■鬼刃〜オニノヤイバ〜■

■天涯比隣■
 煌達が本殿へ向かってから数分が過ぎた。
 境内に残っているのは洋輔一人。
 木々から聞こえる蝉の大合唱を耳に、手水舎の日陰にポツンと座っていた。
「あー、あぢー……」
 シャツの胸元をパタパタさせながら一言だけ漏らす。
 屋根のある日陰に入ったとはいえ、直射日光を避けただけでしかない。
 辺りの蒸した空気は、肌にべっとりと張り付くようであった。
「結界だかなんだか知らないけど、なんで僕だけなんだよ……。人畜無害を絵に描いたような僕が、そう、例えるならば高速道路をピンと手を頭上高く挙げてゆっくりと渡るような僕が」

ミーンミンミンミンミン―――

 一瞬、虚ろな目をしたかと思うと、そのままがっくりとうな垂れる。
 どうやら自分のボケに自分でツッコミを入れる気力すらないようである。
「はぁ……まだなのか……。って、向こうがこっちに来る時間を考えれば、その分僕がこの蒸し暑い中に来るわけだ……いいや、大して痛くなかったし、いいだろ、行ってみよ」
 最後の気力を振り絞って立ち上がった時だった。
 ―――ん?
 手水舎から数メートルほどの場所、拝殿の影からじっと見つめてる少女と目が合う。
 身長は110cm程、ピンクの金魚をあしらった薄い水色の浴衣に濃い朱の帯、そして肩口で切りそろえられた色素の薄い髪。
 どこから見ても知っている少女ではなかった。
 ハテナ? と首を傾げるも、浴衣の少女は相変わらずじっと洋輔を見つめている。
 円の親戚の子かな?
 どことなく見覚えのある面影が洋輔の頭にひっかかる。
 どっかで……みたことあるような、ないような……。
 必死に脳内検索エンジン「知り合いくん」で記憶を探るが、一件もHITすることはなかった。
 うーん、と腕組みをして考えていると、少女がトコトコと洋輔の方へとやってきた。
「……」
「……」
 両者無言で見詰め合う。
 何秒過ぎただろうか、その沈黙、そして澄みきった純粋無垢な少女の瞳に耐えられなくなった洋輔が口を開いた。
「えーっと……僕に何か用事、かな?」
「……」
 返事はない。
 とりあえず、何も考えずに出た言葉だっただけに二の句が続かず、再び沈黙が辺りを包む。
 だた、やかましく鳴いているセミの声だけが聞こえていた。
 うーっと、あー、なんだ、僕はどうすればいいんだっ!
 表面上は平然とした顔をしているが、心の中ではてんやわんやである。
 ただ、年下の子に無様な姿を晒すことはできない、というロクでもないプライドが今の洋輔を支えている。
 そもそもこの年代の少女と話などしたことはほぼ皆無に近く、どう対処していいかわからないでいた。
 が、知ってか知らずか、相変わらずじっと見つめるその瞳にはただ洋輔だけが映っている。
 こんな時、こんな時は……そうかっ、迷子かっ!!
 洋輔の頭上で白色電球が輝く。
 そうか、そうだよな、迷子なんだな、うん、こんなトコで迷子になって、さらには知らないナイスガイしかいなければ、声をかけるのも難しいお年頃というものだ、うんうん。
 勝手に自己完結すると、キラリと歯を輝かせ、優しく少女に声をかえた。
「お嬢ちゃん、迷子かい? 怖がらなくても大丈夫だよ、もう安心だ、この優しいお兄―――」
「お兄ちゃん」
「はい?」
 つい条件反射で返事をしてしまう洋輔。
 なんだ、ちゃんと話せるじゃないか。
 危うく自分の暴走に罪もない少女を巻き込んでしまうところだったことに気づき、おとなしく次の言葉を待つことにした。
しかし、少女は再び黙って洋輔の瞳をじっと見つめてしまった。
「えっと……迷子、かな?」
 ふるふるふる。
 首を横に振られてしまう。
 ふむ、迷子ではない、と。
 言葉の少ない少女の意図するものを汲み取ろうと真面目に考え込む。
 迷子ではないとして、それで僕をずっと見ている……やっぱり僕になにか用事っていうかそういうのがあるのかな?
 うーん、と唸り、腕組みをしたところで少女がボソリと何かを呟いた。
「ん? なになに、もっかい」
 膝を曲げて視線を合わせると、今度は少女が首を傾げた。
「よーすけくん?」
「そう、だけど……僕のこと、知ってるの?」
 先ほどは横に振った首を今度はコクコクと縦に振る。
「よーすけくん」
 もう一度名を呼ぶと、トテトテ洋輔の隣へと歩き、ちょこんと座る。
 その瞳は隣に立つ洋輔を見上げていた。
「……」
 少女は無表情のまま、洋輔の足元を手のひらでペタペタと叩く。
 どうやら座れ、とのことらしい。
 とりあえず、同じ高さなら話をしてくれるようだし、と洋輔もその場へ腰を降ろす。
 すると少女はにっこりと微笑みを返す。
 (なんだ、笑うと結構可愛い子じゃないか)
 つられて洋輔も微笑む。
「で、キミは? こんなところでどうしたの?」
 少々打ち解けたような雰囲気を感じ取り、もう一度話かけた。
 先程のやりとりを思い出し、目線は合わせている。
 少女は一瞬、きょとんとした瞳を向けた後、ぽつぽつ話し出した。
「今日は大事なお話があるからって、お父さんとお母さんに連れてきてもらったの」
「そっかぁ……それで、お父さんとお母さんは? はぐれちゃったの?」
 ふるふると首を振る。
「自分で外に出てきたの。時間になったのに来ない人がいるからって、ずっと待ってて……退屈だったから、外に出ていい? って聞いたら、いいよって、お父さんが」
 つたない口調ではあるが、伝えようと一生懸命なのが感じられる。
 洋輔はうんうんと相槌をうちながら話を聞いていた。
「ふーん……それは嫌だよね。待ってるのは時間が長く感じるしね。しかし、来ないヤツも来ないヤツだね、遅刻するなんて困ったヤツだ」
「そしたら、ようすけくんがいたの。ずっと会ってなかったから、大きくなっててびっくりしたの。でも、人違いかもしれないから、ずっとあっちで見てたの」
