■鬼刃〜オニノヤイバ〜■

■門前雀羅■
「……どういうことだ?」
 くわえ煙草のまま、少しだけ眉間にシワを寄せた煌が辺りを見回す。
 ……摩琴の放ったルーンに貫かれたところまでは、見た。
 烏の額に埋め込まれた石を砕いて不可視を破った。
 どうしても煌には解せない点があった。
「一体だけだと?」
「はい、おそらくは単体での偵察、ただの捨駒だったのでしょう」
 抑揚のない、まるで機械のような淡々とした口調で摩琴が答える。
 傍まで来た彼女は、どこか虚ろな瞳で煌を見上げていた。
「なら、尚のことおかしい。あれだけの数の結界を破ってここまで辿り着いているんだぞ? 先程は使い魔の類と言ったが、このレベルは式としての行動と能力だ。対になるものが確実に存在するはずだ」
「それは偏見というものです。事実、私の捉えるところには感知できる存在はありません」
 元来、式と呼ばれる存在は二対一組で行動しており、単体での行動はほぼ見かけないとされていた。
 それを知る煌としては、一体始末した後にはもう一体も姿を現すだろうと考えていたのだ。
 それを『偏見』の一言で一蹴されてしまい、更には言葉通り、いるべきもう一体の姿も確認できない。
 煌は頭をポリポリと掻きながら、大きく溜め息をつく。
「わぁーったよ、わーった。お前が言うんだったらそうなんだろうよ。ま、俺も実際に単独行動でこれだけの能力を持ったヤツを知らなかっただけで、向こうさんがそれだけのヤツだってことかもしれないしな」
 はい、とどこかボンヤリと煌を見つめながら摩琴が答える。
 その瞳をちらりと横目に、隣の円の肩を叩く。
「ほれ、行くぞ。予定外のことはあったが、それも終わった。後始末は彼女達が引き受ける、俺達はやることがあるだろ?」
 それまでじっと摩琴の様子を見ていた円も、そうね、と返す。
 すぐ傍で惚けていた洋輔と巴の肩を同じように叩き、行くぞ、と声をかける。
「それとな―――」
 思い出したかのように足を止めると摩琴へと振り返る。
「もうちょっと勉強してこい。その程度でいつも『酔って』いては話にならんからな」
 皮肉をかけられた本人はそれが聞こえた様子もなく、ぼう、と入道雲の空を見上げている。
 煌はそれを見、はぁ、と溜め息ひとつ残して社へ向かう。
 円も同じように、巴もそれに続いたが、洋輔が考え込む様子で立ち止まっていることに気づき、引き返す。
「お兄ちゃん?」
「―――ん?」
 洋輔が気づくと目の前で、どうしたの、不思議そうに覗き込む巴と目が合う。
「あ、悪い、行こうか」
「うん」
 二人も続いて本殿へ向かった。


 広い境内を抜け、拝殿の裏手に本殿はある。
 途中、拝殿の手前にある手水舎で円が口と手を清める。
 洋輔と巴もそれに倣い、柄杓を手に取り、口を漱ぎ、手を清めた。
 滾々と湧き出る水は、夏の水とは思えぬほどの冷たさであり、特別な場所に来たのだということを兄妹に再確認させる。
「なぁ、円」
 先に終え、手持ち無沙汰に空を眺めていた円は洋輔へと視線を下ろす。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか? 僕は訊きたいことがたくさんありすぎて、何から訊いたらいいかわからない……」
 口を漱ぎ終え、口元を腕でぐい、と拭いながら円を見る。
 円は視線を合わせず、水の湧き出る水面を見つめていた。
 若干の沈黙、そして洋輔が再び口を開く。
