長谷寺
(はせでら)

長谷寺本堂

Contents
1.所在地
2.宗派
3.草創・開基
4.創建時の伽藍配置
5.その後の変遷
6.特記事項
7.現在の境内
8.古寺巡訪MENU
1.所在地
   奈良県桜井市初瀬731−1 TEL0744-47-7001
2.宗派
   真言宗豊山派     本尊 十一面観音立像(重要文化財)
3.草創・開基
   長谷寺の草創期について、淡交社刊「古寺巡礼」では、次のように書かれている。
通説として長谷寺は、はじめ天武天皇(在位673-686年)の菩提を弔うために引福寺(ぐふくじ)の僧道明が石室仏像と三重塔を大和国城上郡泊瀬郷の豊山に営んだことに発し、その後、元正天皇(在位715-723年)のころ、僧徳道が十一面観音像を本尊とする観音堂を建立して、ここに 長谷寺の基礎が築かれたと言われる。そして、前者の僧道明の方を本長谷寺と呼び、後者の僧徳道の方を後長谷寺と称したとも伝えられている。

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4.創建時の伽藍配置
   不詳
5.その後の変遷
   下記のとおり、長谷寺は度々、失火や兵火に見舞われながらもその都度再興された。奈良時代の大寺をはじめとする多くの寺院が平安期に入って以降、次々と衰退していったことを考えれば驚きべきことである。当寺院の観音信仰がいかに篤く時々の権力者の崇敬を集めていたかを示しているともいえる。
平安時代   847 承和4年12月 定額寺となる(官寺となる意味)
 〃  944 天慶7年正月 十一面観音像ほか堂舎焼失
 〃  1052 永承7年8月 再興された本尊等焼失
 〃  1054 天喜2年8月 本尊等再興
 〃  1094 嘉保元年11月 観音堂、鐘楼等焼失
 〃  1131 天承元年?月 再興
 鎌倉時代  1219 建保7年?月 焼失
 〃  1226 嘉禄2年10月 再興
 〃  1280 弘安3年3月 焼失
 〃  1281 弘安4年11月 再興
 室町時代  1495 明応4年11月 六方衆(興福寺衆徒)の兵火により焼失
 〃  1498 明応7年11月 再興
 〃  1536 天文5年6月 焼失
 〃  1538 天文7年11月 再興(これが現存する本尊である)

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6.特記事項(十一面観音立像について)
   長谷寺は、牡丹の寺、観音信仰の寺、また西国三十三所の第八番札所としてよく知られている寺院である。しかし当寺で 最も拝観しておきたいものは本尊である十一面観音立像である。木像で身の丈10m18pの高さがある。足下から見上げると、その大きさに先ず驚かされ、お顔をはじめとする全体の神々しさに思わずひれ伏したくなる。

   また、この十一面観音は、本来お地蔵様がもつ錫杖を右手にお持ちなっている点でも有名である。是非一度は拝観されることをお勧めしたい。

   宗派は、根来寺を興した覚鑁(かくばん)を始祖とする新義真言宗の流れをくむ真言宗豊山派であり、当寺はその総本山である。

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7.現在の境内

仁王門
仁王門

 

登廊
登廊

 創建は、寺伝によると平安時代前期の一条天皇(在位986〜1011)の代に建立されたとしている。現存するものは、明治15年12月焼失後の同18年に再建されたものである。間口3間奥行2間あり、堂々たる楼門である。    「のぼりろう」と読む。階段数は399段あり、長さは百八間あるとされ、よく言われる「百八の煩悩」を現しているという。寺伝では、春日社司中臣信清が子息の病気平癒御礼として長暦3年(1039年)寄進建立したとされている。現存のものは、江戸時代の造営(詳細不明)。

鐘楼下の本堂参拝口
長谷寺本堂参拝口

 

本堂と鐘楼
長谷寺本堂

 登廊を登りきるとここに出る。この建物は鐘楼で、この奥が本堂である。   

左が本堂で、右が鐘楼 。

本堂    
長谷寺外陣舞台  この本堂は、双堂(ならびどう)という様式で建立されている。これは平安初期に成立した真言密教の様式を踏襲し、本尊を安置する本堂と礼堂からなる。 
写真の前にあるのが礼堂で後ろの直交している建物が本堂の二棟からなっている。前の礼堂には崖に足代を組み京都清水寺に見られる舞台が設けられている。また、礼堂正面には「大悲閣」と書かれた大きな額がかけらている。寺伝によれば、この額は安土桃山時代から江戸時代初期に在位した後陽成天皇の筆とされている。
 創建は、江戸初期。徳川三代将軍家光の寄進により正保2年(1645)から慶安3年(1650)の6年をかけて建立された。 平成16年に国宝に指定されている。 訪問した日は、運よく特別拝観日で、本尊の十一面観世音菩薩の足下にまで入館し拝むことができた。 
          本堂外陣と舞台  
長谷寺舞台  左の写真は、礼堂の外陣をめぐる縁の正面である。肝心の舞台が写っていない中途半端な写真で恐縮だが、ここから舞台は前方に突き出ている。
 言い訳をすると、この舞台の中央先端の欄干で旅慣れた様子の中年のおばさん三人組がおり、そのうちの一人が小さな笛を吹き、それにあわせて二人が小音ながら歌を歌っていた。何という曲なのか自薦他薦付きの音痴である私には解らなかったが、童謡かどこかの民謡ではなかったかと思う。なかなか風情があり、立ち止まって聴いていると、誰かがあれは笛ではなくオカリナだと言っているのが聞こえた。これには二度びっくりした。オカリナの歴史は「マヤ文明」にまで遡る古い楽器と言われている。この古刹で聴くに相応しい音色ではないか。そんな訳で中途半端な写真となってしまった。我ながら良くできた話しだと思うが、これは本当のこと。十一面観世音菩薩を拝観したからには虚言は弄せない。

本坊・講堂
長谷寺境内

 
 明治44年1月、失火により焼失。現存のものは、大正13年11月再建されたものである。
 訪問した日は、特別拝観日で、この講堂で、本尊である十一面観世音菩薩の「御影大画軸」が公開されていた。縦 6m80p横3m15p
五重塔 五重塔 礼堂からの五重塔
長谷寺五重塔 長谷寺五重塔 長谷寺五重塔

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8.古寺巡訪MENU

 
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