カウリーの森に行く 


ニュージーランドへ行く

1987年当時、ニュージーランドは遠かった。

夜9時に成田を出発し、昼の12時半にオークランドに到着するニュージーランド航空の直行便は週3便しか飛んでいなかったし、友人に頼んでJTBの社内割引で買ったチケットでも往復約20万円もした(正規料金では50万円を越えていた!)。

バブルの時代だったので、海外旅行もどんどん身近になっていった頃ではあったが、ニュージーランドへ行く日本人の殆どは、オークランドからクライストチャーチへまず飛行機で南下し、南島(マウント・クックやクイーンズタウンなど)で遊ぶというパターンだった。

ニュージーランドは小さな島のようにも思えるが、北海道を除いた日本列島とほぼ同じ大きさだ。1週間程度の行程では見て回れるところは限られてくるので、私の場合はターゲットをカウリー1本に絞っていた。

日本のニュージーランド大使館でも殆どカウリーの情報は手に入らなかったが、現地の日本航空オフィスを尋ねても何の情報も得られないまま、『巨木カウリーの森』に載っていた地図と記述だけを頼りにオークランドから北上することになった。

これを日本に置き換えると、“仙台に着いて、青森を回る”というようなものだろうか。ただし、ニュージーランドの“青森”には鉄道は通じていなかった。

翌日の朝9時にオークランド発の長距離バスに乗り込んだが、途中パイヒアで乗り換えて、北部の町・ケリケリに着いたのはなんと夕方の4時だった。

ともかく、ケリケリでレンタカーを借り、北島・北部の地図を買い、宿を探し(結局バンガローになってしまった)、なんとかカウリーに会いに行く準備が整ったのだった。

ニュージーランド全図


北島・北部のドライブ

なにしろ当時は殆どカウリーの情報がないため、とにかくまず北島・北部まで行ってみたのだが、今考えるとあまり効率的な移動ではなかったように思う。

まずケリケリに行ったのも、確かハーツ(レンタカー)の営業所を確認することができたという理由だった。しかし、結果として北島・北部をゆっくりドライブして回ることができた。


カウリーを見ることができる森は1ヶ所ではないが、場所がよくわからないので『巨木カウリーの森』の記述を頼りに、オマフタ渓谷とワイポウア森林保護区を目指すことにした。

東海岸のケリケリ、北端近くのカイタイア、西海岸のワイポウアの間を3日間かけてドライブしたことになる。
良く言えば自然を満喫したというところだが、延々と田舎道を走り続けてたまに町に出くわすという感じだった。
当然、羊や牛とはすっかりお馴染みになってしまった。


外国の知らない土地の知らない道なのに、なんと道標というものがめったになく、あっても注意していないと見過ごしてしまうものだったのには大変苦労した。

何度もクルマを停めて地図を確認し、時には道標に気づいて戻ったりしながらのドライブになってしまった。
自然景観を大切にしているとも考えられるが、実は観光客などは殆ど想定していないのではないかと思われた。


また、もちろん宿などは決めていなかったので、途中で町を通過する際にはホテルの看板を探し、道沿いにモーテルを見つけた時には位置をチェックしながらのドライブだった。

南半球にあるニュージーランドの季節は日本と逆で、7月というと冬にあたる。ただし、1年中温暖な気候のために厚手の上着などは必要ない上に、現地ではシーズン・オフとなるためモーテルは安かった。
確か2〜3000円で、写真のようなモーテルのキッチン・リビング付の部屋を借りることができたのは嬉しかった。


北島の拡大図

沿道の羊たち
見過ごしそうな道路標識
もっと見過ごしそうな道路標識
泊まったモーテル


オマフタ渓谷(Omahuta)

入り口のビジターセンター おおまかな案内図 不安になる散策路入り口 ちょっと安心する散策路入り口

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なんとクリーン・ボウルは54m! クリックして拡大 左下に散策デッキが見える クリックして拡大

倒れてしまっテ・コピーの残骸 倒れてしまったテ・コピー本体 横から見るとただの崖 上から見たテ・コピー

一度見過ごした看板 カウリーの切り株 カウリーの切り株に乗る


ワイポウア森林保護区(Waipoua)

道路脇の若いカウリー ここからタネ・マフタ:樹々の神 クリックして拡大

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ここからテ・マツア・ヌガヘレ:森の父 クリックして拡大 クリックして拡大

クリックして拡大 根元の看板前




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