■天使の羽根■

■6話■
 俺がこの街を出て行く日、彼女との別れの日。
 あの時もこの丘で会っていた。
「そっかぁ、出て行っちゃうんだぁ……」
 その言葉を口にした彼女の横顔を今でもはっきりと覚えている。
 どんなときも笑顔を絶やさなかった彼女が漏らした笑み。
 それは、今まで見たこともない笑みだった。
 苦笑。
「……ごめん」
 僕の口からはそんな言葉しか出てはこなかった。
 出会った頃からいつでも一緒に遊んでいた僕達。
 当然、友達からは冷やかされたりもした。
 別に付き合っていた、というわけではなかったが、否定するにも理由がなかった。
 友達の中で1番仲が良かったのは確かだし、2人の仲を否定するのはそれを、1番仲がいい友達を否定するような気がして言いたいヤツには言わせておいた。
 彼女が「言いたいひとには言わせておいていいよ」と微笑んでいたからだ。
 友達以上、恋人未満。
 あえて言うならば、そんな言葉が1番近かったのかもしれない。
 それとも、ただ僕だけがそう思いこんでいただけなのか。
 要するにお互いが近くなりすぎただけだったのだろうが、あの時はよく分からなかった。
 けど、今は……。
「キミが謝る必要はないよ……」
 彼女は微笑みを絶やさない。
「キミが選んだ選択だよ。2度とない、キミが一生懸命考えてたのも知ってる……生涯を左右するかもしれない選択……。ただ……」
 そこまで言うと、真剣な顔つきになる。
「決して後悔しちゃだめだよ。最後まで頑張ること……。最後まで頑張って……それでもダメな時……私は傍にいてあげれないから……慰めてあげることも、その先を一緒に歩んでいくことも……」
 いつもの彼女らしくない、最後には声が聞こえなくなるほどの、ふるえた、声。
「……わかった」
「よろしいっ!」
 と、いつもの調子に戻った彼女はぐっと親指を立てる。
 彼女の突然の変化にもさすがになれている僕は同じ用意親指を立ててかえした。
「……で、いつ?」
「ん?」
「だから、出発するのは……いつ?」
「ああ、実は……明日……なんだけど……」
「ふ〜ん……」
 彼女は少し考えているようだ。
 腕組みしていた右手の人差し指を唇に押し当てる。
 彼女の癖だ。
「……って明日ぁ!? もぉ〜、なんで今日まで言わないかなぁ……」
 ……やっぱり怒られた。
「……いや、……あの……なかなか言い出せなくて……は、ははは……」
 話し始めのころのしおらしい彼女の様相がずいぶんと変化してきた……。
 背中に少し冷たいものが走る。
 ……けっこう怒らせたっぽい……ヤバイ。
「これじゃぁ、やっぱり付いていくのも難しいなぁ……う〜ん……」
 小声で何かボソボソつぶやく。
 はぁ、と大きな溜息をつくと、僕を見据える。
「……じゃぁ、何かの拍子に挫けちゃったり、道が見えなくなっちゃったり……もし……もしも、キミの求める"夢"が見つからなかった時は……ちゃんと……帰ってくるんだぞ?」
 僕より背の低い彼女は、僕を見上げるように、小首をかしげながら言う。
「ああ…うん…。わかったよ、見つけれるかわからないけど、決めたことだ。気合入れて探してくるさっ!」
 と、僕も負けじとぐっと親指を立てる。
 いつもの彼女に戻ってもらいたくて、いつものように振舞ってほしくて。
「おぉ、気合入ってきたねぇ……こぉんな顔して『夢って何なんだろう……』とか言ってた人と同一人物とは思えないねぇ」
 くっ。
 痛いところをつく……。
 やっぱり、ちょっと怒ってるらしい……。
 まぁ、この程度で済んで、至極平和だが。
「ま、まぁ、それは過去の出来事として流しそうめんとでもいっしょに流してくれ」
「……」
「……」
 しばし、沈黙。
 そして僕は轟沈……。
「ホントに大丈夫かなぁ……心配になってきたよ……」
「いや、これはその、勢い余ったというヤツだ。気にするな」
 彼女は長いため息をつく。
「ん、わかった。行って砕けてきなよ。砕けたらまた戻ってくればいい。私がキミのかけらを拾い集めて、抱きしめて……また夢を追いかけさせてあげる」
「ありがとう……ごめん」
 余りにも自分が情けなく、さらに情けない言葉を吐く。
「ほーら、今からそんな調子でどうするのさ? 私はシリアスは苦手なのよ? そんな情けない言葉は砕けた後で聞いてあげるわよ」
「了解」
 それが彼女との、長い時を隔てる最後の別れだ。


「おいっす」
 彼女は木陰から手を挙げて俺に挨拶を送る。
 そんな変わらない彼女に、思わず笑みを漏らしながらこちらも返す。
「おう、オイッス」
 すると彼女は怪訝そうな顔でこちらへ向かって歩いてきた。
「?」
 相変わらず、彼女の行動パターンは不明だ。
 こっちにいた頃からそんなところが魅力ではあったのだが。
 彼女は俺の目の前まで来るとピタリと足を止め、もう一度オイッスのポーズを取る。
 ……何がしたいんだ?
 一瞬の後、その手刀は振り下ろされた。

ガスッ!

