【 委ねられしもの 】



―――― 失くしたもの。

 犬夜叉に切り落とされし、我が左腕。
 得たものは、薄汚い人間の小娘の命一つ。

 それから時は経ち ――――

 得たものは、三度望む事は叶わぬりんの命一つ。
 失くしたものは、己が育てし技一つ。


 目の前にあざ笑いながら漂う首は、もしかしたらああなっていたかもしれぬ己の影のよう。奈落とは微かに異なる邪悪なる臭いに、さらに嫌悪の気持ちを強くする。

( 今、この場で挑む闘いになんの意味があるのかと、昔の己に問われても答えるべき答えなど持ちはしない )

 四魂の珠などに興味はない。
 下賎な奈落など歯牙にもかけぬ。
 ただ己の行く道を妨げるなら、ただ引き裂き振り払うだけの事。

 強くなりたかった。
 誰よりも、今は無き父上よりも。
 父上を超えんと、ただただ力だけを求めたあの日々。
 父上の力の証である鉄砕牙の行方を追い、数多の命を散らしてきた修羅の日々。

 ……斬れぬ天生牙を与えられ、父上を恨み憤りながらもそれを捨てる事も出来なかったあの頃。

( まさかこのような心持で、この天生牙を握ろうとはな )

 見据えた金の瞳で斬るべき相手を見定め、虚空に一閃鋭く斬りつける。空中を漂う生首の左目は切り裂かれ、それを瘴気混じりの暗い空にその本体を曝け出す。遥か古の伝説の巫女・翠子とと共に果てた妖怪どもの邪悪なる霊魂。

「そうか! 天生牙はこの世のものならぬものを斬る刀。霊魂はすでにこの世のものではない!!」

 我が後ろで、あの法師の講釈が聞こえる。そう、言うまでもない。奈落の体は、曲霊にとっては借り物の体。いくらあの体を砕いても切り裂いても意味はない。この本体を討たねば!
 曲霊もこちらの思惑に気付いたのか、法師達を取り囲ませていた体の一部を己の守りの為に呼び戻した。守りを固められる前に、早くあの曲霊の本体に止めを刺さねばならぬ。、もう一太刀、天生牙を浴びせようとした曲霊の前に、鋼鉄の鎧を纏った奈落の触手が壁を作る。振りかざした天生牙の刃はその鎧に跳ね返された。

「なんだその刀は。霊魂は斬れてもこの世のもの…、奈落の体は斬れんのか?」

 そんな曲霊の嘲りの言葉と共に、太い石筍のような奈落の触手が私の鳩尾の両脇を刺し貫いてゆく。それと同時に体内に流れ込む瘴気と毒気。肉が焼け爛れる音が聞こえる。勝ち誇ったように曲霊の生首が次の言葉を吐き捨てる。

「くくく…、もう一度言おう…。お前は弱い」

( 弱い…? )

 一瞬、頭を掠めた問い。
 その隙に奈落の触手に絡めとられ、全身を握り込められる。

 声が、聞こえる。

「殺生丸様ーっ!!」

 りんの、邪見の声。

「てめえ、よくも…。ちくしょう! ちくしょう!」

 この声は、犬夜叉か。

「殺生丸てめえ…、こんなことでくたばりやがったら承知しねぞ!」

( 犬夜叉…… )

 自分に向けられる思い、自分を包むこの波動。今まで感じた事のない、このまだ形にならない濡れた思いはりんのもの。

( ……泣いているのか、りん。悲しみでもない怒りでもない、ただただこの私の身を思うばかりに ―――― )

 曲霊はなおも口汚い嘲りを続けている。

「自慢の刀で塊ごと吹き飛ばしたらどうだ」
「中の奴のことなら心配するな…。たとえ粉々に打ち砕かれても、すぐ蘇る」
「奈落の体の一部としてな…」

 最後の一言が、そこにいた者達の怒りを呼んだ。りんや邪見だけではなく、犬夜叉やその法師や退治屋の娘などからも。その怒りが思いが己の身の内で膨れ上がり、曲霊に流し込まれた瘴気や毒気を焼き尽くす溢れるような力を感じさせた。

( 何が強くて、何が弱いのか。大事なものが何か。父上、これが強くあると言う事か )

 自分の体内で駆け巡るその力と、右手にした天生牙から流れ込む力。二つの力が己の身の内で嵐のように吹き乱れ荒れ狂い、出口を求めて対へと奔る。

 そう、今は失われた左腕に。 

 実感する。そこにある力を。
 溢れ出ようとするこの力を、どちらの色に染めるも己の心一つ。
 砕き引き裂き滅する為の殺の力とするか、この世のものではないモノ達をあるべき所へと導き生かす力とするか。

