■鬼刃〜オニノヤイバ〜■
■開巻劈頭■ |
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街の中心をはしる国道から外れること数キロ。 最近の開発により、大抵の山や森はその姿を消し、路が切り開かれている中、ひとつだけ残る森がある。 それは平地から小高い山中へと続き、今もなお、その森の付近だけは手付かずのまま、地方都市の外れにひっそりと、古くからの姿を残している。 山の中心部には神社があり、参道へと続く細い道は木々に囲まれ、数本の大きな鳥居が立っている。 奥へ進むほど森に侵食され、半ば鳥居の姿が隠れているものすらある。 鎮守の森。 人の手によって作られたとされる森。 しかし、封じられたモノが何であるかを知る者は少なく、参拝に来る人はほとんどいない。 その細い道を歩く人影が二つ。 一人は細身の青年。 半袖の白いシャツに深いブルーのジーンズ。 肩には小さめのバッグを背負い、きょろきょろと森を眺めながら歩いている。 もう一人は長い髪の女性、いや、少女と言ったほうが正しいだろうか。 淡い色のデニムのショートパンツと紺のシャツ、その上に薄手のジャケットを羽織り、さらさらと流れる黒髪は首元から二つに分けられ、歩を進める度にゆらゆらと揺れている。 後ろ手にボストンバッグを持ち、頭一つ分背の高い青年の2、3歩先をゆったりと歩いていた。 「へぇー、ここって以外に涼しいんだな」 道を覆わんばかりの木々から目を離し、目の前で揺れる2本の束を見る。 チリチリと肌を焼く夏の紫外線も、ここまでは届かない。 太陽が一番高い時刻ですら、しんと静まりかえった森の中では曖昧に感じられた。 「ここは木に囲まれてるからね、何の遮蔽物もない街中よりはずっと涼しいわよ」 前を歩く少女はわずかに差し込む木漏れ日の中、振り返る。 「出掛けに絶対干からびるって思ってたんだけどな。円が最初から言ってくれれば変に気合なんて入れなかったのに……」 揺れる束から当人へ、少しばかり拗ねた瞳を向ける。 いわれのないグチを聞かされた少女、巴は、はぁ、と溜め息を漏らし、くるりと向き直って再び前を見る。 「結局そんなに歩いてないじゃない、ぐちぐち言ってないで行くわよ。この辺でそんなことを言って、この先どうするつもりなんだか……」 「って、ここまでだってバスで来れただろう? 僕はずっと歩くのかと思って半分自棄だったんだぞ?」 歩いている途中、神社を通るバスを見つけ、うまい具合に距離と時間は短縮できている。 停留所ではなかったため、本来なら止まることのないバスであったが、青年が遭難者の如く手を振り、たまたま気のいい運転手が乗せてくれただけのことである。 当然巴は他人を装っていたが。 「……あんな恥ずかしいこと、よくできるわよね。できれば一緒の外出は悉く遠慮したいわね……」 その時の恥ずかしさを思い出したのか、右手で顔を覆う。 「ふん、目の前に落ちている札束で分厚く膨れた財布があったとする。それを見て見ぬ振りをして歩くようなもんだぞ? そんなバチ当たりなことができるか」 「洋輔……あんた、警察に届けずにネコババするタイプね……」 「なにおぅ? ちゃんと届けて一割貰うに決まってるだろ」 自分の主張の正当性を信じきっている青年、洋輔は誇らしげに胸を張る。 あまりの自信に円の言葉はなく、可愛そうな小動物を見るような瞳が返事を返していた。 「でさぁ、それよりも……」 洋輔の言葉に足を止め、再び振り返る。 「ん?」 「ちょっと……休憩……しない?」 言うが早いか、道脇の木に身体を預け、座り込んでいた。 ごそごそとバッグの中を探るとペットボトルを取り出し、勢いよく飲む。 「んぐっんぐっ……プハァッ、くーーーっ!」 どこか親父クサイその仕草に円は脱力する。 「あんたねぇ……たいして歩いてないでしょ? というか、運動不足も大概にしなさいよね」 自分だけ立っているのもどうかと思ったのか、隣に腰を降ろす。 少し心配する様子で洋輔を覗き込むが、うな垂れている彼は気づかない。 「なんかこう……夏バテってのかな、歩いているとダルイわ、疲れるわで……」 言いながら見上げると、覗き込んでいた円と目が合う。 「……」 先程までとは違った、真剣な眼差し。 なんとなく照れくさくなり、ふい、と目を逸らした。 「いや、まぁ、大したことは無いんだけどね。今日は栄養のつくモンでも食うとするよ」 頭をポリポリと掻きながら、横目でチラリと円を見るが、未だに真剣な眼差しは変わらない。 「……そう」 一言、呟くように言うと立ち上がる。 「そこまで酷いわけじゃないみたいだから、もうちょっと頑張って。もうすぐ階段が見えてくるから、そこから境内に入ってすぐよ」 「りょーかい」 軽い返事と共に洋輔も立ち上がり、二人は再び歩きはじめた。 その上空から覗くモノに気づくことなく。 やっとの思いで百数十段はあろう階段を上るりきると、そこには一人の女性を囲むようにして立つ数人の女性と黒いスーツ姿の男が立っていた。 「お兄ちゃんっ、円っ!」 突然の声は、二人へ向かって走ってくる少女から発せられたものだ。 社の方向、ちょうど女性達が立っている後ろから走ってきている。 「え? 巴?」 「なんだ? 遅かったから……お、怒ってるのか、アレは」 二人の声に気づかないまま、水色のワンピースを翻らせながら二人の元まで来ると、その手を掴んで後ろへと引っ張っていこうとする。 