「Back Stage」



 ああ、またこうして毎週ここに集まる日が来るなんて、なんて懐かしいんだろう。

 あたしは懐かし気に撮影スタジオのナンバープレートを見上げ、その扉を潜った。懐かしさはその場所だけではなく、あの頃と同じ顔ぶれや、裏方さん達の忙しそうに立ち動く雰囲気までもがそうだった。

「久しぶり、りんちゃん。また随分と大きくなって」

 明るく気さくな声をかけてきたのは、かごめ様。あの頃から本当に大人っぽくてお綺麗な方だったけど、五年経った今でもあの頃とちっとも変わらない。

「お久しぶりです、かごめ様!」

 あたしはあの頃と同じように、ぴょこんとお辞儀をして挨拶をした。

「本当に、ね。一年前のイベント以来かしら? あの時は短時間の撮影だったけど、今度はちょっと長くなるわ」
「はい。でもまたこうして皆さんと一緒にお仕事が出来るかと思うと、りん 嬉しくて ―――― 」

 かごめ様がくすっと、口元を綻ばせる。

「そう思っているのは、りんちゃんだけじゃなんじゃないかな? まぁ、間違ってもあいつはそんな事、おくびにも出さないでしょうけど」
「かごめ様……」

 それが誰の事を言っているのかあたしは察し、少し赤くなった。

 ザワザワと辺りには熱気とひと気が篭り、『何かが動き出す瞬間』みたいなドキドキした気持ちが強くなる。 

「おや? お早い入りですね、かごめ様」
「あれ? 今日は一人でスタジオ入り? あいつはどうしたんだい?」

 仲良く二人でスタジオ入りするのは、弥勒様と珊瑚様。

「あ〜、うん。あいつ、ちょっと向こうのスタジオから貰ってくるものがあるからって」

 そう言いながらかごめ様は、あたしの姿に視線を投げかけた。

「あ、ああそうか。うん、そうだね。アレにはりんだけでなく、ウチの琥珀も助けられているからね」

 言いながら、後ろを見る珊瑚様の視線の先には、今では立派な青年になった琥珀の姿。口数少なく控え目なところはそのままに、それでも身長などはもう弥勒様とそう変わりはない。

「りん、久しぶり」
「うん、琥珀もね」

 これからチームを組む、大事なチームメイト。今まで以上に頑張らなくちゃ。

「……こうして見ると琥珀とりん、本当にお似合いなんですけどねぇ」

 弥勒様の呟きに、あたしはどう反応したら良いか判らなくて言葉に詰まる。

 そう言われる事も良くある事。
 確かに年頃も近く、優しく大人しげででもいざとなったら十分頼りがいのある琥珀と、いつも笑顔を絶やさないそれでいて逞しく、素直で心の強いお前ならお似合いだね、と。
 だけどそれをこの場で口に出来るのは、その道の達人の弥勒様だからこそ。

「ああ〜ぁ? 誰と誰が似合いじゃと?」

 あたし達の足元で、聞きなれたダミ声が聞こえた。

「邪見様っっ!!」
「邪見様、いつもお変わりなく……」

 あたしと琥珀は、あの頃から小さいままの邪見様を上から見下ろすような形で声をかけた。

「ああ、もう! 勝手に大きくなりおってっっ!! ワシを見下ろすでない!」
「邪見様……」

 こちらも相変わらずな様子に、離れていた時の溝がみるみる縮まってゆく。

「余計な事を言うな、生臭坊主! りんに何かあれば、ワシが酷い目に合うのじゃからな!!」
「いえ、こちらはごくフツーの感想を述べただけです」

 しら〜と、そんな台詞を口にする弥勒様。

「ええいっ! お前等は殺生丸様のりんへの執着振りを知らぬから、そんな軽口が叩けるのじゃ!! もし、りんに悪い虫でもついた日には……」

 邪見様は、その先は想像したくもないと言わんばかりに頭を横にふる。

「……悪い虫だって。りんにとっちゃ、あいつが一番の虫なのにさ」
「珊瑚ちゃん、そんな身もふたも無いような事言っちゃ悪いわよ。確かに現代じゃ児童福祉法だっけ? あれに抵触してそうだもんね、殺生丸とりんちゃんの関係って」

