この百年に一度とも言われている世界的大不況、予定より切り詰められたスケジュールでの厳しく慌しい製作進行と苦悩の末に書き上げられた脚本。それでもこの作品に賭けるスタッフや関係者の熱い気持ちを受け止め、あたし達脇役も気が抜けない。
放送期間が短縮された影響で、前半部分はとんでもなく詰め込まれた内容。三十分足らずの放映時間内に、原作の「ここは外せない!」と判断されたものをピックアップし、それを元に本来の原作の流れを超えて原作の二〜三巻分プラス四・五巻先の内容まで同じ回に組み込まれたものを、一回分の台本として渡される。
場面展開も場面転換も早く、キャストも沢山。それぞれのキャラが少し早口で台詞をこなすような、そんなジェットコースター並の放送が一月半ほど続いた。その結果、シャッフルされた演出で時間経過が狂いがちなあたし達は、時々休憩時間などにお互いの出番の前後を確認しあうのが習慣になりつつあった。
「えっと、次のあたしの出番は…、と」
あたしは手にした第十話以降の脚本に目を落とした。
「俺達はしばらくお休みが出来るみたいだね。まぁ、今の進行具合だと一〜二週間ってところかな?」
無事冥道編を撮り終えたあたしと琥珀は、そんな事を話しながら犬夜叉様やかごめ様方の撮影が終るのを、スタジオ前の自動販売機の横の椅子に座りジュースを飲みながら待っていた。
丁度、そこへ ――――
「冥道編、良い演技だったよ、りん。がんばったね」
そう声をかけてくれたのは、放送二回目で退場した神楽。
「あ〜あ、あたしも放送の尺さえあれば、もう一回くらいは出られたんだけどさ」
そう、大人の難しい事情のあれこれで、かなり変更しなくてはならない辺りが一番の出番だった神楽が割りを食っちゃって、出番を削られてしまった。あれは殺生丸様の見せ場に繋がるシーンだっただけに、あたしもちょっと勿体無いなぁって思っていたんだ。時間の流れも前後してたしね。
「ありがとう、神楽。うん、あたしもそう思うよ。六話目くらいまでは、なんだかすごく目まぐるしくて、本当のお話の順番がどうだったかな? なんて、悩んじゃうくらいだったもん」
「……それも、この不況の影響なんでしょう。これだけの実力揃いの共演者を長期間プールしておくには、制作費の問題もあるのでは……」
「まぁそれはあるかも、だね。ばっさりキャストを減らすまで、猛スピードで駆け抜けたって感じだし」
神楽も自動販売機に小銭を入れ、コーヒーを買ってあたし達の側に来て座る。
「神楽は、今日はどうして?」
「ん? あたしは別口の仕事。こう見えても、一応フリーアナウンサーって肩書きも持ってるし」
「へぇ、凄いな! かっこいい!!」
あたしの言葉に、神楽もはにかんだように笑ってくれる。
「仲がいいんだな、二人は」
更に、もう一人。あたし達に声をかける人物。
「あっ、桔梗様!!」
「お疲れ様です! 桔梗様」
あたし達は立ち上がり、ぴょこんと頭を下げた。
「久しぶり、桔梗。あんたの演技も、物凄く良かったよ。奈落への嫌悪感と、犬夜叉への恋慕、そのどちらも見事に表現し切っていた。あたしじゃまだまだ、足元にも及ばないよ」
「この作品が初めての仕事なら、これからもやってゆく事が出来ると私は思うが」
「ああ、またこんな機会に恵まれたら挑戦してみるよ」
録音中はぴりぴりした雰囲気もあるけど、終ればこんなにもほのぼのしちゃう。
だから、この仕事が好きなんだ。
「桔梗、あんた今日は録音かい?」
「回想シーンだけだから、もう終った」
「そうか、あと何回くらい出番があるんだ?」
「さぁ、演出によるから…。自分でも判らない。それに、これから大変になるのはそこの二人だ」
と、桔梗様があたしと琥珀に視線を投げかけた。
