長岳寺
(ちょうがくじ)


Contents
1.所在地
2.宗派
3.草創・開基
4.その後の変遷
5.特記事項
6.現在の境内
7.古寺巡訪MENU

1.所在地
   奈良県天理市柳本508
2.宗派
   高野山真言宗
3.草創・開基
寺伝によると「天長元年(824)淳和天皇に勅願により弘法大師が「大和神社の神宮寺」として創建された古刹であり、盛時には塔頭四十八ケ坊、衆徒300余名をかぞえた。」とされている。
4.その後の変遷
  • 戦国時代の文亀3年(1503)兵火により消失、
  • 以降も当寺院は境内の東にある竜王山に居城を構えていた十市氏と松永弾正との合戦の主戦場になるなど、度重なる兵火により堂宇を焼失して塔頭も減少し、次第に衰微するも大師信仰に支えられて法灯を守った
  • ところが豊臣秀吉の寺社統治政策によって全ての寺領を没収されるという窮地に陥った。
  • しかし、その豊臣氏が滅び、慶応7年、徳川家康より寺禄百石と境内地45町が安堵されることとなり、順次堂宇の再興・整備もされた。
  • だが、明治に入っての廃仏毀釈によって甚大な被害を受け荒廃を極めた。しかし、この狂気が収まるとともに、民間の大師信仰に支えられ復興し今日に至っている
5.特記事項
(1)狩野山楽によって描かれた「大地獄絵」
当寺院は、江戸時代初期に狩野山楽によって描かれた「大地獄絵」が有名である。この「大地獄絵」は、全9幅からなり、合わせると縦3.5m、横11mの一枚の巨大な絵となる。

<「大地獄絵」の公開時期>
 例年10月末頃から11月末頃まで本堂で公開され、住職による現代にマッチした絶妙で聞き応えのある「絵解き」も聞くことができる
<「大地獄絵」の冊子>
 右の画像は当寺院住職 北川慈照 氏著・発行の「大地獄絵」に描かれている「墓地、罪問間樹、死天山」から始まる「聖衆来迎図」までの16項目を解説された冊子である 。

(2)大和の古道「山辺の道」
当寺院は下図の大和古道の一つ「山辺の道」にある。 「山辺の道」は三輪山の麓から若草山に連なる春日山の麓までの山間部と平野部の境を走り、その歴史は弥生時代まで遡るともいわれる大和の古道である
大和三道 山辺の道

※ 大和三道とは「上ツ道」、「中ツ道」、「下ツ道」
6.現在の境内

楼門
本堂
寺伝では創建時に建立された日本最古の鐘楼門とされているが、建築様式などから平安末期ごろ建立であろうと推定されている(重要文化財) 江戸時代の天明3年(1783)に再建され、本尊である阿弥陀三尊、多聞天、増長天が安置されている
本堂前の放生池
旧地蔵院
この放生池を中心に浄土式庭園があり、これをめぐるように本堂、大師堂、拝堂十三重石塔が配置されている 江戸時代初期の寛永7年に建てられた室町時代書院造りの様式と庭園があり重要文化財に指定されている
十三重石塔 柿と朝顔
     
鎌倉時代作、西大寺中興の僧・叡尊の供養塔とも伝わる    大門から鐘楼に至る通路脇に実った柿と木につるを巻き付け見事に咲く朝顔(?) 
     
7.古寺巡訪MENU
<更新履歴> 2011/11作成 2015/12補記改訂 2020/11補記改訂
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