【 結−ゆい− 】


 ―――― あれから三年。

 私が高校を卒業して、犬夜叉の胸に飛び込んでからもう三年。
 その間に私の周りで起こった変化は、弥勒様と珊瑚ちゃんの子どもが五人に増えた事。楓ばあちゃんは沢山の子ども達に囲まれてますます元気になっている。修行に出た七宝ちゃんと琥珀君も時々村に帰ってくる。妖怪の七宝ちゃんはそんなに見かけは変わらないけど、沢山の子ども達の前で随分とお兄さんめいた顔、琥珀君はもうすっかり一人前の青年の姿で。

 私の腕には、私と犬夜叉との間に生まれた赤ちゃんの柔らかな温かさ。

 それからりんちゃんも、最近はすっかりお年頃になって綺麗になった。村の若い男衆たちの噂に上る事もよくある。だけどりんちゃんにはそんな事、どこ吹く風。

 そして今日も、空の高みを見つめている。

 三年前のあの日のように、また自分の前に現れてくれる事を信じて。

 ( 待つのは平気。だってりん、信じているもん! )

 いつでもりんちゃんはそう。さんざん危険な旅に連れ回されても、いきなり楓ばあちゃんの村に置いてゆかれても、それを恨むことも無く希望よりも強い『信じる心』で、ただただ慕うあいつの訪れを待っている。信じているからこそ待つことも楽しくて、りんちゃんの日々はいつも笑顔で彩られている。

( ねぇ、犬夜叉。あんた、どうにかしてあいつを探し出して連れてくることは出来ないの? )

 そんな風に待っているりんちゃんの、もっと笑顔が見たくて、そんな事を言ってみたこともある。あの日まではたびたび贈り物を届けにきたのに、三年前にりんちゃんに着物を届けたきり、それから一回も姿を現さないあいつ。

 ねぇ、わかってるの?
 あの時、肩上げやおはしょりをしないと着れなかったあの着物が、いまじゃもうぴったりなのよ?
 りんちゃんがどんなに素敵な女の子になったか、あんたまだ知らないでしょ?

 だから、ねぇ ――――


「こんにちは、かごめ様。赤ちゃんのおむつお届けに来ました」

 私がそんな事を思っていたところへ、当の本人が現れた。私たちは村はずれの骨喰いの井戸の側に住まいを構えた。この井戸がなければ私たちは出会えなかった、私たちの今は、全てここが始まり。だから ――――
 りんちゃんは、楓ばあちゃんのところでいろんな事を教わりながら手伝いをしている。楓ばあちゃんの教え方が良いのか、りんちゃんにその才能があったのか裁縫の腕前はたいしたもので、今では村の人たちからの仕立物も引き受けている。

「まぁ、ありがとうりんちゃん。りんちゃんはお針が上手だから、仕立てたものがとても着心地がいいのよね。うちの子も喜ぶわ」

 照れてえへへと笑う表情には、まだあの頃の幼い面影。

「楓様の教え方が良いんです。最近は袴も縫うようになったんですよ。最初は巫女様の緋袴を縫ってたんですけど、この前は七宝に頼んで手に入れた妖織りの反物で男物の袴を縫いました」
「男物の、袴?」
「はい、もうそろそろだろうとか仰って……」

 男物、と言う事は殺生丸にだろうか? だけど、何を思って楓ばあちゃんはそろそろなんて思ったのだろう。

「それって、殺生丸の?」
「だと思います。生地が妖織りだし、だから一針一針心を込めて縫いました」
「楓ばあちゃんのところへ何か知らせでもあったのかしら?」
「さぁ、それは……」

 りんちゃんにも、楓ばあちゃんの思惑はわかってないみたいだった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 風の吹く先が我が領土、はるか空の高みに泰然と佇む狛妃の天空城。

「おや? しばらく影も形も見せなかった男がやってくるようじゃ」

 ここしばらくは退屈な日々を過ごしていたこの城の主は、艶やかな金の眸を楽しげにひそめた。その主の前に現れたのは、この主の息子である大妖。僅かにやつれた風がなお一層、この男に箔をつけていた。

「……生きていたのか、殺生丸」

 実の母の言葉とも思えぬ、その一言。それに動じるような相手でもなく、殺生丸は懐から三年前にこの母から借り受けた毒杯を絹に包んで差し出した。

「……無理をしたのであろう? 己の体内の毒を焼き尽くす為に妾の毒を飲み干し続けたのだからな」

 その杯を侍女に受け取らせながら、ご母堂は言葉を続けた。

「しかし、それでもこの私がお前の母であったことを感謝せねばな。同じ毒華爪の使い手であっても、男の毒と女の毒では陽と陰の違いがある。ゆえにお前の体の中の毒を打ち消す事ができるのじゃ」

