■鬼刃〜オニノヤイバ〜■

■出発■
―――ピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピッ

「……」
 無機質な電子音。
 まどろむ意識の中で、それは遠くから聞こえてくるようだった。
 音を発する原因を本能で止めんが為、腕を伸ばす。
 2度3度と空をきった後、4度目にして目標に到達、公判中の弁護士よろしく、意義有りっ! とでも聞こえてきそうな勢いで目標に手を叩きつける。
 途端、辺りには静けさが戻り、再び安息の時間が戻ってきた。
 目覚しで強制的に起こされた後の布団は、どうしてこう、楽園の如く幸せに包まれているんだろう……。
 どうせ今日も夏休み、もうちょっと寝ていることにした。

―――朝だ、ゴルァ! 起きろ、ボゲェ! 

「ぬおっ!?」
 ドスの利いた、太い男の声が突然発せられた。
 な、な、何事っ!?
 がばりと布団から跳ね起きて辺りを見回す。
 が、誰もいない。

―――朝だ、ゴルァ! 起きろ、ボゲェ! 

「ひぅっ」
 続いて何やら途方も無く情けない声。
 ……僕の声なんだけど。
 そこでようやく我にかえり、枕元の目覚し時計のスイッチを押す。
 くあぁ〜っと大あくびを一つした後、腕を組んで、ふむ、と先程の騒音の元凶を眺める。
 僕の部屋に似つかわしくない、ファンシーな目覚し時計。
 ちょこんと行儀よく座っている真っ白な兎をかたどっている
 これは昨夜、巴が"一番利くヤツ頼む"という僕の言葉によって貸してくれたものなのだが……。
「まさか……こんな無駄ギミック搭載とは……」
 たまに巴の部屋に行くことがあるのだが、その都度こういった妖しいアイテムを発見する。
 これも巴のコレクションの一つなのだろう、なぜか世界の一歩先を行くアイテムを持っている。
 今回の逸品は、始めは電子音を鳴らし、仮スイッチで止まる。
 そこで起きて本スイッチで機能を止めればいいんだが、その行為を怠ると先程の惨状が繰り返されるというもの。
 現在、うさぎの顔は首から捲り上げられ、フードのようにその背中へいっており、その下から般若のような顔が現れている。
「……巴」
 何も言うまい……強く、まっすくに生きるんだぞ。
 何かヤバイものに見られているような気がするので、うさぎの顔を元に戻し、再び布団へと倒れこむ。
 7時起床なんて……ありえん。
 シニカルな笑みを残し、僕の意識は3度目のまどろみへと落ちていった。


―――ぇ…け?…ぇって…もぉー

 牛、牛が、いる。
 よ……よーでる。
 現実とアッチの世界の境界で、僕は漂う。
 子守歌のような声と子供をあやすような揺れ。
 ……至福。

ボスンッ!

「ヴォッ」
 奇妙な声と共に目覚める。
 何を隠そう、僕の声だ……断末魔に近い。
 無防備な腹部へ、強烈な重力攻撃を食らい、つぶらな瞳は飛び出そうなほどに見開き、手足は強張り、ピンと伸びきっている。
 その瞳の先に捕らえるは、仁王立ちの少女。
 そうか、ヤツの仕業か、先日といい、僕の腹部に多大なる興味があるようだな。
 どれ、ひとつ、年長者として教育をしてやろう。