 ……イタイ……ものすごく。
「いてぇじゃねぇかっ!」
 さすがに男としては反撃のできない俺は、一歩引いて言い放つ。
 そんなの眼中にないと言わんばかりの顔で、己の手刀を見、その切れ味に満足そうにしている。
「あのねぇ……帰ってきたのに『オイッス』って……私はそんな風に教えた覚えは無いわよっ!」
 この娘は本気で言っているのだろうか……。
 いや、本気なんだろうなぁ……いつもの如く。
「まったく、ちょっとは成長したところを見せてくれるのかと思えば……」
 彼女はひどく不服らしい。
「……あのな。それじゃ、久しぶりに帰ってきたヤツに向かっての挨拶も『おいっす』なのか?」
 はっ! と見ためからもそんな息をのむのが聞こえてきそうな顔をしている。
「ふ……ふっ、ちょ、ちょっとは成長してきたようねっ!」
 それでも虚勢を張る彼女の姿はちっとも変わってなくて……思わず笑みがこぼれた。
「なぁによぅ」
「くっくっく……あっはっはっはっは」
「ぷ……あははははははは」
 二人で笑い合う。
 やっぱり変わっていない。
「はぁはぁ……あー、久しぶりに笑わせてもらいましたよ」
「いや、俺も久しぶりにツッコミの爽快感を味わせてもらったぞ」
 ひとしきり笑った後、お互いに向き直る。
「おかえり、煌」
「ただいま、セラ」
 ようやくまともな挨拶を交わす。
 『まぁまぁ、立ち話もなんだから』と彼女は木陰に座り、俺においでおいでをする。
 ちょっとおばさんくさくなったかも……。
 それからお互いに知らない、お互いの時間を交換しあった。
 10分ほど話たころだろうか、不意に話が途切れ、ここへ来るきっかけとなったチビの墓へ目を向けた。
「この花、やっぱりセラが?」
「んー、まぁ、毎日じゃないけどね。ほら、ご主人様がなんにもしてくれないじゃない?」
 と、いたずらっぽい目をこちらに向ける。
「いや……ごめん」
 チビとセラ、両方に謝罪する。
「冗談よー。まぁ、ほら、可愛い子がお花くれたほうが、チビちゃんも嬉しいでしょ〜。……それに……キミは見つけるために、"夢"が何もわからないままに追いつづけていたんだから……」
 最後の方になると言葉は小さく、風に消えていった。
「あの、それで……その……」
 続けてセラは何かを俺に伝えたいのだろう……けれど言葉に迷っているようだった。
 俺は俺でセラに答える言葉がない。
 そう、あの時のように……。
 結局俺は、夢ってものを見つけることができなかったんだ。
 頑張ってはみた。
 これだけは言える。
 けれど、結果が伴ってくれなかった……。
 夢を探してこの街を飛び出していったのに……それを温かく送り出してくれた人がいたのに……。
 周りには夢を持ってるヤツがたくさんいた。
 大きな夢、小さな夢、ささやかな夢、壮大な夢……。
 俺は道を探していた。
 夢が見つからないなら、せめて自分のやりたいこと、目標となるものを……。
 流石にずっと一人でいたわけじゃない。
 友人と呼べる人達もたくさんできた。
 こんな俺にアドバイスもたくさんくれた。
 けれど。
 けれど、どれも俺を納得させてくれるものはなかったんだ。
 みんな、親身になっていろんなアドバイスをくれた。
 でも、俺が本当に納得できるもの、自分の道として進んでいけるものとしては考えることができなかった。
 もとから夢を抱くことができなかった俺には難しすぎたのかもしれない。
 そして、そんなことをしているうちに、知らずと自分を自分で追い詰めていたのかもしれない……。
 どれも自分を慰める言葉にしか思えない。
 結果が伴ってこそ、俺の"夢"は成就されるのだから……。

