■天使の羽根■

■8話■
 道半ば過ぎ。
 家から猛然たる速度で駆けてきた俺だが、さすがに予定時刻に間に合うことを確認し、速度を落として呼吸を整えた。
 そして冷静になった頭で一つ失態を思い出す。
 走っている途中で気が付いてはいたが、後戻りしている暇がないため、避けた道……。
「拓郎に車借りればよかった……」
いつになく、動揺していたんだろうか……まぁ、結果オーライってやつだろう。
それより、セラが一体何を考えているのか、そして昨日言っていた話とは何なのか。
そっちの方が重要だ。
  ぶるぶるぶる……ぶるぶるぶる…
携帯が震えている。
ディスプレイで確認するとそこにはメールが3通程。
差出人は……不明。
どうやら走っている最中にきていたメールらしい。
中身の文面を確認する。
1通目。
『タイムリミットまで、あと15分 (゚ω゚)ノ』
……。
2通目。
『甲斐性無しまで、あと10分 (ノ∀`)ノ』
…………。
3通目。
『あと、5分 (≧ω≦)ノシ』
 ………………。
 なんかこう……イヤなものを見てしまった気分だな……。
 と、この手の悪行三昧は……咲葉か?
 いや、違う。
 咲葉ならば、携帯に登録してある。
 差出人が不明のアドレスなんかではないハズだ。
 となると。
 セラか……。
 今日の予定を知っているのは咲葉かセラしかいないはず。
 そこで咲葉からのメールでなく、狙ったかのような時間の催促をする差出人不明のメール。
 そんな突撃をかましてくる容疑者は……咲葉でなければ一人しかいない。
 アドレス教えたのは、おそらく咲葉だろう。
 まぁ、いつもの俺なら30分ほど前には目的地についているからな。
 というか、なんてメールを送ってくるんだ、アイツはっ!
 ……。
 文章もそうだが、3時が近づくにつれて顔文字というか、なんというか……なんかヤバイ方向へ向かっているような……。
 お、遅れなくてよかった……。
 心の底から自分を誉めてあげたい。


 気がつくと、もう駅までまでついていた。
 もうすぐ到着だと思った瞬間、少しだけ足取りが鈍る。
 確かに、自分がきっかけを作ったことではある。
 自分勝手なことを言ったとも思う。
 けれど、この街を出て行ってからの俺は……この数年間は……。
 とても無意味なものにしか思えてこない。
 結局何も手にすることなく戻ってきてしまった俺。
 今思えば、本当に得体の知れない夢なんてものを見つけたかったんだろうか?
 鈍かった俺の足取りは、その場で止まってしまった。
 今となっては霞んでしまった当時……俺の本当の気持ち。
 そんなだから、今の俺はこんななんだろうが……。
 忙しさに息をつく暇もなく過ごす……そして、そこから抜け出した俺に残ったもの……。
 それは、俺が抱いていた"何か"とは異なっていた。
 異なるどころか、もしかしたら何も残っていないのかもしれない。
 あの時の選択は間違いだったのかもしれないけれど……こうして俺に気づかせることには必要だったことでもある。
 何が大切で……俺が必要としているモノは何なのかをわかるためには。
「そうでなくても、相手は手強いヤツだしな」
 大きく息を吸い込む。
 どんな結果になろうが、俺は俺であればいい。
 以前のように、自分を無視してまで何かを手に入れようとなんか、しない。
 以前と同じ過ちだけを犯さなければいい。
 気合をいれて頬を叩く。
「うしっ」
 意を決して新たな第一歩を踏み出した。
  ぶるぶるぶる……ぶるぶるぶる…
 が、踏み出した第一歩目にて何者かに阻害され、第二歩目がおあずけとなった。
 ……。
 何者かは分かっている。
 セラだ。
 どうせさっきのメールのように5分前、とか、そんなメールに違いない。
 それでも、俺のことを待っていてくれるのだろうと思うと自然と顔が緩んだ。
 ディスプレイで新着メールを確認すると、やはり差出人は先ほどの3件のメールと同じだ。
 内容は……。
 『あと……30分 _| ̄|○』
 ……。
 なんか……ちょっとおかしくないか?
 15分、10分、5分……。
 先程確認したメールでは確実にカウントダウンをしていたハズだが……どうみても増えている。
 ……相変わらず、アイツの行動は唐突で、それでいて理解不能だ。
 ま、時間が増えたとしても、それは約束の時間までが延びただけであって、特に問題はないだろう。
 まさかカウントダウンしていた本人が遅刻なんてことは……。
 わからん。
 まったく以って意図がつかめない。
 わからないならしょうがない、とりあえず目的地へ向かうしかない。
 ただでさえ俺には残されている道は少ないんだ。
 背筋を伸ばして再び歩きはじめた。


