■鬼刃〜オニノヤイバ〜■

■少女■
 ……暖かい。
 左頬にやわらかな暖かさを感じる。
 ああ、ずっとこうしていたい。
 穏やかなまどろみの中、僕は安らぎを感じていた。
 でも、僕、なんで眠っているんだっけ……。
 徐々にまどろみから現実へと僕の思考は動き出しはじめた。
 ……。
 もうちょっと、もうちょっとこのままで。
 そんな自分の体を無視するが如く、やわらかく、暖かい枕に沈んでいった。
「う〜ん……んー……」

 ぺちぺちぺち……。

 なにかが優しく僕の頬を叩いている。
 ちょっとくすぐったい位だ。
 もう少し、もう少し眠らせてくれよ。
 子守唄のような歌声のような、何かそんなものが聞こえている気がした。

 すりすりすりすり……。
 僕は更なる眠りへ旅立とうと頬擦りをしながら深く落ちていこうとした。

 ごすっ!!

「んぐをっ!?」
 それまでの至極のやわらかく暖かい感覚が、突然衝撃と痛みにとって変わられた。
 驚いて……痛みに驚いて目を覚ますと眼前にはスカート、と冷たいタイル……。
「あ、起きた」
 声のした方向を見ると、そこには僕を一撃のもとに葬り去った(未遂)の美少女。
「さすが姉さん」
 隣には僕が崩れ落ちる寸前に見たような記憶のある少年。
 ……美少年?
 いや、残念だが僕はそっちの方はちょっと……。
 他をあたってくれ。
 脳はようやく覚醒したようだ、いつもの思考が戻ってきた。
「ね? だから言ったでしょ。コイツは昔っからこのパターンなのよ。狸寝入りかなんかじゃないの?」
 哀れみを含んだ視線が僕を捕らえると、少女は立ち上がった。
「いや、でも、姉さんのオハコを食らったんだよ? ……。昔から頑丈だとは思ってたけど、ここまでとは、ねぇ……」
 ……。
 なんだ?
 なんというか、酷い目に合ったわりには、さらに酷い言われような気がするのは僕だけか?
「ほら、洋輔、いつまでも寝てないで起きなさいよ、もう。家に帰れないじゃないの」
「う、うん」
 あれだけの一撃を食らったわりには何の問題もなく立ち上がる僕。
「はいはい、それじゃ帰りましょうかね」
「はーい」
 巴の返事を聞くと、母さんは事態の収拾を確認すると先立って部屋を出た。
 そんなところでひとつの疑問が浮かぶ。
 ……なんでこの子は僕の名前を知っているんだ?
 というか、この麗しの姉弟は誰だ?
 疑問が残る中、僕たちは母さんのワゴンに乗り込んだ。