「僕ははじめ、久しぶりに遊びに行く程度の気持ちだったんだ。ここのところ立て続けにいろいろあったし……」
 ちらりと横目で巴を見る。
「けど、昨日の夜、あんなことがあった……これって絶対おかしいよ。昔、ばあちゃんがいろんな不思議な話をしてはくれたけど、ずっと御伽噺だと思ってた。けど……わぷっ!?」
 洋輔の言葉を遮ったのは巴、正確に言えば、巴のかけた手水の水である。
 手を柄杓で濡らし、爪を弾くようにして洋輔の顔めがけて水滴を飛ばしたのだ。
「ちょ、こら、巴、何すんだっぷわっ!」
 巴の連続攻撃は続く。
 なんとか逃げようと後ろに下がるが、そこは狭い手水舎、背後にあった柱に頭をゴンとぶつける。
「ぐ、ぐお・・・・・・はぁ、う、あぁ……」
  無防備の後頭部への自爆は効いたのか、奇妙な呻き声をあげて蹲ってしまった。
「わ! ご、ごめんごめん、お兄ちゃん。だいじょうぶ?」
 ぱたぱたと巴が駆け寄る姿を円はポカンと見ている。
「ぐぅ……久々のクリティカルオウンヒットだ……。不意打ちは……脊髄反射に……よくないぞ……」
 したたかに打った後頭部を撫でられながら苦しげに漏らす。
「……余裕があるのかないのか、どっちかにしなさいよ」
「ここは漢としての威厳を見せるとこに決まっているだろ。そうじゃないと巴に愛想つかされ……はっ!? ま、まさか、既に愛想が尽きてもういらないとばかりに思う巴とそれを利用して昨日の夜の復讐を果たし僕を亡き者にしようというドロドロな展開かつそれとは裏腹に僕を巡っての激しい愛の昼ドラがここにぃっ!!」
 打ち所が悪かったせいか、いつもにまして早口で強引な展開が脳内から口外へと漏れ出す。
「お兄ちゃん……わけわかんないよ……。って、そうじゃなくって!」
 脱力しかかった巴はなんとか持ち直し、未だにうずくまっている洋輔を見下ろす。
「もー、円が困ってるじゃない。お兄ちゃんはいつからそんなイジメっ子になったのっ! それに、煌さんが教えてくれるって言ってるし、もうすぐじゃない」
 本人は怒っているのだが、表情はついていかず、拗ねている子供に見える。
 オプションで腰に手をあて気持ちふんぞり返っているのがさらにアンバランスである。
 おお、我が妹よ……どうしてそこまでこの兄を苦しめるのか……。
 馬耳東風とはこのことか、巴の言葉は届かず、視覚で得られた情報だけが洋輔の頭を支配していた。
 無論、別の意味で苦しんでいるのは言うまでもない。
「お兄ちゃん? ……聞いてるの?」
 少しだけいつもと違った声色に、はっと我に返る。
 ―――ヤバイ
 巴の瞳に妖しげな光が灯るのを見逃さなかった。
 日常の経験として、大抵のことは許してくれる巴だが、それでもそれが通らない場合もある。
 今、まさにその状態になりつつあるのだ。
「う、うん……わかった、僕が悪かったよ、ごめん」
 身に迫る危機を察知したのか、懸命な判断だ、巴と円に向かって素直に謝る。
「べ、別に謝られる……こと、じゃないわ。煌兄が本殿でこっち見て待ってる、行きましょう」
 そう言って円は、本殿へと歩き出す。
 見ると本殿の扉の前で煌がゆらりと紫煙をくゆらせていた。
 遠目ではっきりとはわからないが、なんとなく生暖かい視線を向けられていることだけは感じられる。
「うわ、なんかコウ兄、イっちゃった目してるぞ」
 我が身は棚に上げ、先に行く円の後を追う。
「あ、お兄ちゃん、待ってっ」
 巴が小走りに追いかけ、それを洋輔が振り返った瞬間―――
バチンッ!!