( 父上が私に委ねたものは、これなのか……。出会うはずのない者との出会いも、その者に出会う前に左腕を失ったのも、全てはこの選択の為 )

 心を決める。

 私のこの身は修羅を生き、妖怪・人間どもの血潮に塗れている。
 右の腕は剣を握る、闘う為の腕。
 ならば、この左腕は――――

 心に浮かぶあの笑顔と温もりを思い出す。
 囚われた時にはそこになかったはずの左腕。縛めを逃れ、自由の利く二の腕から先でこの身を締めあげる触手を断ち切る。そこに込める思いは、自由になれと。あるべき所へ還れ、奈落の呪縛から解き放たれよと。

 包み込んだ曲霊の体を中から稲妻のような光が貫き、大きな音を立てて弾け飛んだ。砕けた欠片は光を纏い、しゅうしゅうと音を立てながら消滅してゆく。眩い光が与えた真っ白な闇が収まる頃、その光の余韻を纏った姿を皆の前に現す。

「殺生丸様!!」

 その声の、一音一音が力となる。左腕の神光はますます輝度を上げ、辺りの薄暗さを圧倒し始めた。

「おのれ、殺生丸! まだくたばってはなかったのかっっ!!」

 光に侵食されつつ、苦しげに曲霊の首は呻いた。

「曲霊よ、お前はいつまでその奈落などの薄汚い借り物の体に篭っているつもりだ。その体を無くしたら、また四魂の珠の中に逃げ帰るのか」
「ふん! あんな狭い所はもう真っ平だ。折角現界にこうして貌(かたち)を持てたのだ。今までの恨みを晴らし、この世に禍の種を蒔いてやろう。もっともっと戦乱が続き、人が殺しあうようにな!!」

 すっと自分の足元に転がる曲霊の借り物の体から離れ、ふわりと宙に飛び曲霊の首と正対する。先ほど天生牙を振りかざした時には感じなかった哀れさを、この首に感じながら。

「……それが、お前の望みか? それでお前の気持ちは本当に晴れるのか?」
「なっ…!? なにをおかしな事を口走る!!」
「曲霊、お前の中にはいったい何体の妖怪の霊魂が入っているのか。それらのもの全てが、今 曲霊としての在り様を喜んでいるのか。本当は全ての柵から解き放たれ救われたいのではないのか! 己としてありたいのではないのか!!」

 厳しくも優しい、その言葉。殺生丸の口から放たれた言葉は言霊となり力を持つ。澄み切った金の瞳に、苦悩する曲霊の顔が映る。小さな亀裂が生まれ無理やり引き戻され、顔の上に別の生き物が生まれては消えてゆくよう。

「もう、逝くが良い。次に何に生まれるかは私は知らぬが、少なくとも体を持った何かにはなれるだろう」

 右手で持つ天生牙に左手を添え、天空高く指し示す。
 周辺の『気』を巻き込みながら、右手と左手合わせた手の間に挟まれた天生牙から大きな光の御柱が立つ。

「うわっ!! 体が、貌が崩れ…る……。何か…が、抜けて……ゆ… く……」

 上昇してゆく光の気に巻き込まれ、曲霊の欠片がぽおっと小さな光の珠になっては飲み込まれてゆく。その様は、荘厳でさえあった。

( ……一体、何が起こったんだ? この世のものとも思えぬこの光景は )

 そうして弥勒は気付いた。天生牙を力強く捧げ持つ殺生丸の合わせた手の左手が少し上になっている事に。

( 合掌の高くありし左手は、これ神仏を現すなりと…、か。確かに、今の兄上はとても妖怪のようには見えませんね )

 光のかなたに全てが消え去っても、その荘厳さにしばらく誰も口を開くものはいなかった。しばしの間、それから弾むように響くりんの声。

「殺生丸様っっ!!」

 声と共に嬉しさを全身に表し、りんが殺生丸の元に駆け寄ってゆく。

「やっぱり強いね、殺生丸様。りん、信じてたよ!」
「りん……」

 まだ光を放っている左手で、りんの頬に触れ瞳の端に残る涙の痕に触れる。

「……私を信じるにならば、闘いの場でもう二度と涙は見せるな」
「殺生丸様……」
「お前はいつも笑っていろ」
「はい、でも、あの……」

 殺生丸の言葉の意味を取りかねて、困ったような顔をするりん。
 そんなりんの様子を見て取ったのか、りんの顔に触れていた左手を一旦りんからはずし、それからゆっくりと背中から肩へと左腕を回し、自分の方へと引き寄せた。いつにないほど深く引き寄せ、小柄なりんの体はまだ闘いの痕の残るもこもこに埋もれてしまう。
 りんの肩に置かれた左手からほのかに温かく透き通った何かが流れ込み、りんの中をきれいに流し清めてゆく感じがした。