「うーん……うーん……」
 思い出せない。
 というか、まず、大前提として、僕の知り合いなのか?
 麗しの姉弟と僕は久しぶりに主の帰ってきた巴の部屋にいた。
 十数個あるぬいぐるみに帰宅の挨拶を済ませた巴が、いそいそと用意したお茶やらお菓子やらをつついてくつろいでいるところだ。
 病み上がりとはいえ、よい手さばきよのう、我が妹よ……。
 そんなことを考えながら、相変わらず唸っている僕。
 と、隣でくすくすと笑う巴。
 そーだ、コイツに聞けばわかるハズだ。
「ともえ、ともえっ」
 小声で呼び、手招きをする。
「ん? 何、お兄ちゃん。やっぱりどっか痛い?」
 あくまでも病院での一撃を心配してくれる、できる妹の姿。
 ふぅ、安心したぜ。
 いや、そうでなく……。
「いやな、この二人は……誰だ?」
 一瞬目を丸くすると、またくすくすと笑い出した。
 ……わからん。
「お兄ちゃん、忘れちゃったの? まーちゃんと、けーちゃんだよ」
 ……まー、ちゃん、けー、ちゃん……。
 僕の脳内最大の検索エンジン、『知り合いくん』がうなりをあげる。
 ……。
 昔は毎年夏、避暑地に近い親戚の家にお邪魔していた。
 そこは古くからある由緒正しい神社で確か……鬼を祭っていた。
 記憶が古く、曖昧ではっきりとは思い出せないが、確かそうだ。
 神社の裏手に山があって、ひたすら駆けずり回って遊んだ記憶が……。
「そうか、まーちゃんとけーちゃんか!」
 僕の過去の記憶ががっちり一致する。
 擦り傷だらけになって日が暮れるまで遊びまわった4人の、当時の姿が浮かぶ。
「はぁ……。ま、そんなこったろうと思ったわよ」
 面倒くさそうに少女が呟く。
 そんな声はどこへやら、僕は少年の手をとり、懐かしさを一杯にかみ締めていた。
「久しぶりだなぁ、まーちゃん! 相変わらずオマエ、ちっこいまんまだなぁ、ははは」
 かれこれ10年になろうか、その位会ってない。
 なぜか10年位前に、ぱったりと行かなくなったのだ。
 その理由はわからず終いだっただ……その当時の面影は残っている。
 僕は嬉しくてぶんぶん音が鳴るくらい握手していた。
 が、彼は苦笑したような、ちょっと困ったようなそんな顔で言った。
「いや、洋輔さん、"まーちゃん"はあっち、私は"けーちゃん"ですよ」
 くすりと笑いながら指差した先には、脱力した感じの少女とお腹を抱えている巴。
 ……は?
 いや、まーちゃんは……男……じゃなかったっ……け?
「あんたねぇ……もうボケたわけ? まだ若いのにねぇ……月日は残酷だわ……」
 うぅっ、そ、そんなんじゃないやいっ!!
 そうは言うものの……僕の記憶では確か男だったはず。
 真偽をこの目で確かめるべく、彼女の前に行く。
「……なによ」
 怪訝そうな瞳で僕を見る。
 いつもなら、はうっ、も、もっとぉっ、とか言うハズの僕だが、今回はちょいとマジだぜ。
「あ、あの……。ま、まーちゃん……なの?」
「あのねぇ……もう、その呼び方やめてよ。……円さんとか、円様でいいわよ」
 くすり、と笑う。
 ……。
 くうっ、久しぶりに力のこもったボディーを貰った気がするぜ!
 先ほどまでの何か、少し棘のある雰囲気から一気に……そう、彼女の容姿に合った雰囲気へと変わる。
 ……。
 ……円さんはいいとして、様って……。
 いや、それも今はどうでもいい。
「だって……夏休みに一緒に遊んでたのは……」
「だーかーらー、私だってば」
 巴もくすくすと微笑む。
「いや、でも……一緒にお風呂に入っ―――」
 少女の顔に火が灯る。
 はっはっは、タコさんだー。
「げふぅ……」
 次の瞬間には再び僕の鳩尾に衝撃が走る。
 そこへ埋まっているのは、そう、彼女の小さな拳。
「こ、こんどまたそんなこと言ったらっ!! ……コロスよ?」
 瞳に狂気の光が見えた。
 苦しさに息もできず声も出ない僕だが、本能がそうさせたのか、コクコクと首を縦に振ることはできた。
 それを確認すると、ふんっと鼻をならし、巴の隣にぺたんと座ると、頭を撫でた。
「巴も大変よねぇ……こんなのが兄だと思うと……不憫だわ……」
 こんなのって言われた、こんなのって……めそり。
 そう、そしてここで我が渡辺家の至宝、究極の妹、巴の出番である。
 絶妙かつ、至高のフォローを入れてくれる。
「ううん、そんなことないよう。ふふ、円ちゃんだって、さっき病院でお兄ちゃんに膝まくひゃ」
 ひざまくひゃ?
 言い終わる前にまーちゃんは巴のほっぺたを引っ張っていた。
 くそう! それは僕のだ!!
「そーいうこと言う口はこれか? これか?」
「ふぉろかひゃん、ひらいひらい、ひっふぁっふぁひらいぃ〜」
 まーちゃんの瞳には先ほど僕を怯えさせた光が灯っていた。
 ……。
 渡辺家の弱肉強食のバランスがガラガラと音をたてて崩れ落ちていったような気がした。

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