「そうだね。あんた達はこれからが大変なんだよねぇ。琥珀は奈落に首ごと四魂の欠片を取られそうになるし、りんはあいつの体内に取り込まれるしさ」
自動販売機の近くのカウンターに置かれていた原作をパラパラと繰りながら、神楽が嫌そうに小さく頭を横に振りながらそう言う。
「神楽?」
「ちょっと、あいつに胸を貫かれた時の事を思い出してさ。あいつ、変態チックな演技が上手すぎるから、思い出すと鳥肌が立つんだよ」
「私もそれには同感だな。演技だと解っていても、こちらが錯覚するほどに『奈落』の特質を良く掴んでいる。あいつと直に共演して、年少のお前達がトラウマを抱えないと良いのだが……」
奈落の手で散った二人の言葉だけに、先を知ってはいてもぞっとするものを感じた。
「トラウマ、か……。俺には丁度いいんですけどね。トラウマ持ちが、このキャラの特性でもあるから」
意外と平静な態度で、静かにジュースを飲み干す琥珀。
これが芸域の広さから来る余裕なんだなぁと、あたしは思った。
「あれ? そういえば、あいつは? あんた達の保護者」
「保護者? 殺生丸様の事?」
きょろきょろと辺りを見回す神楽に琥珀が、すっと衝立で仕切られたフロアの向こう側を指し示した。
「殺生丸様なら、あちらです。ご母堂様とお話をされているようですよ」
「巷で噂のご母堂様かい!? あたしも撮影初日の顔見世の時だけのお目通りだったからねぇ、せめて一言でも言葉を交わしたいもんだ」
気楽そうに言う神楽の言葉を捉え、桔梗様が嗜めるように口元に指を立てた。桔梗様は巫女様なだけに、気配というかオーラ? みたいなものを読むことが出来る。少し眉を顰められた桔梗様の表情から、今あの場には近付かないほうが良いのだろうとあたしは感じた。
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衝立に仕切られたフロアのその部分は、打ち合わせなどにも使われる喫茶コーナーになっている。小さなテーブルを挟み、優雅な仕草でコーヒーカップを口元に運ぶご母堂を、殺生丸は憮然な表情で見ていた。
「……まだまだ青いな、殺生丸」
おもむろに、そうご母堂は切り出した。
「何のことだ」
殺生丸は自分の前に置かれたカップに手も伸ばさず、睨みつけるような視線で実の母であるご母堂を見やる。
「母の忠告どおりの、序盤抑え気味の演技は評価しよう。しかし、肝心な所で上擦りおって。裏ではどうかは知らぬが、公衆の面前で『初めて』思いを込めてりんに触れるあのシーン。あれは意識しすぎたのであろう?」
「……あれは、あれで計算どおりだ」
「ほぅ、それはなんの計算だ?」
ご母堂はかちゃりとコーヒーカップをソーサーに戻し、悪戯気な光を浮かべた眸で殺生丸を見返した。
「私の心情を吐露するには、まだ早い。いや、私とりんの関係は曖昧であってこそ生きるもの。主従のような親子のような、あるいは兄妹。そんな区別出来ない状態での保護者・被保護者の関係が相応しい」
「それが、あの演技か? まぁ、あまり本筋的に出番の無かったお前達だからな。内々でお前達の関係を察している者以外は、冥界編で原作通りのりんへの執着振りを見せるのは、いきなりどうした!? と言われかねぬからのぅ」
「……描かれていない間の事が多すぎる。原作時間であれば、その間に『何かあったのかもしれない』と考えさせる時間もあったが、今回のハイスピード展開では、そのような『間』は望めまい。ゆえにりんへの気持ちは、まだ未定でなくては」
「ああ、なるほど。それで原作では見せ場でもあった『連れて帰る!』発言を削られても、承諾したのだな?」
「まだ、先は長い。これからの事を考えれば、あの場はああ演じるしかなかった」
ご母堂は自分の傍らに置いた分厚い進行スケジュール表と、台本の山にさっと視線を走らせた。