「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、巴」 数メートルほど引きずられた後に踏みとどまり、巴を見る。 どちらかと言うと背の低い巴では、二人がかりで足を止められては自分の足も止まらざるを得ない。 しかし、巴の表情からは何か切迫したような様子が感じ取れた。 それに気づき、洋輔が穏やかに声をかけた。 「ちょっと待て、巴。何があった? 僕達はそっちへ急いで行かなくちゃいけないのか?」 じっと瞳を見ながら話されたので我に返ったのであろう、二人の手を離す。 そしてスーツの男が見据える先、先程まで洋輔たちが上ってきた階段の方角を見る。 「煌さんが……。 巴は心配そうな眼差しで洋輔を見上げ、その手をぎゅっと握る。 おそらくは自分で言った言葉をあまり理解していないであろう、普通の生活をしている彼女には隠やら結界やらは無縁の存在だ。 「結界?」 洋輔は訝しげに眉を寄せ、考え込む。 確か昨日、コウ兄も結界とか何とか言っていた。 そして、あの得体の知れない何かも……。 ―――2、3日中に教えてやる あの病院での一件、その後にコウ兄はそう言って口を閉ざした。 腑に落ちない点ばかりだったが、それでも自分では想像すらつかない。 昔、婆さんが生きていた頃に不思議な話を教えてもらったことがあったが、予備知識にすらならなかった。 一体、僕の日常はどこへ行ったんだ? 一瞬の、思索の迷路から現実へ戻ると、変わらない巴の瞳が洋輔を見つめていた。 「大丈夫だ。コウ兄もいるんだ、それにここは―――」 ここは? 自分の口から出そうになった言葉に戸惑う。 ここは……なんだっていうんだ? 「煌兄……何か掴めたの?」 洋輔の思考を断ち切るように、円が男に、煌に言葉を投げる。 煌はその言葉に振り返ることなく、返事だけを返す。 「昨日の今日だってのにな……結構熱心な連中だぞ、まだ叩かれ足りないらしいな。わざわざ不可視の法をつけてこっちを追っかけてきやがったぞ……モテる男はツライな、洋輔」 「僕かよっ!?」 そのツッコミを期待してか、ちらりと後ろを振り返ると、口元を弛める。 「あながち間違いでもないんだけどな。それにしても―――」 再びその視線を前方、その空中へと移す。 カキンと小気味いい音を立ててジッポーを開けると、いつのまに取り出したのか、咥えた煙草に火を点ける。 肺いっぱいに吸い込んだ紫煙を吐き出し、指に挟んだ煙草で空を指す。 「見えないだろうが、あそこに"いる"。おそらくは適当にみつくろった下僕、使い魔だろう、大した圧力を感じられん……それでも、結界を破ってきたのは事実だ。向こうにはよっぽどの輩がいるんだろうな、ここまでに数枚の結界があったが、それを悉く破り、その上で不可視を続けていられるんだからな」 数秒の沈黙が辺りを包む。 その言葉に続く者は誰一人としていない。 彼の後ろに控えるように立つ女性達も、黙って同じ空の一点を睨みつけていた。 「どう……するの?」 沈黙を破ったのは円、ゆらりと煌の横へと並ぶと彼を見上げる。 その両拳は硬く握り締められている。 「……ここ最近、これだけの結界が破られたことはないそうだ。ま、ここから先はハンパじゃない結界がある、それこそ、周りのヤツとは桁が違うモンだがな」 返事としては的を得ていないものだったが、代わりに後ろに控えていた女達が動く。 「……よろしいですね?」 女性達の中央から声が発せられる。 咥え煙草のままに煌が頷くと、20代半ば程の女性が前に出た。 はっきりとした目鼻立ちに涼やかな双眸、肩口で切りそろえられた栗色の髪は歩を進める度に軽やかに揺れる。 肩には薄いストール、手には文庫本ほどの大きさの革表紙の本が握られていた。 「……摩琴?」 円が口を開く。 摩琴と呼ばれた女性は軽く会釈をすると、本を胸元で開き、一瞬空中を見据えたかと思うと、すっと瞳を閉じた。 「えっ? ちょっと、なんで摩琴がここに―――」 言いかけたところで煌の手が円の言葉を制した。 「おとなしくしてろ、詠唱に入る」 円は眉間にシワを寄せたが、その言葉通りと察して大人しく下がった。 「――― その口から紡がれる言葉に、辺りの音は全て消え去った。 「program start......checking sysytem configuration varsion GoldBerry......」 静かに広がる言葉と共に、開かれた本から光が漏れる。 「"GoldBerry"正常開始―――環境変数設定完了」 金色の光はいつしか形を持ち、手のひら程の楕円をいくつも作り出す。 そして幾重にも重なり、本の10cm程上に黄金の輪を作りだした。 摩琴は瞳を開け、その輪の中心に指で文字を描く。 指の軌跡は黒い線となり、その楔のような文字を浮かび上がらせた。 その形は右側だけの矢印が中心から上下に伸びているような形。 「―――EOH」 静かに、摩琴が呟くようにして言葉を放つと、それまで空中で微動だにしなかった黒い線は目にも止まらぬ速さで空へと飛び去り、ガという、何かの声のようなものと一緒に消え去った。 すると、黒い線の消えた場所から黒い何かが石畳の上へと落ちてきた。 ドサ、と落ちたソレは烏のようだったが、瞬く間に塵となり風に消えていってしまった。 「なんだ……今の……」 それまでの話についてこれなかった洋輔の呟きは、パタムと摩琴が閉じた音に掻き消されていった。 |