「……感謝? 母上が私の母上でなければ、このような手間を取らずにすんだものを」

 ぽつりと、こちらも親を親とも思わぬ言葉で返す。

「ふふふ、それにしても僅か三年、か。それもあの人間の小娘の為に……。お前の毒があの娘に障らぬように、己の命をかけてこの母の毒を呷り続けるなどと、ほんに父子そろっての物好きじゃ」
「……妖らしくないと、堕ちたものだと言われるなら言うがよい。今日は完璧な妖怪である母上との縁を切りきた」
「ほぅ? それは穏やかではないな」
「天生牙は父上から、毒華爪は母上から譲られしもの。既に天生牙は拝領した時の天生牙では非ず、いま毒華爪はわが身から消え失せた」
「それで?」
「そして再生した左腕には爆砕牙を持つ。己の牙として」
「ようやく父母の庇護から独り立ちできたと言いたいのか。その為の親子縁切りとは、面白い事を言うものよのぅ」
「…………………」
「そう言えばあの娘、りんとか申したか。あれは今、どうしているのじゃ?」
「……答える必要は無い」

 相変わらず親子らしい会話どころか、発される言葉の一つ一つが火花を散らしそうである。

「ふん、可愛げない奴よのぅ。そこな小妖怪! お前が話せ」

 突然指名を受けた邪見が、ビクッと体を震わせた。高圧的支配者に対しての条件反射か、ぽろっとりんを人間の村に預けていることを話してしまい、殺生丸に踏み潰される。

「人間の村……? では、お前が毒華爪を捨てた事も無駄になるやもしれぬな。人の子は人の中へ、里心がついてしまい、もうお前には馴染まぬかも知れぬ」
「――― !! ―――」

 これが実の母親を見る息子の眸かと思えるほど、猛々しい光を浮かべ睨み付ける殺生丸。しかし意外にも殺生丸の口から出た言葉は、それを踏まえたものであった。

「……どちらでも選べるように。それはわが身にも言えること。選ぶのは、りんだ」

 まだ面白そうにからかい続ける気満々のご母堂に、殺生丸は最後の一礼をしてその場を後にしようとした。長居をすればするほど、どうせ玩具にされるのが関の山。

「待ちや、殺生丸」

 今までのからかいの色をすっと潜め、ご母堂が殺生丸を呼び止めた。

「お前、その足であの小娘の許に赴くつもりであろう? ならば、これを持ってゆけ」
「…………………」

 いつから用意されていたのか、そのご母堂の言葉を待っていたかのように先ほどとは違う侍女が伽羅の木作りの衣盆の上、広げた金紗の包み布の上に豪奢な帯を捧げ持って現れた。

「お前のすることは何もかもお見通しじゃ。三年前にあの小娘に着物を贈ったは朴念仁なお前にしてはなかなか気の利いた事をと思ったが、帯を合わせてはおらなんだ。詰めが甘いぞ、殺生丸」
「…………………」
「それも気の早いことに、本身断ちの着物をのぅ。ならば帯も合わせてやればよいものを、せっかくの着物に子どもの帯のままじゃ」

 派手好きなご母堂が用意しただけに、その帯は大輪の牡丹と妍を競うように芍薬を配し、その間を艶やかながら散り際の潔さが好まれる桜花で彩っている。

「……帯なら、ある。三年前のあの時から。この日まで、あれは子どもであってよいものだから」

 この日までと、その言葉の裏の意味を解しご母堂は、いささか呆れたような声を上げた。

「なんと! そこまで入れ込んでおったのか!? ならば、確かにもうお前は『妖怪』の風上にもおけぬな。年端も行かぬ、ちっぽけな人間の小娘に篭絡されおって一族の恥さらしじゃ」

 ご母堂の発する言葉はそれは辛辣なものであったが、それでもどこかその声の調子は楽しげでさえある。

「息子とはつまらぬものよ。自分に女が出来れば、母など見向きもせぬ。ああ、つまらぬ、つまらぬ」
「では……」

 なんと言われようと、もう殺生丸の意思は揺らがない。己の命を落とすかも知れぬ所業に出たのも、何も言わずりんをあの人里に預けたのも、この覚悟があってこそ。

「……それほどに愛おしいのか、あの娘が。己の矜持も妖怪の誇りも、力さえ封じ込めてしまうほどに」
「………………」

 無言は肯定の意。ご母堂は自ら玉座を下り、去り行くわが子の側に歩み寄ると胸元から金の絹布に包んだ小さな物を取り出した。

「では、これが母からの最後の餞じゃ。お前があの娘の為に己の毒を焼き尽くし、その身に触らぬようにしたところで、お前が妖怪である以上その妖気があの娘を蝕む。お前もそれを承知で、あの娘の許へゆくのであろう?」
「………………」
「ましてやもとより命数の違いすぎる者同士。いずれお前より先に儚くなるは必至であろう。なればこそ、これを持って行くが良い」

