■Angelic Feather■

■守護天使■
「イノっちぃ〜〜っ、行くよ〜〜っ」
 一際元気な声が家中をこだまする。
 今年て小学四年生になったばかりのカリノは、高学年ということがやっと頭に入ったようで、遅刻しがちな朝を忙しそうにしていた。
 が、余裕の表情で、玄関でトーストをかじっている。
 もちろん、本気でやっているわけではない。
 なんとなく、忙しい朝を演出しているだけだけである。
「……だからぁ、その呼び方、止めない?」
 そう口を尖らせながら二階の階段から降りてきたのは天使のイノス。
 五年前のクリスマスに、まだ小さかった女の子のカリノに見つかって以来、この家にやっかいになっている。
「もうっ! せっかく可愛い呼び名を考えてあげたんじゃない。文句言わないのっ」
 玄関で靴紐を結びながら、こちらも口を尖らせた。
 どうやら先程の呼び名は最近つけられたあだ名らしい。
「それよりほらっ、急がないと! また学校に遅刻しちゃうよぉ〜。もう、先生のお説教は耳にタコができるほど聞いてるんだからっ」
 両親共に家を空けがちのこの家には、もう一週間もこの状態が続いていた。
 カリノが小学校にあがった頃から、朝は一人で起きて支度をしている。
 本来ならば、夜更かしが得意の低血圧という、午前中が苦手な少女であるので両親が黙ってはいない。
 けれど、それでも一人で登校させているのはひとえにイノスのお陰である。
 毎朝毎朝、予定の時刻には必ずカリノを起こしているからだ。
 まぁ、一度で起きるようなカリノではないのでこの時間帯、そして遅刻寸前となってしまうのだ。
 ……一応、母親も出掛けに起こしにきてはいるのだが。
「一回で起きないカリノがわるいんだろぉ〜? ぼくは何回も起こしたのに……」
 もっともなグチだ。
 そう言いながらも、少しだけ楽しそうな顔をして階段のある場所をするすると滑り降りてくる。
 家の中でイノスが見つかったことはなかった。
 この家の住人でイノスが見えるのはただ一人、カリノだけだったのだ。
 それだけではない。
 この街で五年間も暮らしていて、イノスを見ることができる人間はカリノだけであった。
 それでも相変わらず身長は15cm程度で、白いローブを纏ったままの格好だ。
「ほらっ、もう出るから鍵閉めて」
 カリノは結び終わった靴の踵をトントンと鳴らしている
「ほ〜い。イノっちぃ〜、先に出てるから、今日もよろしくね〜」
 そう言うとカリノは玄関の鍵を閉めてしまった。
 イノスがまだ中にるというのに。
 その直後、閉めたばかりの玄関をすぅっと通り抜けてイノスが現れた。
「……相変わらずぼくが出るのが最後なんだよなぁ」
 ここまではいつも通りの展開。
 毎朝の儀式が無事に終了したようだ。
「ほらほら、は〜や〜くぅ〜。間に合わなくなっちゃうよぉ〜」
 カリノがイノスの方を向いて、両手をブンブン回して急かす。
 その表情は遅刻寸前の焦った顔ではなく、期待に満ちていてとても嬉しそうだ。
 イノスはやれやれ、といった表情ではいはい、今行きますよとカリノの頭にちょこんと立つ。
「よぉ〜し、しゅっぱぁ〜つ!!」
 カリノが元気な声をあげて道を駆け出した。
 しかし、その行く先は道から外れ、見晴らしのいい崖に出ていた。
 元より高台にあるカリノの家から学校は直線距離にして約一キロ。
 しかし、曲がりくねった道を進まなくてはならないので、まともに歩いていくと二キロ近くになる。
 現在時刻は……とうてい小学生の足で間に合う時間ではない。
 この状態でどう学校へ遅刻せずに行くか……。
 答えは実にシンプルだ。
「とうっ!!」
 断崖絶壁まで頭にイノスを乗せて走ってきたカリノが、「危険」と書かれた標識に目もくれず、その先にある柵を飛び越える。
 いかに天使が見える元気いっぱいのカリノと言えど、物理法則には逆らえない。
 一瞬空中で硬直したかと思うと、真っ逆さまに墜落していった。
「きゃははははははっ」
 ……ニュートンに喧嘩を売って惨敗したにもかかわらず、落下の真っ最中のカリノは大はしゃぎだ。
 オウ、ジーザス。
 明日の新聞には「登校途中の女児、崖から転落死」という、大きめのフォントで書かれた一面の見出しが、本人達の知らないところで準備されはじめた。
 ……が。

ファサッ

 それまで沈黙を保っていたイノスが不意に翼を広げる。
 すると落下速度は緩やかになり、まるでカリノが空中を走るようにして学校裏の林へ向かって降りていった。
「にゃははははははっ」
 あわや、明日の一面トップを飾るハメになるはずの少女はたいそう御機嫌だ。
 反対にイノスは仏頂顔である。
「まったく……。毎朝これじゃあ、いつか誰かに見つかっちゃうよ……。わかってるの?」
「きゃははははははっ」
 まったく聞いていない……。
「イノっちぃ〜〜、楽しいね〜〜っ」
 満面の笑顔を浮かべるカリノを見た瞬間、それまでのイノスの表情は崩れ、つられるようにして微笑みが宿った。
「ははっ」
「きゃははははっ、きゃぁ〜〜っ、にゃはははは」
 こうして天使の祝福(?)を得た少女は無事に学校へたどり着くことができた。
 めでたしめでたし。