 そんな言葉が聞こえてきて、あたしは殺生丸様に申し訳ないような気持ちになってくる。

「そう、『現代』においてはですね、かごめ様。しかし平安の昔から比較的近代まで、早婚は当たり前でしたから、戦国時代の人間であるりんと妖怪である殺生丸をその枠で括るのは難しいでしょう」

 そんな助け舟を出したのは、不穏な発言を真っ先に口にした弥勒様。

「そうなのよね。私も歴史を勉強して知った事なんだけど、加賀の初代のお殿様って幼馴染のお姫様と恋愛結婚したんだけど、その時の二人の年齢が二十一歳と十二歳だもの」
「かごめ様……」

 溜息とともに、茶目っ気な笑みを浮かべてあたしをご覧になる。

「だから、『有り』なのよね。でもね、りんちゃん。あいつがりんちゃんに嫌な事をしようとしたら、いつでも私たちに言ってね! 私とりんちゃんってもう、姉妹みたいなものだから!」

 …………?

 かごめ様の言葉を一瞬理解できなくて、あたしはかごめ様のお顔を見る。そんなあたしの横で邪見様がぽん、と手を打った。

「そうか! かごめお前、とうとう犬夜叉と……」
「そうよ、今じゃ私も一成人として誰の承認を得ずとも結婚出来るんだから」

 かごめ様の言葉を聞いて、あたしは考えた。えっと犬夜叉様のお嫁さんになったかごめ様は、殺生丸様から見れば義理の妹様って事になるんだ。あたしはまだ殺生丸様の正式なお嫁さんって訳じゃないけど、実際はほとんどそんな立場。ああ、だから……。

「あたしとかごめ様が姉妹なんだって、なんだか勿体無いです。でも、嬉しい!!」
「うふふ、そうよりんちゃん。殺生丸は私に取ってお義兄さんなんだから、そのお嫁さんになるりんちゃんがお義姉さんってことになるのよね」

 楽しそうにそう言うかごめ様を見つつ、あたしは身に余る話にモジモジしてしまう。

「……あれから五年も経てば、それ相応に身の回りも変わろう。しかし、今はあの五年前に戻って、物語を綴らねばな」

 落ち着いた声で、あたし達の会話に入ってきたのは桔梗様。

「桔梗様!!」
「琥珀、久しぶり。すっかり一人前になったな」

 それこそあの頃と少しも変わりのない姿のままの桔梗様がそこに立っていた。

「お久しぶりです、桔梗様。今回はご一緒させて頂く時間が長いので、どうぞよろしくお願いします」

 琥珀は桔梗様の方に向き直り、居住まいを正して丁寧に頭を下げる。あくまでも礼儀正しい琥珀。そんな琥珀を桔梗様が愛おしそうに見つめる。

「あんたって、本当に年上キラーだよね。その真面目で純なところがさ」

 さらに桔梗様の後ろから聞こえる、婀娜っぽい声。

「あ、神楽!」
「元気にしていたみたいだね、りん。琥珀も」

 赤い唇、赤い眸が際立って美しい奈落の分身、風使いの神楽。

「……神楽、その年上キラーって言い方は止めてくれよ」
「おや? だって本当にそうだろ? 最初はあたしで次は桔梗、その後は殺生丸にくっつくんだからさ。それに別口だって本命女子大生だったり、妖力の強い美形男子高校生だったり」

 ……否定できない事実を言われ、琥珀は言い返せずに口をもごもごさせる。

「あんたはそんな役回りなんだろうね、年上で美形で力のあるキャラの引き立て役がさ」
「……否定はしません」
「ああ、だけどそのままじゃマズイよな。あの時子役だった連中の中でも、あんたとりんはこれからの撮影の中じゃかなり重要なポイントだし、それがいきなりそんなに大きくなっているんじゃね」

 面白そうに、その反面本当にどうするつもりなのかと訝りながら言葉を続ける。

「ああ、そうか。神楽はこの前の撮影の時にはいなかったのよね。大丈夫、そろそろ犬夜叉が戻ってくるから」
「犬夜叉が、なんだって?」
「うふふ、秘密のアイテムがあるからそんな心配は無用なのよ、神楽」

