■鬼刃〜オニノヤイバ〜■
| ■休息■ |
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| 僕は動けないでいた。 円に駆け寄って手を差し伸べることも、コウ兄に先程の出来事を問いただすこともできずにいた。 アレ等は何だったのか、そして僕は本当にここにいるのか、夢を見ているんじゃないのか。 そんなことが頭の隅で激しく動き回り、ただただ呆然と立ち尽くしていた。 静寂の中、キンッ、とコウ兄が新しい煙草に火をつける音だけが響く。 ふぅー、と紫煙を吐き出した後、めんどくさそうに呟いた。 「ま、予定が一日繰り上がったが……たいして問題はないだろう」 両足を豪快に縁側の外へ投げ出し、両手を後ろ手について空を見上げる。 そうして、くわえた煙草の紫煙で霞む月を見上げていた。 そのコウ兄の顔を見て、はぁ、と溜め息。 とりあず、終わったようだし、時間は……こんな時間だけど、どうせ眠れないだろうし……どうしたもんか。 そうだ、円! 最後にみた円は疲弊しきった様子だった。 疲れているところに、なにか大技っぽいのを使ったみたいだし、それに何より辛そうだったし。 ―――ザッ 音に振り返ると、円がよろよろと立ち上がろうとしていた。 ポロポロと剥がれ落ちる右手の小さな鱗。 親指の爪ほどのそれは、地面に落ちるとともに崩れ去り、さらさらと風にのって消えていった。 あれは相当だな……。 よく見れば、額には玉のような汗が浮かび、流れるようだった前髪が張り付いている。 急いで駆け寄って、その肩に手をまわす。 「大丈夫か?」 鬱陶しそうにこちらを一瞥した後、素直に体を預けてきた。 どうやら抵抗するのも億劫なくらいに力尽きているらしい。 しかし……軽いなぁ、コイツ。 預けてきた身体は、驚くほど軽く、頼りない。 さっきまで、あれほどのバケモノをぶん殴っていた腕は、今は年相応の女の子の腕だ。 白く、すっと伸びた指先、僕の腕より細くて……でも。 ちらりと隣の横顔を覗き見る。 僕達の身長差は頭一つ分、少し屈むかたちで寄り添うようにしている。 「……血」 「ん?」 「血、つくから……いい」 そう言って離れようとするが、その行動は怪我をした腕を見せているようなものだ。 さほど深くは切れていないようだが、さすがに手当てはしたほうがいい。 そこで再確認する、コイツはヤツ等と正面からの真っ向勝負をしてたことを。 「そうだな、とりあえず、手当てしないとな」 よっと声に出して反対側から肩に腕を通す。 「……ふん」 不機嫌そうに顔を逸らす。 その横顔は、普通の女の子だ。 ……ちょっと、いや、かなり可愛いかもしれないのは、この際置いておくとしても。 さっきのことは円の様子が落ち着いてから聞くとして……。 「情けねぇよなぁ……」 ポツリっと小さく漏らす。 こんな女の子に戦わせておいて、自分だけ後ろで見ているなんて、漢のすることじゃねぇよなぁ。 やっぱり女の子は守ってあげないと。 自分の置かれた状況はそっちのけで、そんな当たり前のことを考えた。 当たり前の消えてしまった現実の中で……。 円は顔を逸らしたまま、歩く間は一言もなく、表情は見えない。 コウ兄は、はぁ、と溜め息と紫煙の混ざったものを吐き出していた。 さほど遠くない距離、ようやく縁側まで連れてくると、円は仰向けにゴロンと転がった。 「はぁぁぁぁー」 その肺に吸えるだけの空気を吸い込むと、勢いよく吐く。 そうだろう、あれだけのことをしたのだから……。 先程までの考えが頭に戻りかけたが、それよりも気になることがあった。 「そうだ、傷」 ゆっくりと、胸を上下させて深呼吸している円の腕をとる。 「あれ?」 ぐったり深呼吸中の本人は、振り払う元気もないらしく、すんなりと患部での確認はできた。 できたのだが、その……傷がなかった。 先程見た場所と違ったかな、と他を見ても外傷はなし。 あるとすれば……左肘の付け根から10センチほど、何かで引っ掻いたような、赤い筋が一本あるだけだ。 うーむ、おかしい。 さほど深い傷ではなかったにしろ、僕ははっきりと見た。 それに円も言っていたじゃないか、血がつくから、と。 ここでもない、ここでもない、と目的と手段が入れ違いになりつつも傷跡を探していると、円が腕をぐいっと引っ込めた。 「あんた……なんか目がヤらしいいわよ……」 「なっ」 身を起こし、軽くスウェーをするようにして僕から距離をとる。 その瞳は奴隷を見るかのようで、少し冷めていた。 奴隷……。 ど、奴隷だとぉぅ!? こ、これが世に聞く、恋の奴隷ってやつなのかっ!? ぐ、ぐおぉーっ、この僕の汚れ無き純情は弄すでに手の平で阿波踊りなのかぁっ!! うがー、と頭を両手で覆う。 深夜の為か、暴走はいつもよりヒートアップし、妄想の翼は大きく、軽やかに羽ばたいていた。 一通り悶えた後、円とコウ兄が何やら話しをしている声で現実へと帰還する。 「そう、それじゃあ、もう……」 そう言って、円は俯き、下唇を噛んだ。 「ああ、だがもうすぐ夜も明ける。即席で造ったモンだが、その位は保持できるだろう。ま、気を落とさずに今は休め。あんな三下に手間取るのもしょうがない、原因はそれだしな」 俯いたまま、小さく首を縦に振ると、円はその場を後にした。 その姿を見て、悶えていた自分で言うのもなんだが、一気に冷静になった。 なんで僕はこんな状況でもバカをやっているものか、と。 僕がちょっぴり、ほぉーんのちょぉーっぴりおかしいとしても、これはあまりに不自然だ。 自分でもおかしいとは思いつつも、どこか余裕のある自分に違和感を覚えた。 そして、明らかに気落ちしていた円の後ろ姿に、何か声をかけたかったいや、かけるべきだったのだろうが、その何かが見当たらなかった。 と、何かを思い出したかのように、円はピタリと足を止め、そして、首だけをこちらへ向けて言った。 「そーそー、あんたのソレ、なんとかしなさいよね」 壮絶にアホな顔をしていたのだろうか、僕を見る円の顔は呆れ顔だったが、すぐに口元を弛めると、そのまま廊下の闇へと消えていった。 |