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      菊川市赤レンガ倉庫の保存に向けて 


 この建物を次世代へ残す為にみなさんの寄付を必要としています。


レンガ基金寄付先

 郵貯銀行 089店  当座 0122887 氏名 トクヒ)キクガワマチイキ
                      

   

JR菊川駅前から100mほど商店街を南下したところに、先頃まで民家に覆い隠されるように建っていた赤レンガ倉庫が姿を見せるようになりました。こんなところにこんな建物があった事をほとんどの方は知らなかったのではないでしょうか。

 わたしたちはこの建物を保存する活動を実らせることができました。これからは、みなさんに広く知っていただきながら、菊川駅前のラウンドマークとして大切に利用して頂けるよう維持管理をしています

                                                             平成24年3月区画整理終了

    建物由来        
                           菊川赤レンガ倉庫保存会資料から
 

明治22年に東海道線堀ノ内駅(現在の菊川駅)ができました。

榛原郡地頭方(現在の牧之原市)出身の原崎源作氏、池新田(現在の御前崎市)出身の丸尾文六氏らが 明治24年にこの地に「富士製茶工場」を興し、この付近一帯にお茶の再製工場を造りました。

明治30年頃まで横浜には「お茶場」と呼ばれた外国商館による茶再製工場が沢山ありました。

ここでの作業は女子工員が焙炉の中のお茶を素手で混ぜるという大変過酷な作業でした。

これを見た原崎源作氏がなんとか労働を楽にしなければと原崎式再製茶機を発明しました。これが成功し、おおいに労働が楽になり、又品質の良い製茶を作ることが出来るようになりました。

それとともにこの地菊川は、お茶の季節になると、近隣から集められた荒茶を再製し貨車に積んで清水港からアメリカへ輸出していました。その成績がすこぶる良好であり、茶産業はもとよりブリキ加工業や木箱造りの箱屋等の茶関連の商工業者、その他が集来し広く菊川市の賑わいの基となりました。

このレンガ倉庫は当時、お茶のブレンド作業と倉庫として使われていたようです。いわば菊川市の発展のルーツであり、「お茶の菊川」「お茶の静岡」を象徴する唯一残った産業歴史建築物です。

    赤レンガ倉庫の概要

構造はレンガのみで構成されています。柱型、臥梁、窓廻りの意匠までレンガを使用しています。又基礎の部分は高温で焼成された焼きすぎレンガが使用されています。レンガの大きさは現在の大きさと違い大きめにできています。(227×110×60)

積み方は 明治20年以降に造られたものはイギリス積みが多いようです。この建物もイギリス積みです。内部は木造2階構造となっており、梁をレンガ積みの中に差し込んで、梁、2階床を構成しています。小屋組はレンガ積みの臥梁の頂部に敷桁を敷き小屋梁を乗せ、キングポストトラスを構成しています。

                  

                              レンガ積み方のスケッチ

赤レンガ倉庫に学術調査

茶の保管に使用された赤レンガ倉庫を、茶の町のシンボルとして、また子どもたちのために残し、生かしていこうと話す赤レンガ倉庫保存会が、TBS「噂の東京マガジン」で窮状を訴えたところ、大きな反響を得ることができた。
                                                           

その中で、近代の静岡茶の建築について調査研究をしている静岡県立大学客員准教授の二村悟博士(平成161231日に静岡新聞紙面にて紹介。同社・宮崎氏取材)から、学術調査実施の連絡があり、919日に調査が行われました。

当日は、同氏が客員研究員を兼務する東京の工学院大学後藤治研究室から5名の学生が訪れ、赤レンガ倉庫の学術的な調査が行われました。

      
       
  
 

  二村悟博士による調査所見

(静岡県立大学客員准教授)

赤レンガ倉庫は、静岡茶業が隆盛を誇った明治中期頃に建てられたものと推定され、新しい時代に見られる木造や鉄骨造を基本とした構造のレンガ造ではなく、レンガのみで構成されるもので、デザイン、構造、規模など、菊川市はもとより、静岡県の歴史的建造物として十分に価値があるものです。

一般的に県内の赤レンガ建物は、現在のJR東海道線が、明治22年に開通したことにはじまる。旧静岡県庁舎(現存せず)を皮切りに普及し、現存する主なものでは、春野町の旧王子製紙気田工場製品倉庫(明治22年)、磐田市の赤松海軍中将自宅門・丙・蔵(明治23年)、湖西市の旧製糸工場(現在の浜名湖れんが館)などがある。菊川市の赤レンガ倉庫は、窓周りの意匠、基礎の束までレンガの使用が認められる構造で、規模も県下の他の建物にけっして劣るものではない。特に、菊川市としての近代化遺産では、群を抜く存在と考えるべき。

茶産業に関わる建築物としても貴重な遺構で、特に赤レンガ倉庫は、静岡市内でかつて建てられたという記録はあるものの、ほとんど現存する遺構がなく、他地域で残る場合も、その規模は民家の土蔵の規模ほどである。静岡県の場合、茶に関わる建築の洋風化は、静岡市を中心に始まっており、周辺地域の洋風建築では岡部町の駿岡社事務所(現在活用運動が進んでいる。)、藤枝市の旧茶商事務所、島田市の旧国立茶業試験場審査室、菊川市の静岡県茶業試験場行幸記念碑などが残る程度である。

詳細な分析は、これからではあるが、おそらく薬局時代は倉庫として使用されたと考えられるが、当初は、製茶再製工場(製品化工程)の一部であったと推定される。ひとつには、元の痕跡をたどると、1階に開口部が多すぎること、ひとつは室内の床や痕跡から、この場所でブレンド作業を行っていたことが推測されるからである。

赤レンガ倉庫は、富士再製のレンガ倉庫と、人々に呼ばれ、広く親しまれている。これは、国土の歴史的景観に寄与している。また、現在では見られなくなった、構造体としての躯体に木や鉄を使用しないレンガのみで構成されるという再現することが容易でないものとして貴重な遺構である。