 そう言って自信たっぷりにかごめ様は、スタジオの外につながる廊下の先に視線を送る。

「ふ〜ん、まぁいいや。で、あいつは?」

 スタジオ内に集まったメンバーを見回し、神楽が聞いた。

「あいつとは、もしや殺生丸様の事か?」
「そうさ、今度の撮影序盤の見せ場はあいつとの絡みのある、あたしの散り花だろ? ちゃんと打ち合わせしておかないとさ」

 ぞんざいな物言いに邪見様が眉をしかめ、あたしは胸がきゅっとなる。
 そんなあたしに気付いたのか、神楽が言葉を続けた。

「そんな顔をおしでないよ、りん。あたしは序盤で退場するんだから、その時だけは花を持たせてもらってもいいだろ? そのあとはずっとりんのターンじゃないか」
「神楽……」
「犬夜叉とかごめと桔梗の三角関係っぷりと比べれば、あんたと殺生丸の間はなんの心配も要らない関係なんだし。本当に、あたしの割り込む隙なんてこれっぽっちもないからねぇ」

 婀娜な風は変わらずに、でもどこか達観しているようなのは、見事な散り花を咲かせ鮮やかに物語から退場した者の余裕だろうか。

「……神楽、それは違う。私と犬夜叉とかごめの関係を、そんな安っぽい三角関係などと言う言葉で片付けられたくは無いな」

 いささか冷ややかにも聞こえる声音で桔梗様が言葉を発する。

「ん? なんでさ。実際犬夜叉は二股だろ?」
「違う」
「違うわ! 神楽!!」

 同時に、同じ言葉を口にされる桔梗様とかごめ様。

「犬夜叉は二股なんかじゃない! あいつは不器用なくらい誠実で一途なんだから!!」
「神楽、お前は私とかごめの繋がりを知らぬのか?」

 桔梗様とかごめ様のお二人から、良く似た気のようなものが揺らめき立つ。

「……繋がりって、ああそう言えばかごめは桔梗、あんたの生まれ変わりだって話だっけ?」
「そう、かごめは私の未来の姿。私がなりたかったもう一人の『私』。犬夜叉が惹かれたのは、私たちの変わる事のない魂ゆえ」
「勿論、同じ魂でも私と桔梗は別ものよ。私は桔梗の身代わりじゃないし、桔梗だって身代わりで済まされちゃたまったもんじゃないし」
「良く似ているからこその反発と嫌悪感。しかしそれを乗り越えた所に在ったのは、素直に己自身を受け入れる事の出来る強さ。心の開放、過去の自分からの自由」

 そう仰った桔梗様の力強い美しさ、圧倒的存在感。
 ああ、そうだね。
 この方なくしては、この本編の物語は始まらない。

 なんて言うんだろう?
 りんにはこのお二人を語る言葉を持たないけど、でもこれだけは分かる。

 お二人が、とても互いを信じあっておられるのを。

「ああ…、悪かったね。ヘンな事言っちまってさ。あたしの言った事は流してくれ」

 凍りかけた空気を察し、神楽は見た目からの雰囲気とは違う素直な態度でそう謝った。

「お前が女気のないあいつに絡む、もう一人の相手か」

 凛とした品のある、でも今まで聞いたことのない女性の声が神楽の背後から聞こえた。いつの間に現れたのか、その豪奢で風格の在るお方のお顔を見た瞬間、あたしは思わず声をあげてしまっていた。

「ご母堂様!」
「ご母堂様、なぜこのようなところに……」

 あたしと邪見様の口から飛び出す言葉。法師様と珊瑚様の近くにいた琥珀の口からも小さく同じ言葉が漏れていた。

「まさか、このような場所にご母堂様がお見えになるなんて……」

 その呟きを耳にして、珊瑚様が琥珀に問いかける。

「誰なんだい? あの人は」

 ご母堂様の御様子を、失礼にならないよう気をつけながら見ていた法師様が、小さく珊瑚様の腕を引く。

「珊瑚、あの貴婦人の美貌容姿、それに額の月の紋章を見れば、おのずとあの方の正体も察せられるというもの。琥珀、あの方は兄上の母君だな?」

 法師様の言葉に、琥珀が頷いた。

「えっ? 殺生丸の母親って生きていたのかいっっ!? てっきり、とうの昔に亡くなって、だから犬夜叉の母親の所に大妖怪だった犬夜叉の父親が通っていたのかと思っていたよ」