 そう言うと、すっと拝殿の方を指差す。
 先程影に隠れていた理由が判明するが、それよりも、洋輔にとって重要な問題が一つ出来てしまった。
 僕はこの子と会ったことがあるのか?
 先程、少女は『ずっと会ってなかったから』と言っていた。
 それは少なからずとも面識があるということ。
 そして自分がこの少女をおぼろげには見覚えがあるものの、名前すら思い出せないこと。
 少女に悪いとは思いつつも、思い切って聞いてみることにした。
「えっと、ごめん、僕はキミの名前をわすれちゃってるみたいなんだ。出来れば怒らないで欲しいんだけど……名前、教えてもらえるかな?」
 おそるおそる、といった様子で少女を見るが、気にした様子もなく、さらりと答えた。
「由。自由の由って書くけど『ゆい』って読むの」
 と、空中に由の字を書く。
「そっか、由ちゃんか」
「うん」
 (やばい、はじめて聞く名前のよーな気がする……)
 平静を装っているが、心の中ではうわー、うわー、と小さな洋輔が頭を抱えて駆け巡っていた。
 しかし、それを隠しきれない洋輔の顔には、だらだらと汗が流れていた。
 由がそれを不思議そうな顔で覗き込んできた。
「ははっ、やっぱり暑いねー、ここは。日陰に入っていても、空気の温度は変わらないからなぁ……そうだ、ちょっと喉が渇いたなぁ」
 ハハハ、乾いた笑いでその場をやり過ごし、対策を考えるつもりであった。
「ん」
 由がそれを見て、手にしている巾着をごそごそと漁りだす。
 そしてにゅっと500mlのペットボトルを取り出すと、はい、と洋輔に差し出した。
「お、飲み物持ってたん……だ」
 ありがたく受け取ろうとした手が一瞬止まる。
 ミネラルウォーターであろう、そのラベルには見たこともない名前が達筆な毛筆で記されていた。
 ―――超天然水―――
 何? 何だ、天然水じゃねぇのか? ていうか、何を超えたんだ?
 訝しげにラベル周りを見るも、天然水の産地、取水地等はどこにも記されていなかった。
 由はそんな洋輔を無視するかのように、巾着からもう一本のペットボトルを取り出す。
 ラベルには同じように達筆な毛筆で名前が記されていた。
 キャップを開けるとボトルを両手で持ち、こくこくと飲む。
 ……飲んでる。
「ふぅー」
 呆然とする洋輔に気づかない由は、飲みかけのボトルを頬に当て、ひんやりとした感触を楽しんでいた。
 ……ちょっとマテ。
 そこで洋輔は重大なことに気づく。
 これ、どっから出した?
 洋輔の視線は由の巾着へ釘付けになる。
 巾着の大きさは由の手のひらの3つ分程、到底ペットボトルが入る大きさではない……2つも。
 僕は暑さでやられてしまったのか?
 天然水のことなど頭にはなく、自分の見た現実を何とか理解しようと必至であった。
「あら、由ちゃん? っと―――」
 ぐるぐると回る洋輔の思考を寸断する声。
 声のした方に振り向くと、先程、妙な魔法を使った女性、摩琴が立っていた。
「まことちゃん」
 由は摩琴の姿を確認すると、シュタッと右手を挙げた。
 どうやら挨拶らしい。
 摩琴はにっこりと微笑んでそれに返すと、洋輔を見る。
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは。あなたは……洋輔さん、ですね? 今日、円と一緒にいらした」
「あ、はい、そう、ですけれど……」
 先程は遠目に見ていたために気が付かなかったが、近くで見ると相当の美人である。
 そこに包み込むような柔らかい微笑みが乗っていれば大抵の男は上手く話せないというものだ。
「あ、ごめんなさい。私、まだ名乗っていませんでしたね。一方的に知っていたものですから、つい……。私、一条摩琴と申します。円とは同じ凪乃海学園に通う同級生です。よろしくお願いしますね」
 ペコリと頭を下げる。
「あ、ど、ども、よろしく……」
 丁寧な挨拶に戸惑いながらも摩琴を見る。
 どこかおっとりした雰囲気はあるが、洋輔が最後に見たような雰囲気はない。
 はぁ、こうして見ると年下に見えないこともないか……しかし、こんな可愛い子がいるなんて、聞いてないぞ、巴……お兄ちゃんは、悲しい……。
「それにしても、円ったら……私がいないウチに射止めちゃうなんて……この一年でずいぶんと変わったのねぇ」
 少しだけ首を傾け、頬に手をあて、ほぅっとため息をつく。
 その瞳は夏の空のどこかを見ていた。
「いとめる?」
 黙って状況を見ていた由が摩琴の言葉に首を傾げる。
「うーん、なんて言ったらいいのかな……まぁ、後で教えてあげるね。それよりも、由ちゃんと洋輔さんはここで何をしているのです? 洋輔さんもいらしたことですし、本殿で皆さんがお待ちだと思うのですが……」
「んと、中で待ってるのが退屈だったから、外に出てきたの。そしたらようすけくんがいたの」
「あら、そうだったの、それじゃ由ちゃんは私達が外に出る時にはいなかったのね。鳥居まで来ていなくてよかったぁ……それで、洋輔さんはどうしてここにお一人で? 円達と本殿へ向かわれたのでは?」
 むむむ、と口元に手を当て、私、考えてますのポーズをとる。
「あ、それなんですけど、結界がこのすぐ先にあって、僕だけ入れなかったんですよ。だからコウ兄達に先に行ってそれをなんとかしてもらっているところです」
 なるほど、と頷くと同時にポンと手をあわせる。
「そうでしたか。それでは参りましょう、由ちゃんがいるのですから、今度は問題ありませんよ」
 さぁ、と洋輔を促す。
 隣の由は立ち上がり、洋輔の服をクイクイと引っ張っていた。
 よくわからんが、行けるなら行ってみるか。
 洋輔は立ち上がり、二人と共に例の場所へ向かった。


