仁王門
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登廊
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創建は、寺伝によると平安時代前期の一条天皇(在位986〜1011)の代に建立されたとしている。現存するものは、明治15年12月焼失後の同18年に再建されたものである。間口3間奥行2間あり、堂々たる楼門である。 |
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「のぼりろう」と読む。階段数は399段あり、長さは百八間あるとされ、よく言われる「百八の煩悩」を現しているという。寺伝では、春日社司中臣信清が子息の病気平癒御礼として長暦3年(1039年)寄進建立したとされている。現存のものは、江戸時代の造営(詳細不明)。 |
鐘楼下の本堂参拝口
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本堂と鐘楼
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登廊を登りきるとここに出る。この建物は鐘楼で、この奥が本堂である。 |
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左が本堂で、右が鐘楼
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本堂 |
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この本堂は、双堂(ならびどう)という様式で建立されている。これは平安初期に成立した真言密教の様式を踏襲し、本尊を安置する本堂と礼堂からなる。
写真の前にあるのが礼堂で後ろの直交している建物が本堂の二棟からなっている。前の礼堂には崖に足代を組み京都清水寺に見られる舞台が設けられている。また、礼堂正面には「大悲閣」と書かれた大きな額がかけらている。寺伝によれば、この額は安土桃山時代から江戸時代初期に在位した後陽成天皇の筆とされている。
創建は、江戸初期。徳川三代将軍家光の寄進により正保2年(1645)から慶安3年(1650)の6年をかけて建立された。 平成16年に国宝に指定されている。 訪問した日は、運よく特別拝観日で、本尊の十一面観世音菩薩の足下にまで入館し拝むことができた。
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本堂外陣と舞台 |
左の写真は、礼堂の外陣をめぐる縁の正面である。肝心の舞台が写っていない中途半端な写真で恐縮だが、ここから舞台は前方に突き出ている。
言い訳をすると、この舞台の中央先端の欄干で旅慣れた様子の中年のおばさん三人組がおり、そのうちの一人が小さな笛を吹き、それにあわせて二人が小音ながら歌を歌っていた。何という曲なのか自薦他薦付きの音痴である私には解らなかったが、童謡かどこかの民謡ではなかったかと思う。なかなか風情があり、立ち止まって聴いていると、誰かがあれは笛ではなくオカリナだと言っているのが聞こえた。これには二度びっくりした。オカリナの歴史は「マヤ文明」にまで遡る古い楽器と言われている。この古刹で聴くに相応しい音色ではないか。そんな訳で中途半端な写真となってしまった。我ながら良くできた話しだと思うが、これは本当のこと。十一面観世音菩薩を拝観したからには虚言は弄せない。 |
本坊・講堂
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明治44年1月、失火により焼失。現存のものは、大正13年11月再建されたものである。
訪問した日は、特別拝観日で、この講堂で、本尊である十一面観世音菩薩の「御影大画軸」が公開されていた。縦 6m80p横3m15p |
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