 びっくりしたように、珊瑚様が声を上げた。その辺りの話は、あたしには良く判らない。でも、なにか複雑な家庭環境があるようで、それで最初の頃の殺生丸様はあんなにも犬夜叉様に冷たく当っておられていたのだろうと思う。

「良くある事ではありませんか。身分高き殿方が御正室の他に何人もの夫人を侍らすなど、ある意味お家大事<な武家や貴族ほど、嗜みとされ日常的な事。主なき時は、正室側室が力を合わせ、家を守る事もあるのですから」
「……確かにね。そりゃ、戦国の世でなら跡取りのいないことは、お家の大事だからさ。でも、法師様が言うと単なる浮気の言い訳に聞こえるんだけど」

 あたしはあらら、と思ってしまう。
 仲が良くても、夫婦になられても、浮気癖のある旦那様はやっぱり奥様から疑われちゃうんだと。

「なんだか大変そう」

 そっとお二人の側を離れ、あたしたちの近くに寄ってきた琥珀に、そう小さく声をかけた。

「いや、大丈夫だよ。ああ見えても、義兄上は姉上にぞっこんだし、姉上も心の底から義兄上を慕っておられる。それこそ、犬も食わないって奴だからさ」

 そう言いながらお二人を見る琥珀の瞳がとても穏やかで安心し切っているのを見て、人の気持ちには色々な形があるのだなと、あたしは思った。

「久しいのぅ、元気にしていたか? りん。それに、その方らも」

 金の獣眸を僅かに細め、ご母堂様があたしたちに声をかけてくださった。

「今のあれがあるのも、お前達やそこの半妖の女、お前達のお陰だな」

 ご母堂様にいきなり声をかけられて、神楽が眼を丸くしている。

「あ、あたしは……、りんみたいにあいつの気持ちを癒すような役どころじゃなかったし、むしろ敵だったし……」
「だが、敵であってもあやつがお前を殺さなかったという事は、あやつにとっての真の敵ではなかったという事じゃ。お前の生き様死に様が、あれの心を動かしたのは紛れもない事実」

 ご母堂様の言葉に、うっすらと神楽の瞳に涙が浮かぶのをあたしは見た。

「小妖怪、殺生丸は奥の録音スタジオか?」
「はい、ご母堂様。殺生丸様はここにいる誰よりも早くにスタジオ入りされて、台本の読み込みをされています」
「そうか。此度の撮影では、かなり重要な役どころになるからな。演技過剰になれば寒くなろうし、かといって淡々と流せばここ一番での見せ場で、観客を置いてきぼりの超展開にならぬとも限らぬ」
「ご母堂様……」

 あたしは心配気に、ご母堂様を見つめた。

「りんを想う気持ちをあからさまに出せば、ロリの烙印を押されよう。実に難しい、真の演技力を問われるところだな」

 そう、今までは脇役・犬夜叉様達の影に隠れていたあたしたちが、これからの撮影ではかなりスポットを浴びる事になっている。物語の本筋を外さず、それでいてあたし達なりの物語も見せなければならない。

「ん? しかし、お前達はその姿で撮影に入るのか? どうみても、幼女少年には見えぬが」
「ああ、そのことならご心配なく。じき、犬夜叉が戻ってきますから」

 かごめ様が、建物の入り口を気にしながら進言される。丁度その時、廊下の端に赤い色がちらりと見え、あっという間にあたし達の目の前に。

「すまねぇ、かごめ。ちょっとあっちのスタジオが立て込んでいてさ、こちらに来るのが遅くなっちまった」
「あちらでの出番は少なくても、ここぞと言う時の『決め』に必要だもんね」
「ああ、時期が時期。編成特番が入るかどうかはまだわかんねーけどな。一応繋ぎは入れとかねーと、スケジュールの調整もあるし」
「で、薬もらえたの?」
「ああ。今回は撮影期間が長いから、少し強めに調合してもらった。劇薬だから本当なら、あんまり飲ませたくない薬なんだけどな」