 そう言って取り出した絹布を殺生丸の目の前で開いてみせた。
 中には水晶で作られた三つ重ねの杯。

「これは……?」

 有無を言わさずそれを殺生丸の手に押し付け、優美に踵を返すと玉座へと戻ってゆく。殺生丸の問いに、背中越しに答えを返す。

「養命の杯じゃ。毒仙に命じて、心身を健やかに保つ為の酒が湧くように仕掛けてある。病に冒され、身動きも叶わぬような様でお前の側にある事がないように、せめてその命数が尽きるまで、いつまでもあの娘の笑顔が絶える事のないように」
「母上っっ!!」

 思わず殺生丸の口から呼びかける言葉が飛び出す。しかし、その女妖は二度と振り返ることは無かった。自然と殺生丸はその頭を深々と垂れた。礼に則ったものではなく、今までこの母に抱いた事のない熱い気持ちを現して。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 赤ん坊のおむつを届けに来たりんを村に送りがてら、かつては井戸から駈けていった道をりんと歩く。その道すがら、りんがふっと立ち止まり、それからその顔にいっぱいの笑顔を浮かべて空を見上げた。そう、その空の高みには ――――

「殺生丸様っっ――――!!」

 空に煌く白銀の光に向かって駆け出すりんの弾んだ声が空いっぱいに響く。
 昔のように阿吽の手綱を巧みに操り、りんの直ぐ側に舞い降りてくる殺生丸。妖怪だからか三年の月日を経ても、そう変化は ――――。

( ……あら、なんだか雰囲気が変わった? 凄くなったような、優しくなった…? )

 りんはそれはもう、零れんばかりの笑顔で殺生丸を迎えている。りんには三年も待っていたなんて感覚は、この一瞬に吹き飛んでいるのだろう。それでもかごめとしては、殺生丸に言いたい事があった。こうしてりんの許を再び訪ねるつもりがあるのなら、今まで便りの一つも寄越さずに放っておいたのはどういうつもりなのか。
 一言抗議してやろうと二人の側に近付こうとして、かごめは着物の裾をぐいと掴まれた。その足元には緑色の小妖怪。

「……なによ、邪見。邪魔する気?」
「邪魔をするのはかごめ、お前の方じゃろう!」
「邪魔じゃないわ。ただ一言言いたい事があるだけよ。三年間何の音沙汰もなかったのに、しれっとした顔でりんちゃんに会いに来るなんて、ちょっと都合が良すぎるんじゃない!? ってね」

 かごめの言葉に着物の裾を掴む邪見の手に力が篭った。

「……知らぬからじゃ。かごめ、お前は殺生丸様がどんなおつもりでこの三年間を過ごされたか知らぬからじゃっっ!!」
「邪見…?」

 この三年間、ずっと殺生丸の側でその様子を見てきた邪見は思わず胸が詰まり、今まで押し留めてきた自分の感情を吐き出していた。

「殺生丸様はりんの為に、ご自分の命さえ賭けておられたのだ!」
「なに…、命を賭けるって……? 何があったの!?」
「ご自分の中に飼っておられる猛毒を焼き尽くす為に、同じ毒を持っておられるご母堂様の毒をこの三年間、一日足りも欠かさず飲み続けておられたのだ! あの苦しみようはワシには言葉に出来ぬわ!!」

 ……そう、それはもう、凄惨きわまりない様子であった。

 同じ毒と邪見は言ったがその性質は正反対。その為反発する作用も強く、毒杯に湧くご母堂の毒を飲み干す度に殺生丸の五臓六腑は焼き爛れ、咳き込むたびに血反吐を吐き、肌は青ざめ生気を失い、美しい白銀の髪も色あせ抜け落ちた。手足はやせ衰え、体を起こすこともままならぬ。
 当然、そうなる事は承知の上。この毒杯を授けたご母堂の言葉では、殺生丸の体内の毒が全て焼き尽くされるまで、杯は乾く事はないと言う事だった。時間をかけて毒を焼く事もできたのだが、殺生丸はそれは選ばなかった。一時でも早くと、自分が苦しみ悶えている間すらをも惜しんで杯を空け続けたのだ。