「あ、ちょっと待ってください」
 摩琴が洋輔を引き止める。
「なんですか?」
 半歩後ろを歩く摩に振り返る。
「ここからはですね、由ちゃんと手を繋いでください」
「……は?」
 なんで? という表情で摩琴を見る。
「えっとですね、由ちゃんはここを行き来できるんですよ。私のような外部の者にはこういった物が必要になるのですけれど、これを洋輔さんにお渡しすると、今度は私が入れなくなってしまいますから」
 と、自分のトートバッグから小さな石を取り出す。
 洋輔にはそれに見覚えがあった。
 封鬼石。
 病院でみたソレとよく似ていた。
「あれ、これって封鬼石とか言う石じゃ……」
「いえ、違いますよ。あれとは比べようもない代物です。有体に言うとすればIDカードみたいなものですよ」
 確かに、よく見れば形状が違い、ところどころに何か文様のようなものが描かれている。
 くいっくいっ。
 服の裾を引っ張られる感じに気が付くと、由が裾を引っ張っていた。
「あ、ごめんな。いこうか」
「うん」
 裾から手は離れ、洋輔の手を握る。
 小さい手だなぁ、等と思っていると、逆の手に何か柔らかい感触がする。
 見ると摩琴も手を繋いでいた。
「えっ、あれっ、えっと……」
 しどろもどろになる洋輔とにこにこ微笑んでいる摩琴。
「あれ、いけなかったですか? こういうときはみんなで仲良く行きましょう。仲良し三人組ですねっ」
 摩琴は楽しそうに言うが、洋輔としてはこれほど可愛い子と手を繋いで歩く経験などなく、どうしていいか分からないといった様子である。
「……いかないの?」
 由が首を傾げる。
「え、あぁ、そう……だね」
 両手を少女二人に塞がれ、前に進むほかに道はなかった。
 もう、こうなったらヤケだ、知らん。
 由に引かれるようにして歩く。
 上機嫌の由とにこにこ微笑む摩琴、そして半ばヤケの洋輔。
 アンバランスな三人は結界を難なく越えて本殿へと向かった。

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