 そう言いながら犬夜叉様は懐から二本のガラス製のアンプルと何かの錠剤を取り出した。それをあたし達に手渡しながら、犬夜叉様が注意される。

「いいか、琥珀・りん。これはこの前の撮影の時に飲んだ奴より、もっと強力だ。様子を見ながら少しずつ飲んで、ヤバイと思ったらもう飲むな」

「犬夜叉様……」

 受け取る手が、少し震える。

「俺も何度か体験したが、あの苦痛は大概なもんだ。心臓が潰れそうに苦しいし、身体中が熱くなって骨も砕かれそうに痛む。俺はそれがコンセプトだから仕方がないが、代役が立てられるなら、お前達にこんな薬を飲ませてまでってしたくないんだけどな」

 代役、の一言であたしの震えは止まる。あたしは殺生丸様のお側にいたくて、今日までずっと来た。自分の身可愛さで、誰かを代役に立てるくらいならどんなに怖い薬でも飲んでみせる!

「大丈夫、犬夜叉様。この前だって上手くいったんだから。先にこっちの錠剤を飲んで風邪引き状態になってから、こっちのアンプルを飲むんですよね?」

 そう言って、あたしは笑って見せた。

「りん、お前強いな」

 心配そうな表情はそのままに、犬夜叉様があたしの側から離れる。

「……なにやら大変そうじゃのぅ。その薬はりんを子どもにする薬のようじゃが?」

 興味津々といった、どこか悪戯っぽさを湛えてご母堂が声をかけてきた。

「はい。これは犬夜叉様が他の所でお仕事をされているお仲間から分けていただいたお薬です。この前は、短い間だけこのお薬であの頃のりんに戻ったんです」
「ほぅ、そんな薬が…。分かった。では薬がちゃんと効き、子どもに戻ったりんの身支度まで妾が様子を見ていよう。そちらは琥珀の世話をな」

 その場を仕切るとご母堂様は、あたしと邪見様を連れて殺生丸様のおられる録音スタジオに入って行った。

「姉上、俺も準備しないと……」
「ああ、そうだね。でも、あたしも犬夜叉と同じ気持ちだよ。あんたにこんな危ない薬など、飲ませたくない」
「……死と生の間で一番ふらふらしている俺です。このままじゃ役としてのケジメがつきません。最後まで、俺は『琥珀』を演じたい」

 それは演者としての気概。
 誰もそれを止める事は出来ない。

「犬夜叉……」
「なんだ、かごめ」

 薬を飲んで支度をする為に、人気のない休憩室に向かう琥珀や珊瑚・弥勒の後姿を見ながら歩くかごめが、小さく犬夜叉に語りかけた。

「私たちも最後まで力を出し切ろうね」
「ああ。おれ達の、本当のラストのために!」

 そう言いながら、やがて二人の姿も廊下の向こうに消える。その場に残されたのは、桔梗と神楽の二人だけ。

「途中リタイア組が残っちまったね」
「ああ、そうだな」
「あたし達が出来ない分、他の奴等には頑張って欲しいね」
「最後まで残る者達に見劣りせぬよう、我等も頑張らねばな」

 互いに思う事を胸に抱え、二人は静かに微笑んでいた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 一人、誰もいない録音スタジオで台本を読み込む。

 この物語が始まった時に、まさか自分の存在がここまで大きく取り上げられるようになるとは思わなかった。

 そう、自分でも判っている。

 この物語の本筋に絡むには、自分の背景ではあまりに動機が希薄だと言う事は。自分のいや、自分達の存在がこの世界を二分させないよう、それでいて己としての存在の軸をぶらさぬよう演じ抜かねばならない。難しい役どころだ。

 録音スタジオの外が騒がしくなってきた。そろそろあ奴らが集まってきたのか。きぃと小さく軋むような音を立てて、スタジオの扉が開きまた閉じた。

「いるか、殺生丸」

 この声は……。

「……当分出番はないものと思われるが、なぜ母上がここにおられる」
「相変わらずつれないことよ。皆が力を合わせねば、良いものも出来まい。ゲストキャラとて、作品の一員ぞ?」