「……これからは死闘が続くな。お前自身の成長譚でもある、死神鬼編と冥道残月破を鉄砕牙に譲渡する葛藤を描く黒い鉄砕牙編。武器を失い『己自身の力』で曲霊と闘い危機に陥る曲霊編、そして……」
「そうだ、この物語は登場人物がその物語の中で成長してゆく少年漫画が原作。うかつに少女漫画のような色気を出すと、あれ達のようにグダグダになりかねん。演じている本人たち以外のところでのゴタゴタは御免だ」
今までの騒動振りを知っているだけに、同じ轍は踏みたくないと殺生丸はそう思う。
「ほんに面白い一行だな、お前達は。お前がシリアスに徹すれば徹するほど面白みが増してくる。りんがあどけなく非力であればあるほど、お前との対比が際立ち想いが鮮やかになる」
「…………………」
「言葉ではなく、お前の一挙手一投足がそれを物語る。それをあの者らが信じ切り慕って受け入れ、思いを返すから、成り立つ関係なのだろう。主従関係であれ、艶めかしいものであれ」
明白には言わぬご母堂の言葉の意味を、殺生丸はしかと理解する。物語の世界観とリアルでの社会規範の狭間を実感しつつ……。
「今は現代。ましてや、こんなご時勢だ。下手な事は出来ぬ」
「その手のスキャンダルはご法度、戦国の世であればなんら問題も無いものを……。人気商売も辛いものよ。まぁ、お前の場合はそのくらい自重して上々であろうな。抑えても、滲み出るものは隠しようもない。そこがまた、お前達のファンにはたまらぬのであろう」
艶な含みを帯びた笑みを浮かべ、殺生丸を見るご母堂。
母に図星を指され、さらに苦々しげな表情を浮かべる殺生丸に可笑しさと愛しさをご母堂は感じる。今は亡き、我が夫に妙な所が似たものよと口にしたが、いややはり似てはいないかもとそう思う。
「……残念だな。その不器用なところは、父と似なかったようだ。あれは私と十六夜の間を上手く渡っておった。決して、不誠実ではなく」
「父上を尊敬してはいるが、同じ生き方をしようとは思わぬ。不器用で構わん、後々の面倒の種を好んで撒こうとも思わぬからな」
「くくくっ、種を撒くのはりんにだけで十分と言う事か。正直な奴よ」
「母上っっ!!」
思わず殺生丸の声が大きくなる。スキャンダルはご法度と言ったその口から、ぽろりと零れる不穏な発言。焦る殺生丸を尻目に話す事は話したと、朗らかに笑いながらご母堂はレシートを手に取り椅子から立ち上がった。
「そうそう、殺生丸。今撮影は原作の49巻目まで進んでおるのだな?」
すっと話題を変え、事務的にそう確認を取る。それにつられ、殺生丸も常の自分を取り戻す。
「ああ。放送12回にして消化した原作の巻数は13巻分…、いや先取りしたエピソードもあるからほぼ14巻分か」
「放送回数の残りは14回、残り巻数は7巻分。戦闘シーンはページ数を割けど、実際に動かしてみればほんの数分で済むこともあるからのぅ」
「それが、どうした?」
くすくすと楽しそうな含み笑いを浮かべ、ご母堂は殺生丸を見た。
「いや、なに…。前半部分を切り詰めた甲斐あって、後半部分は『尺』が取れそうだ。原作で捨て置かれた伏線を回収してくれるやもしれぬし、新たなエピソードの挿入も有りそうだと思ってな」
「母上……」
「もしかしたら、もう一度私の出番も有るかも知れぬのぅ」
言葉の語尾はそのまま、ほほほっと言う本当に楽しげな笑い声に変わっていた。そんな楽しげなご母堂と対照的に、思いっきり不興気な表情を殺生丸は浮かべていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「りん」
殺生丸様の側を離れたご母堂様が、あたしに声をかけてくださった。
「おはようございます、ご母堂様」
本当はもうお昼も過ぎていたけど、この業界でのご挨拶はいつでも、『おはようございます』。