「それじゃあ、お勉強してきま〜す」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「行ってきまぁ〜す!」
 そう言って元気良く登校していった。
 出かける時、帰ってきた時の挨拶はイノスの仕事となっている。
 普段から一人きり、そして無人の家にあるカリノと挨拶を交わすことは、イノスが一番と言っていいほど重要視していた。
「さて……」
 朝の一仕事を終えたイノスは、カリノの教室が見える木にふわっと飛び乗り、ちょこんと座ると到着を待つ。
 少しして、教室のドアを元気良く開けるカリノの姿が見えた。
 カリノは窓際の席に座ると、窓をカラカラっと開け、イノスを探す。
「ぶいっ」
 すぐそばの木にその姿を確認すると、右手で大きくVサインを作り、ニカっと笑った。
 イノスはその姿ににこやかな表情で手を振る。
 すると先生が入ってきてHRが始まった。
 カリノもイノスに手を振り窓を閉めると、イノスの午前中の仕事は完了した。
 ……お疲れ様である。


 朝のHRが始まってすぐに、イノスは学校の屋上にきていた。
 季節は初夏。
 穏やかな風が吹いていて、見晴らしがいい。
 イノスのお気に入りの場所だ。
 しばらく座り込んで景色を見ていたイノスだが、不意にパタムと仰向けになるとゆっくりと瞳を閉じた。
 実は、普段体を小さくしていることが精一杯なのに対して、こうやって空を飛んでカリノを学校まで送り届けるという作業はかなりの"チカラ"を要する。
 襲ってきた急激な睡魔に耐えられず夢の世界へと旅立っていった。


……ス、イ……ス……
 どこからか声が聞こえる。
 ああ、夢だ、とイノスはうつろな意識の中で感じていた。
「結局見つかっちゃったのね……」
 セラが溜め息まじりに言う。
「ごめん……」
 月明かりの中、カリノの家の屋根では天使の小さな反省会が開かれていた。
 メンバーは二人、セラとイノスだ。
 本来ならば天界へ帰るためにイノスを連れに来たセラであったが、予想外の状況に困り顔である。
「う〜ん……、こうなったら……しょうがないわよねぇ……」
 後ろで結んだポニーテールが、小首をかしげて考える度に左右にゆれている。
「……よし! 決定!!」
 突然セラが顔を上げた。
 その表情は真剣だ。
「これより、セラの名において、天使イノスに守護天使を命ずる」
「………え?」
 一呼吸遅れてイノスが返事を返す。
「だから、女の子の守護天使。まぁ、まだイノスには荷が重いかもしれないけど、天界の法規に照らしてみてもそうなるだろうし」
「え? え? えぇ〜〜?」
 まるで何が起こったかわからないといった表情でイノスが驚く。
 それはそうだ、つい先程までは"奇跡"として処理されると思っていたからだ。
「だってだって、姿を見られても"奇跡"として処理されるはずじゃあ……」
 そう、通常はそうなるはずである。
 だが、イノスは自分が取った行動が原因だということをわかっていない。
「通常は、ね……」
 セラがゆっくりと口を開いた。
「でも、あなたは"姿を見られる"だけではなく"コンタクト"を取ってしまった」
「あ……」
 そう、まさに原因はそこにある。
 奇跡として処理されるのは"天使としての姿を見られること"までなのだ。
「天使の姿を見ることができる人間……その人間に対して天使からコンタクトを取るということは、天使がその人間の守護天使になるということ。だからイノス、あなたはあの少女の守護天使としての任が課せられる……」
「…………」
 やはり自分はこんなに早く地上に降りるのではなかった……そうイノスは思ったが時既に遅し。
 直属の上官であるセラに任命されていまったのだ。
「大丈夫、そんなに不安な顔しないで。私もなるだけ見守っていてあげるし、それにあなたならできるはずよ」
 うつむいているイノスの頭を、そっと胸に抱きしめる。
「それにね、地上での研修と思いなさいな。こんな経験はなかなかできるものじゃないんだから」
 そう言って優しく髪を撫でる。
「……うん」
 セラの言葉に少しは安心したのか、イノスは顔を上げた。
「よし、いい子ね。それじゃあ、私もそろそろ戻らないと」
 イノスを離し、すぅっと翼を広げる。
「しっかりあの子を守ってあげるのよ」
「うん」
「いい返事」
 イノスの返事に満足そうに微笑むと、体と同じくらいの大きさの翼をファサっとはためかせ、次の瞬間には十メートルほど舞いあがっていた。
「それじゃあ……汝等の行く先に、幸いあれ」
 そう言い残して月明かりの中へと吸い込まれるようにして消えていった。
 一人屋根の上に取り残されたイノスは、その姿が消えて無くなるまでじっと夜空を見上げていた。

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