―――パクパクパク

 はっはっは、最初から呼吸ができていないのさ、残念だったな、僕!
 無駄に回転のいい脳は現実逃避をしていたが、現実を見せ付けられ、敢え無く帰還する。
「あ、起きた?」
「るわっ!!」
 本当は、起きるわっ!! と叫んだのだが、声が出たのは途中からだった。
 ようやく呼吸のできるようになり、生ぬるい空気を胸いっぱいに取り込む。
「何回呼んでも揺すっても起きないんだから……そもそも、脳みそが腐ってるんだから、土に還っちゃうわよ」
 腐ってないっ、溶けてるんだっ!
 譲れない境界線をはっきりと提示しておいた。
 イロイロと勝てそうにないので心の叫びなのが残念だけれど。
 身体を起こすのに邪魔なボストンバッグを横に置く。
 これが今回の殺人未遂の全貌だ。
 って、これは僕のじゃないな、誰のだ?
 と、興味深々のところを円に奪われる。
「ほら、さっさと起きる。家に来るだけならまだしも、社まで行くんだから」
 社?
 可愛く首を傾げると、哀れむような視線が降ってきた。
「ほら、やっぱり半分土に還ってるじゃない。い〜い? 今日は社に行くの、鬼塚神社!」
 そうだった、昨日の夜に、確か神社に行くって話を京としたんだった。
 やべ、寝坊しちまったか……。
 円の横に鎮座する兎の時計は11時、豪快な2度寝だった。
 それにしても、だ。
「なんだ、円、待っててくれたの? どうせならもっと早く起こしてくれればよかったのに。どうせ今みたいに起こすんだろうし……」
「……」
 何気ない一言だったが、返事は返ってこなかった。
「なぁ、円……」
「ほら、さっさと顔あらってきなさいよ、私は下で準備してるから」
 言葉は途中で遮られ、言葉通り円は一階へ降りていった。
 何かおかしい……。
 腕組みをしたところで思考を止める。
 このままでは、またいつ襲撃を受けるやもしれん。
 そそくさと布団を押し入れに放り込み、身支度を整えることにした。


「やぁ、おはよう」
 すっかり身支度を整えた僕は、リビングのソファーでTVを眺める円に、勤めてさわやかな挨拶をした。
「はい、おそよう。じゃ、さっさと行きましょ」
 そっけなく返事をし、隣に置いてあった先程のボストンバックを手に取り、上着を羽織るとそのまま玄関へと向かう。
 先程まで一生懸命に磨いた歯、そして光の角度を計算してまで練習した、キラリと歯の光るプラチナスマイルに目もくれず……。
「しょんぼり」
 落ち込んで一言呟くと、その後を追いかけた。


 空は快晴。
 ほぼ真上まで昇った太陽は、容赦なく大地を照らし、ゆらめく水溜りを作り出している。
 ところどころに高く聳え立つ入道雲がある以外は日差しを遮るものはなく、文句なしの真夏日だ。
「お〜い、まどかぁ」
「ん?」
 円は空に手をかざし、目を細めて眩しそうに太陽を見ていた。
「実家って確か、結構近かったよな?」
 太陽を背に、円がこちらを振り向く。
「そーね、多分、電車で30分くらい、そこから歩いて20分くらい……かな?」
「そか、じゃ、駅まで歩いて15分、1時間以内に到着だな……行くか」
 さすがにここまでの炎天下の下、うだうだ歩いていたら干からびる。
 もう少しの辛抱だ。
 空調の効いた家から出たとたんに弱音を吐いている自分に喝を入れ、駅へ向かって元気よく歩き出す。
「そうね。でも、時間的に待たせてるだろうから、家についたらすぐ社に向かわないと」
「だな」
「社かぁ……そっちの方が遠いのよね。煌兄達と一緒なら車ですぐなんだけど……ま、歩いて1時間以内だし……急ぎましょっか」
 マテ。
 あいや、しばし待たれい。
 1時間だと? この暑い中を?
 干からびて死ぬわぁっ!!
 呆然と炎天下に立ち尽くす中、円はズンズン先へ進んでいた。
「もー、ほらぁ、何してんのよ。そんなトコにいると干からびるわよ」
 鬼教官が追い討ちをかける。
 くそ、こうなったらヤケだ。
 どちらにしろ干からびるなら、未来に希望を繋ぐっ!!
 決意を新たに、円の後に続いた。

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