最初は不思議な気がしたけど、その訳を聞いてなるほどと納得した。日常の挨拶言葉の中で、丁寧な挨拶はこの『おはよう御座います』だけ。『こんにちは御座います』とか『こんばんは御座います』、なんて言い方はしないもんね。上下関係の厳しい世界だけに、いつでも自分は新人と同じ謙虚な気持ちでありなさいって事なんだって先輩に教えてもらったんだ。
「おはよう、りん。それに皆も」
余裕のある笑みを浮かべ、楽しそうにそこにいた皆の顔をご覧になるご母堂様。
「お、おはようございます。ご母堂様」
いきなりご母堂様を前にして、ちょっと焦り気味の神楽。
「おはようございます」
「おはようございます。ご母堂様」
桔梗様の声と琥珀の声が同時に重なる。
「ご母堂様、今日は何かご用でも?」
「先にクランクアップした者だけ、ちょっとした飲み会でもと思ってな」
そう言いながらご母堂様は、神楽と桔梗様に声をかける。
「先にクランクアップした者…、ご母堂様とあたしと桔梗も? 桔梗はまだ出番が残ってたよな?」
「ああ、まだ少し」
「俺を助けてくれる回の撮りがまだですから」
桔梗様の隣で琥珀が言葉を足す。
「ちょっと少ないような……。下手したらご母堂様とあたしの二人だけ?」
「他にもおろう? あの妖狼族の三人とか魍魎丸とか白童子とか。まぁ、こやつに酒は早いが」
「そうか…、そんな面子で飲み会とかしたことなかったな。ご母堂様、良かったらあたしが会場の手配をするけど」
「では、頼もう。今までの苦労話やオフレコ話を肴に、これからの撮影のあれこれを話すのも一興であろう」
ご母堂様の笑顔につられて、あたりに和やかな空気が流れる。
一つの作品を共に創り上げる仲間達。
出番の数や、演出の違いはあっても皆みんな大事なあたしの仲間。
この作品に出会えて、あたし本当に良かった!
殺生丸様とも出会えて、色んな事を知って、そして今のあたしがある。
撮影は、これからが本当に大変な山場にかかるけど、あたし精一杯最高の演技で演じ切るからね!!
自分を目立たせる為じゃなく、あたしの大事な殺生丸様や琥珀や、ううん犬夜叉様やかごめ様、法師様や珊瑚様や楓様、力の無いあたしが力の有るこの方々を生かし引き立てるのが、あたしの最高の演技だと信じてる。
「あたし達の打ち上げは、あの最終回の後だね、琥珀」
「そうだね。成長した俺たちがあの後の時の流れを伝え、そして明日へと続く演出を盛り上げて、かごめ様にバトンタッチするんだから」
「うん! それまで一緒に頑張ろうね!!」
ご母堂様の前で盛り上がるあたし達に、衝立の向こう側から注がれる殺生丸様の視線。最終回はあたしに取っても殺生丸様に取っても、一つのゴール。
だからこそ、この限られた時間を、あたしは大事にしたいと胸の中の呟いた。
撮影は、これからも山あり谷あり。
まだ誰も知らない展開も有るかもしれない。
そんな未知の期待にワクワクとドキドキを抑えきれないあたしだった。
【つづく…かも?】
2009.12.10
= あ と が き =
夏休み前に、この「犬夜叉完結編」の一報を受け狂喜乱舞した夏もとっくに過ぎ去り、放映開始の秋を迎えました。
が、ここにも落とし穴がありまして、放送地域限定・放映時間超フレックスな他では類を見ないほどの放送形態。
しか〜し! デジタル化が進む現代には公式動画配信サイトという強い味方があります!!
これでタイムラグはあれど、視聴不可地域は殆ど解消されます。
ただ、ね^_^;
覚悟してたけど、原作の消化具合と言うかスクランブル具合がまぁ、もう、凄くて……
そんなこんなとこれからの希望的観測を込めて、このSSを書いてみました。
読んでくださった方に、くすっとでも笑ってもらえたら嬉しいですvvv