寺 |
西暦 |
和暦 |
出来事 |
出典 |
百
済
大
寺
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629 |
舒明1 |
舒明天皇(田村皇子)即位 |
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636 |
舒明8 |
舒明8年6月、岡本宮焼亡し田中宮へ遷る |
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639 |
舒明11 |
大宮・大寺建立の詔、出される(百済宮と百済寺) |
日本書紀 |
百済川のほとりを宮処とし、西の民は宮を造り、東の民は寺を造る。 |
〃 |
書直県をその大臣とする |
〃 |
百済川のほとりに九重塔を建てる |
〃 |
百済川のほとりに子部社を切りひらいて九重塔をたてる。百済寺と号す。 |
縁起 |
社神の怨みにより九重塔と金堂の石鴟尾を焼破 |
〃 |
640 |
舒明12 |
舒明天皇、百済宮に移る |
日本書紀 |
641 |
舒明13 |
舒明天皇、百済宮で崩御 宮の北でもがりをおこなう |
日本書紀 |
642 |
皇極1 |
百済寺を建てるために近江と越の人夫を動員 |
日本書紀 |
阿倍倉橋麻呂と穂積百足の二人を造此寺司に任命 |
縁起 |
643 |
皇極2 |
皇極、飛鳥板蓋宮に移る |
日本書紀 |
645 |
大化1 |
恵妙法師を百済寺の寺主とする |
〃 |
大化元年6月、【乙巳の変】、中大兄皇子と中臣鎌足、蘇我入鹿を宮中で謀殺する 。蘇我蝦夷は自殺。 |
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6月、皇極天皇、弟の軽皇子へ譲位。軽皇子、孝徳天皇として即位 |
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12月、孝徳天皇、難波に遷都 |
〃 |
650 |
白雉1 |
丈六・脇侍・八部など36体の繍仏を造らせる |
〃 |
651 |
白雉2 |
丈六の繍仏などが完成す |
〃 |
655 |
斉明1 |
斉明(皇極)、飛鳥板蓋宮で重祚 |
〃 |
668 |
天智7 |
丈六釈迦仏像ほかの諸像を百済大寺に安置する |
扶桑略記 |
高
市
大
寺
|
673 |
天武2 |
天武、飛鳥浄御原宮で即位 |
日本書紀 |
美濃王と紀臣訶多麻呂を造高市大寺司に任命する |
〃 |
百済の地から高市の地に寺を移す |
縁起 |
677 |
天武6 |
高市大寺を改めて、大官大寺と号す |
〃 |
682 |
天武11 |
大官大寺で140人あまりを出家させる |
日本書紀 |
685 |
天武14 |
大官大寺・川原寺・飛鳥寺で経をよませる |
〃 |
694 |
持統8 |
持統、藤原宮へ移る |
〃 |
文
武
朝
大
官
大
寺
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701 |
大宝1 |
造大安寺官と造薬師寺官を寮に準じさせる 造塔官と造丈六官を司に準じさせる |
続日本紀 |
702 |
大宝2 |
高橋朝臣笠間を造大安寺司に任命する |
〃 |
文武朝 |
文武、九重塔と金堂を建て、丈六の仏像を造らせる |
縁起 |
710 |
和銅3 |
元明、平城宮へ移る |
続日本紀 |
711 |
和銅4 |
大官大寺焼亡 |
扶桑略記 |
大
安
寺
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716 |
霊亀2 |
(大安寺を)平城京左京六条四坊へ移し建てる |
続日本紀 |
767 |
神護景雲1 |
高市郡高市里の古寺地西辺の田2町など、大和・摂津・山背の計6町の田を大安寺に献入する |
類聚三代格 |
880 |
元慶4 |
百済大寺と「高市大官寺」の旧寺地である十市郡百済川辺の田1町7段160歩と高市郡夜部村の田10町7段250歩を、大安寺の願い出によって返還する。 |
日本三代実録 |