「うわっ、なんだっ!?」
「「えっ?」」
 歩いていたところへ突然の衝撃。
 一瞬だけ見えた紫電のような光は振り返っていた洋輔には見えておらず、驚きの声に反応した巴と円だけが見ていた。
 追いついた巴がハテナマークを浮かべる洋輔の横に立ち、周辺をパントマイムのようにして確かめ、そして一緒にハテナマーク。
「煌兄っ! ちょっと来てっ!」
 冷静にそれを見ていた円が呼び、自らは洋輔たちの下へと向かう。
 煌も先程の光景を見ていたのであろう、既に向かっていた。
 仲良く首を傾げてハテナマークを浮かべる兄妹のところへと。


「―――まったく」
 煌が大げさに溜め息をつくと、じろりと視線を洋輔に送る。
 本日何本目だろうか、口元には新しい煙草が咥えられ、微かに青を含んだ煙がゆらゆらと揺れている。
「な、なんだよ。僕が何かしたみたいに……」
 その言葉を聞いてか、円もやれやれといった視線を投げつけてきた。
「うぅ……僕、なんか……したの?」
 阿吽像に見下ろされているような、そんな錯覚を受けながら自分の行動を振り返る。
 うーーーーん、わからん。
 何かにぶつかった、いや、ぶつかったというよりも弾かれた感じがしたんだけど……。
 先程の場所を見る。
 何度見てもそこには何もなく、未だに不思議がって巴がパントマイムを続けているだけだ。
 ほわ〜ん。
 あぁ……かわええ……そのしっぽ、掴んでいいかい、巴……。
 兄の思惑に気づくはずもなく、パントマイムを続ける巴の束ねた髪は、ふりふりと愛らしく踊っていた。
「あいたっ」
 ぺちっと円が頭を叩く。
「あんたね……ちょっとはマジメに考える脳みそくらいストックしときなさいよ」
「ってーな。いいじゃんか、可愛いんだからっ! で、なんだよ、僕にはさっぱりだぞ」
 たいして痛くもない頭をさすりながら、恨めしそうに円を睨む。
「……仲いいのな、オマエ等」
 いつ口を挟んだものかと傍観していた煌がボソリと呟くと、慌てて円が抗議する。
「なっ、あんたはちゃんと目と耳ついてんの!? っていうか、今までの流れからどうやってそんな答えを導き出したのよっ!!」
 ぐわーっっと捲し立てる。
 煌はひょいと肩をすくめ、話を続ける。
「あー、落ち着け。まぁ、実際、話がそれたな。それで、だ、洋輔。お前がぶつかったのは結界だ。それもとびきり上等のな」
「結界?」
「そうだ。まぁ、これで予想外の出来事が全部納得いったんだがな。いいか、説明するからよく聞けよ。……あー、巴、そんなとこでパントマイムの修行してもデビューは遠いから、お前もこっちこい」
 潮時(?)と思っていたのか、巴は頷くとトテトテと歩いてきた。
 何? と円を見るも、首を振られてしまい、大人しく煌の言葉を待つ。
「まず、少し時間を戻すが、さっきの使い魔、あれは分相応のヤツだった。結界を壊す力もない、ただの偵察。それなのに結界が次々と破られた……それじゃあ一体、結界を破ったのは誰の仕業なのか」
 細い手がまっすくに挙げられる。
「はい、センセー」
 その声は巴、最初から趣旨を理解していない彼女は、まるで授業を受けている生徒のように質問をする。
 ん、と煌が顎で指すと巴は手を下ろし、すっと前に出ると自分の考えを言葉にした。
「わかりません」
 それだけ。
 どうやら本人はウケを狙っていたようだが、狙いどころが悪いようだった。
「巴、無理に洋輔を真似るな……というか、お前はこっち側の人間でいてくれ」
 へへ、怒られちゃった、と洋輔に囁くと自分の持ち場に戻る。
 ネタでも浮かんだのか、負けじと洋輔も挙手すると、煌は洋輔を指さし、正解! と拍手。
 見れば円もにやけ顔ながら拍手していた。
 巴もわからないまま、流されるようにとりあえず拍手をしておく。
「そう、犯人はお前だ、洋輔」
「へ?」
 惚けた顔のまま煌を見る。
 煌は短くなった煙草を一吸いすると、ごそごそと携帯灰皿を取り出して火を揉み消す。
「えっと……僕?」
 円に視線を移すも、腕組みをし、目を瞑ったまま頷かれてしまう。
「さて、以外とあっけなかったな。という訳で、俺達は先に行ってお前が通れるように頼んでくる。それまで大人しく待ってろ」
 言い放つとさっさと本殿へ向かって歩いていってしまった。
「それじゃねー」
「えーっと……お兄ちゃん、あとで呼びにくるね」
 二人の少女もそれだけ言うと煌の後をついていった。
 目と鼻の先にある目的地、本殿。
 洋輔はしばらくの時間硬直していたが、その場にしゃがみ込む。
「うぅ、しどい……なんか最近、みんな僕に冷たい……」
 夏の抜けるような空。
 辺りには蝉のコーラスが響き渡り、高い太陽は射すように光を降らせている。
 そんな神社の片隅、半泣きで背中を丸め、地面にのの字を書く情けない青年の姿だけが残っていた。

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