の電4形日本車両で大正11年10月製造された。
ハフ11とハフ12を置き換えるため導入された。
ク80形 ク81〜ク82
名鉄傘下になってモ320と共に昭和38年5月に入線したのがク80形である。
もとは、三河鉄道が昭和11年に製造した日本車両製ガソリンカー、キ50型で 名鉄に合併した後もキ201・201と名乗って蒲郡線で運用されていた。制御車化は昭和28年にされク2290型となる。 北恵那鉄道には昭和38年5月に転籍、セミクロスシートをロングシートに交換し、昭和39年にデ8との編成化考慮しク81は中津町方に貫通扉を設置した。
デ1形 デ1〜デ3 デ5
北恵那鉄道開業時に用意された車両で、大正13年に梅鉢鉄工所で4両製造された。
製造時は、トロリーポール、ブリル製E-2ラジアル台車で2軸電動客車。昭和32年5月名古屋市交通局より発生品のブリル76E-2台車を購入し、ボギー化し昭和37年12月にポール集電からZパンタに交換した。 昭和39年に名鉄からモ560形が入線したため、3両が廃車となった。しかし、その性能が重宝されデ2のみ昭和53年の廃止時まで中津町構内で入れ替え作業をしていた。
北恵那鉄道
北恵那鉄道は、木曽川に大井ダムを建設するにあたり、それまで木曽川支流の付知川流域で筏流送していた木材の輸送ができなくなる代替として、中津川から下付知まで1924年( 大正13)全線22.1kmが開通した.。
昭和44年に貨物の取り扱いが廃止された。
そして旅客についても、昭和46年、列車本数をそれまでより半減(8往復),昭和53年9月に廃止された。
デキ251
昭和27年8月、関西電力の丸山ダム建設資材運搬用に製造された本格的な電気機関車、日立製出力300kWの凸型30t機関車
入線は昭和43年主に中央板紙中津川工場入れ換えに使われた。
駅
中津町駅 みの福岡駅 下付知駅