 そんな後悔が頭を駆け巡っていると、ふと優しい香りが俺を包みこんだ。
「セラ?」
 俺はセラに頭を抱えられるようにして胸に抱きしめられていた。
「……」
「いや、あの……」
 さすがに恥ずかしくて離れようとする。
「ちょっと……もうちょっと……このままで」
 俺はその言葉に沈黙で答えた。
 彼女には全てわかってしまっているのかもしれない。
 しばらく経っても、彼女は俺を離そうとはしなかった。
「あの……さすがに恥ずかしくなってきたんだけど……」
「……ねぇ、煌」
「ん?」
 ふと、セラが口を開く。
「覚えてる? キミがここを出ていく……前日のこと」
「……ああ」
 忘れようもない。
 彼女にあんな顔をさせたことは、その時までなかった。
 そして彼女の気持ちを無駄にしたくないが為にも頑張っていた。
「あの時、私言ったこと、覚えてる?」
「うん……」
 もちろん、全て覚えている。
「なんというか……この様子だと砕けてきちゃったみたいだね」
「……面目ない」
 先程言いよどんでいたのは、やはりこのことだったらしい。
「ううん、そんなことは……いや、そんなことってのは失礼だね。でもね、別に怒っていたりするわけじゃないんだ。頑張ってきたんでしょう? さっきのキミの苦しそうな顔でそれが痛いほどわかったよ……。私は慰めるなんて言ったけど、そんな大層なことができるなんて思ってない。けどね、あの時言ったように抱き締めてあげることはできる。自分を砕く思いをしてきたキミを包みこむことはできると思ったんだよ」
「うん……」
 くすっと笑うと、こう付け加えた。
「これでも女の子だからね」
 そう言って俺を解放してくれた。
 恥ずかしいとか言ったわりには彼女の温もりが離れていくのは少し寂しかった。
「少しは……元気でた?」
 セラは自分の行動に今更恥ずかしくなったのか、俺におずおずと聞いてきた。
「うん、元気でたよ、ありがとう」
 そう、微笑んで返すと、彼女も微笑んで返してくれた。
 と、くすくす笑い出す。
 頭にハテナマークの俺を尻目にセラは胸を抱き締める。
「やぁねぇ、女の子の胸に抱き締められて元気でるなんて……」
 悪魔の微笑みをたたえている。
 こ、こいつはぁっ!!!
 あまりにも理不尽な怒りが込み上げてきたのも一瞬で、俺も笑い出す。
「およ?」
 今度はセラがハテナマークを浮かべる番だった。
 そうだ、こんなカンジだ。
 この方が彼女らしい。
 セラはこうやって、いつも俺を元気付けてくれた。
 あの黄昏時に出会ってからずっと……。
「ちょ、ちょっと、大丈夫? ……うーむ。刺激が強すぎて向こうの世界の電波でも受信しちゃったのかしら……」
 ……前言撤回。
 やっぱり悪魔だ。
 もとより、生まれがハーフの彼女だ、外国の血も混ざり、一層それを引きたてているような美しさもある。
 俺の中での評価は天と地をいったりきたりしていた。
 でも。
 それでも、彼女の優しさは充分に伝わってくる。
 ありがとう、セラ。
「でも、よかった。何はともあれ、元気になってくれれば、私はそれで充分。また送り出してあげるから、今度は砕けちゃダメだよ」
 やっぱり、そうなんだ。
 彼女と話をしていて、ようやく気がついた。
 彼女がいないと俺はだめなんだ。
 いつでも、俺を元気づけてくれる、いつでも優しく包み込んでくれる。
 そして、誰よりも俺を理解してくれる……。
「……セラ」
「ん?」
 夕方の涼しい風に髪をかき揚げながらセラは返事をする。
「俺はこんなだから、また砕けるかもしれない……砕けないかもしれない。でも、もし、砕けないでいることができた時は、セラに傍にいて欲しい。一緒にいたいと思う」
「……」
 セラからの返事はない。
 彼女はもうすぐ隠れきろうとしている太陽をじっと見つめていた。
 あまりに唐突だっただろうか。
 それとも……。
「いや、そんな無理に返事をして欲しいとは思っていない。それに迷惑だったのなら……」
「煌」
 半分しどろもどろになりながらの俺の言葉を遮る。
「ごめん、ちょっと……考えさせて……」
「……わかった」
 俺は相変わらず沈みゆく太陽を見つめながら、表情のないままのセラに答えた
「でね、勘違いしないでほしいのは……」
 そこでいつものセラに戻る。
「別に一緒にいるってのが嫌だとか、全然そんなんじゃないの。これは本当。ただ……」
「うん、わかった。俺はもう少し、ここに滞在してるからさ」
「うん……」
 そこで手持ち無沙汰になり、時間を確認すると、結構ヤバイ時間だ。
 アイツに……殺られる……。
「セラ、俺はこの後、ちょっと用事があるんだ。今日はこの辺でさよならだ」
 無言でセラが頷くのを確認すると手を振ってその場を後にした。
 いや、しようとしたその時、セラに呼びとめられた。
「明日……明日また会いましょう。この場所で……また……」

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