 時間は3時2分前、2時58分。
 なんとか間に合った。
 USAコーヒーの入り口で時間を確認する。
 間に合ってはいるが、ここでオタオタしている時間はない。
 大きく息を吸い込み、店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ〜ぇ」
 先日、突然の高周波攻撃を受けた俺だが、今回は免れることができた。
 前回の強襲は、一見さんお断りってとこだったのだろう。
 人間の可聴域での出迎え。
「お一人様ですか〜ぁ?」
 妙に甘ったるいというか、間延びした声がマニュアルを読み上げる。
 いつもなら喫煙席へ案内してもらうところだが、今回は待ち合わせだ。
 ちらりと店内を見渡す。
 ……いない。
 セラの姿が見当たらない。
 先程のメールはやはり、自分が遅れるという意図の内容だったのか?
「あの、お客様?」
 と、俺に完全放置されていたフリフリ姿のウェイトレスが、少し困ったような声をあげる。
 俺はそこまで愛想が悪い人間でもないと自覚はある。
 何はともあれ、空いている席へ案内してもらうことにしよう。
「あー、すみません。後から人が来るので2人席……へ……」
「かしこまりました〜ぁ、それでは席へご案内いたしますのでこちらへどうぞ〜」
 固まる俺、にこやかに席へと促すフリフリのウェイトレス。
「……」
「……」
 固まっている俺、にこやかに営業用スマイルを振りまくセラ。
「あ、あの……」
「はい〜?」
 ……セラとは別人か?
 いつもは髪を下ろしているセラとは違い、フリフリウェイトレスはマスターの意向通りのポニーテールだ。
「……セラ、か?」
「もぉー、いいから早く席につきなさいよ」
 営業用スマイル、営業用トーンが剥がれ落ち、いつもの表情、いつもの声に戻った。
 そしてビシッとカウンター席を指差す
 とてもじゃないが、お客様に対する態度ではないのは確かだ。
 今のやりとりで、店内の視線がこちらに集まりつつある。
 面倒はゴメンだ。
 腑に落ちないものを腹の底にしまい込み、にこやかな微笑みのマスターが待つカウンター席へと向かった。
「やぁ、煌クン、久しぶりだねぇ」
 高さ1mほどの椅子に腰掛けるとほぼ同時にマスターが声をかけてきた。
 昔から渋かったマスターだが、ここ数年でそこには貫禄すら漂わせている。
「久しぶりだね、マスター。って、この状況がイマイチ理解できていないんだけど」
「ふむ……この状況とは……何がだい?」
 あくまでシラをきるつもりか、それとも天然モノ純度100%なのか。
 まどろっこしいのは耐えられない俺は、自分の疑問点を打ち明けた。
「まず、さっきのウェイトレス。あれってセラじゃないの?」
「そうだよ?」
 というか、それがどうしたの?
 そんな言葉が続きそうな表情で即答される。
 俺には心の準備というか、そういうものは皆無だ。
「いやぁ、セラちゃんね、あの子、確かハーフでしょ? もうね、ウチの制服が似合い過ぎ。彼女に手伝ってもらうようになってからはウチのbPだよ。あの制服は彼女の為に作られたといっても過言ではないね」
 目の前のナイスミドルは、ビシっと俺に向けて親指を立てる。
 ……まぁ、これがこの姿でナイスミドルと呼ばれずにナイスガイと呼ばれる所以でもあるのだが。
「……とりあえず、それはわかった。そして次の質問。セラとはここで3時に待ち合わせしていたはずなんだが……」
「あー、それね」
 エスプレッソを差し出しながら答える。
「ちょっとしたトラブルあってね、本当ならばちょっと前にあがっていてもらう予定だったんだが……」
 ちらりと横目で営業用スマイルのセラを見る。
「次のシフトの子がちょっと遅れることになってしまってね、30分ほど延長を頼めないかとお願いしたんだよ」
 なるほど、店内を見回してみると、ウェイトレスはセラ一人、そしてカウンターにはマスター。
 人が少い時間帯ではない午後3時。
 さすがにウェイトレスがいないとどうにもならない。
 納得してエスプレッソに口をつけた。
 相変わらず美味い。
 マスターの性格、というか、行動原理やら心理やらは置いといて、事実、この店のコーヒーは美味いのだ。
 コーヒーの味はストレートで飲むとよくわかる。
 むしろ、他のコーヒーではストレートなんかで飲む気にはなれない俺だが、ここでは別だ。
「そっか……」
 とりあえず、ここまでの流れは理解した。
 キリっとした苦味で頭が冴える。
 それにしても、セラがここでウェイトレスしているなんて知らなかった。
「そういうわけなのよ」
 唐突に後ろから声をかけられた。
 もちろん、こんなことをするのはセラしかいない。
 振り向いて声の主を確認すると、先程のウェイトレスが営業用スマイルとは違った微笑みで立っていた。
「セラ、そうなのよ、じゃなくて、ちゃんと最初から状況を説明しておけばだな……」
「なによ、私はちゃんと説明しようとしてたわよ」
 微笑が消え、む、という表情へ変わる。
「あそこで立ち話もなんだから、って思って席へ案内しようとしてたのに……ぼけっと突っ立ってたのは煌のほうじゃない」
 ぷいっっと顔をそむける。
 ……確かにあんな入り口ではあまりよろしくはない。
 それに俺のことだ、いろいろとセラに聞こうとしただろうし、よくよく考えるとセラが正しかったような気がする……。
「煌クン、ダメダメだね。こんなところで痴話ゲンカはよくないね。こういう時は全面的に男が悪い、謝るしかない。平謝りだね、土下座だね、命乞いだね」
 見かねたマスターが救済というか、何かとても絶妙な仲裁を入れてきた。
 納得できないが、前の2つの方法は謝る手段であったとしても、最後の手段はなんだ……。
「すいませーん」
 と、奥から客の声。
 はーい、とセラは返事をすると背けていた顔をこちらへ戻した。
「ま、今回は私が約束に遅れているようなもんだし……大目にみるから、もうちょっとそこで大人しくしてるのよ」
 そう言うと俺の横に置いてあった煙草をエプロンのポケットにしまって立ち去ろうとする。
「な、ちょっ」
 俺にとって美味いコーヒーと煙草は切っても切れない存在だ。
 それを奪われたとなるとかなりの痛手である。
 奪還すべくセラを捕まえようとするが、俺の手をするりと抜けて声のした客の方へ行ってしまった。
「踊り子さんには手を触れないでくださ〜い」
 ロクでもない言葉を残して……。
 何かとても脱力してしまった俺は、半減した愉しみにがっかりしながらエスプレッソに口をつけた。
 目の前には目を閉じ、腕組みをしながら、うんうん、と頷くマスターの姿があった。

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