「な、なんでそんな無茶をしたの! 殺生丸は!?」
「りんの身に障らぬよう、りんとともに在れる時を少しでも長くと望まれて……」
「邪見……」

 そこまで話すと邪見は、かごめの着物の裾を掴んでいた手を離した。

「……殺生丸様は、りんを娶るおつもりじゃ。今日ここを訪ねたのは ―――― 」

 そう言いながら邪見はその金壷眼の視線を、自分の主とかつての養い児に向けた。
 りんの手には今着ている着物に合わせた色味に、殺生丸の花押でもある三盛亀甲紋を縫い取った帯が乗せられていた。

「りんちゃん、殺生丸……」

 二人の見詰め合う様子に、かごめはもう自分の出る幕ではないと納得した。



「殺生丸様っっ!!」

 着物の裾を気にもせず、自分に向かって駆けてくるりんの姿に思わず口元が綻びそうになる。三年前に渡した着物が、今ではすっかり様になりそれだけの時がりんの上に流れたのだと知らしめる。

「……待たせたな、りん」
「ううん、待たされてなんかないよ。殺生丸様はここで待ってろなんて仰らなかったもん。りんが勝手に待ってただけだから」

 にこにこと向ける笑顔が、殺生丸の体を熱くする。

「これを、りん」
「帯? これを、りんに…?」

 自分の手の上に置かれた帯の意味も、まだ判ってはいないりん。だがその意味を知った時、りんはなんと答えるのだろう。

「……殿方が娘御に帯を送るは、求婚の儀なり」

 慌てて駈けて来たのだろう、はぁふぅはぁふぅと荒い息をつきながら楓が、言葉が足りない殺生丸の替わりにりんにも判るよう言葉を付け足す。

「楓様……」
「ふぅぅ、空にお前様の妖気を感じましたのでな、急ぎ馳せ参じたのじゃ」
「…………………」
「そして娘御がそれを受け入れる証は、殿方に贈る袴でそれとする」
「袴…? あっ、それじゃ楓様があたしにあの袴を仕立てさせたのは……っっ!!」

 りんの言葉に、滅多に表情を動かさない殺生丸の眸の色が光を増す。

「あい判っておった。お前様が三年前、りんにこの着物を贈った時から、いずれこの日が来よう事は。あれほどの着物を仕立てておきながら、帯を付けてはおらなんだその訳を。勿論りんに否はなかろうから、その場ですぐに返事を返せるよう用意して待っておりました」

 そう言いながら楓はりんの手に藍色の包みを渡した。りんはそれを広げると、中から取り出した妖織りの袴を殺生丸の前に捧げる。

「殺生丸様、これを……」
「りん……」

 互いに贈り合い、それを受け取る。

「縁を結び、絆を結ぶ為に帯を袴を送りあう。それを解けるは送り主だけ。解いて更に絆を深め、子々孫々まで栄えてゆくようにと……」

 楓の言葉に、殺生丸とりんはかごめが抱いていた赤ん坊に視線を注いだ。
 つまりは ――――




 それから一年後。

 
 犬夜叉とかごめの子が、赤ん坊をあやしていた。
 自分もまだまだ赤子の領域でありながら、その赤ん坊が自分に近しい者だと判っているのだろう。
 まるで微笑ましい、兄弟のようなその様子。

 金の眸と白銀の髪をもつ赤ん坊であった。
 そして、その赤ん坊の傍らには幸せそうに微笑む若い母親の姿があった。
 その父は人里が苦手で相変わらず漂泊の旅を続けているが、時折里を訪ね妻と過ごし、子の成長を無表情なまま見守っている。離れていても側にあっても変わらぬだけの強い絆に結ばれて、いつか迎えるその時までを溢れる微笑の中で過ごしてゆく。

 溢れてゆく人の血脈に己の血を混ぜ、やがて消え行くモノどもの殿を務める責務を果たし ――――

 人が希望を持ち心の闇が薄くなると同時に新たに生まれる妖怪の数も減り、禍なすモノは雷帝のごとき大妖に粛清される。

 これもまた、時の淘汰。


 時を越えるのは、その信じあう想いがあればこそ。
 全ては、そこから始まる ――――


【完】
2008.6.18


 

= あとがき =

…最後の原作突発SSです。この「犬夜叉」という作品に出会い、私はまた文章を綴る楽しさを思い出しました。そして、その尽きぬ作品の魅力に気が付けば、5年以上犬夜叉の二次創作を続けていました。
原作はこの日を持って完結しましたが、私の中の犬夜叉ワールドはまだまだ未完です。
こうして原作突発SSを書けなくなる事は少し寂しいですが、その分未完のお話を仕上てゆきたいと思います。


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