 母上の影に、りんの姿。今のりんであれば、この手に取るのもそう先の話ではないのだが……。

「惜しいのぅ、殺生丸。今のりんならば、このままゴールインしてもさほど問題もないが、りんの此度の撮影にかける覚悟を知れば、止める事もよう出来ぬ」
「母上……」

 母上が、りんの体を前に出す。

「さぁ、りんや。薬をお飲み」

 母上に促され、りんがあの恐ろしい薬を口にする。もともとの意図とは反し、今では暗殺用の毒薬として用いられているその薬。しかし、ある一定条件下であれば、飲んだ者の姿を子どもに戻す事が出来る。『死』の一歩手前の断末の苦しみと引き換えに。

 りんが手にしたアンプルのガラス容器が床に落ち、音を立てて割れた。薬を飲んだりんが胸を押さえ、顔を苦痛に歪ませ窒息しそうにあえぐ。全身を折り曲げ溢れ流れ落ちる脂汗、声にならない声が吐く息とともに絞り出される。

「りん!!」
「あ…、うぐぅぅぅっ! おぅぅっっ……!!」

 血反吐を吐きそうな、苦悶の表情。青ざめる顔色、痙攣を起こしたように引き攣り震える小さな体。あれから五年が過ぎたとは言え、まだまだりんの身は少女の領分。それにこの劇薬の効用はきつすぎる。
 もし、まかり間違ってりんが死んでしまったらと…、胸に湧きあがる怖れに自分の心臓が凍りつく。

「りんっっ…!」

 あまりの恐ろしさに、思わずりんの身を抱き起こそうと駆け寄りかけて、母に制止された。

「母上!」
「取り乱すでない、殺生丸。お前は戦国一の大妖怪、冷酷無慈悲な貴公子であろう? 愛しいりんが苦しんでいようと、冷静な顔で見ていられるのがお前、殺生丸のはず」
「…………………」

 我が母であればこそ、どこまでも妖怪としての立場を忘れない。

「良く見ておれ。これがりんの覚悟じゃ」

 促がされ眼を背けたくなるほど苦しんでいるりんの姿を見れば、りんは大きな痙攣の発作に襲われ背を折れるほどに仰け反らせ、風切り羽の立てる音のような甲高い声を細い喉から発し、ばったりと床に崩れ倒れた。

 と、見る間にりんの姿が縮んで、あの頃の姿に戻ってゆく。そして ――――

 汗にまみれ、ぐったりと疲れた様子でりんが眼を開いた。私の顔を捉え浮かべたのは、極上の笑み。その笑みと共に、凍て付いた私の胸も解けてゆく。

「分かったか、殺生丸。胸の中の喜怒哀楽を表情で表すのは容易い。今、お前の胸に沸き起こった感情の全てをお前がどう表現するかで、此度の作品の良し悪しが別れよう」
「母上……」
「お前らしく、また戦慄の貴公子の名に恥じぬ演技を期待しておるぞ」

 りんが『りん』を演じるために、その命まで賭けるのであれば、私も『殺生丸』としての己を演じ切ろう。

 虚偽を演じるのではない。
 己に取っての、『真実』を演じる。

「殺生丸様」
「りん、ついて来い」


 そうだ、もう後はないのだ。
 やり直しは利かぬ。

 五年の年月は、長かったのか短かったのか。
 今、二幕目の幕は上がった ――――


【完…?】
2009.8.21




=あとがき=

夏休み初日、飛び込んできたサプライズは5年ぶりの犬夜叉再アニメ化でした。
5年前にアニメ放映終了、1年前には原作も完結し公式からの燃料投下は、もうないものと思っていました。
それがここに来ての、この情報!!
嬉しさから、思わず書き出したのがこのパラレルSSでした。
犬夜叉キャラ達が、この完結編を前に何を思うか? みたいなものを妄想してみたのでした。
犬夜叉ファンの方と一緒に喜びたい! と思い、書いてみました。
楽しんでもらえたら、とても嬉しいですvvv




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