「お前の笑顔が私の力になる。だから、お前はいつも笑っていろ。もし、お前が涙を流すとしたら……」

 言葉を切った殺生丸の眸に澄み切った金の光とは違うまた別の色が瞬いたのを、弥勒は目敏く見咎めた。そんな視線に気付いたのか殺生丸はりんの顔を隠すように、自分の顔をりんの小さな耳元に寄せ、何ごとか囁いた。

「はい、殺生丸様…」

 なぜか赤く染まったりんが、恥ずかしげに小さく呟いた。

( ほぅ、まったくの朴念仁かと思ってましたが、りんにはそれなりの気の聞いた台詞も言えるようになったと見えますな。本当に女子の力は偉大ですな )

 にやにやと好色気な笑み見せ、弥勒はそんな二人を見ていた。ふいに殺生丸がりんの肩を軽く押し、こちらへと身を向けた。

「殺生丸様?」
「まだ少し、やる事が残っている」

 すっとりんの側を離れると、今度は雲母の背にもたらせかけられたままの意識のない二人の所へ足を運ぶ。かごめの前に立ち、天生牙を構える。儀式か何かのように中空で真一線、上から下へと天生牙を振り下ろす。

「……もう動けるはずだ。お前を縛っていた魄は今切り捨てた。生きている人間の『心』の浄化は、巫女お前の領分であろう」

 そう言いながら、天生牙を鞘に収める。

「かごめちゃん!」
「かごめ! 動けるか!?」

 そろそろとかごめが手をあげ、その手を犬夜叉が取る。

「うん、もう大丈夫みたい。ちゃんと皆の声は聞こえていたから」
「かごめ様、では……」

 弥勒に促され、かごめは自分の隣で意識なく身動きしない琥珀に自分の手をかざした。穢された四魂の欠片から立ち上る邪気と瘴気に、かごめの掌はひりひりと焼けるような痛みを感じる。それでもかごめは琥珀を助けたい一心で、そして自分に全てを託し委ねてくれた桔梗の想いに応えるためにも、今出せる力の全てを琥珀の命を繋ぐ四魂の欠片に注いだ。
 臨界を越えた力がぴしっと鋭い音を立てて欠片を貫き、その光の力は欠片を通してどこかに流れ込んでいった。その光が収まる頃、琥珀は意識を取り戻した。

「あ、かごめ様。それに、姉上……」
「琥珀! 気が付いたんだね!!」

 別々にある事を選んだ姉弟だが、その身を気遣うのは深い情愛があることの証に他ならない。

「どうにか無事、収まったようですな。とは言え、あの奈落の事。また更なる悪企みを考えていることでしょう。私たちも、次の手を考えておかないとですね」
「……次の手、か。その前に、私はお前に用がある」

 その場を何気なく流してしまおうとした弥勒の背後に、右手に妖爪を構えた殺生丸が忍び寄っていた。

「約束、と言ったな。こうして私は、ここに戻ってきた。お前の首をもらいに」
「殺生丸様!!」
「やめろ! 殺生丸!! 味方同士で、なぜ殺しあうような事を言う? お前、変わったんじゃないのかよっっ!?」

 一瞬にして険悪な雰囲気が漂い始めたその場において、どこかしれっとした顔の弥勒が殺生丸の前に正座し、口の中で真言を唱えながら合掌する。

「なんの真似だ、法師。命乞いのつもりか? 妖怪である私を拝むなど、どこまでも狂気沙汰な男だな。そんな痴れ者がりんに触れたのが気に喰わぬ」

 その一言に、意外な殺生丸の一面を思い知る犬夜叉以下その場の面々。
 つまり……、あの時の弥勒の行動を殺生丸はそーとー面白く思ってなかった訳だ。あの時の弥勒が本気ではなかった事など、当然分かっていてそれでもどこか腹の虫が収まらないとは……。

( そこまでこいつ、りんに惚れているのかっっ!? )

 それが、その場に居た者全員の共通認識。
 ちらりと珊瑚が琥珀に視線を送り、その姉の思惑を読み取り琥珀が頷く。どこか生真面目な所がある珊瑚には、いくら互いが想い合っていてもまだ時期尚早、このまま二人だけにしたらどこまで行くか分からない、トンでもねぇ事だと監視役を琥珀に託す。

「いえいえ、私は法師。神仏に仕える身ですから、兄上のその左手に真言を奉じたまでの事。命乞いなどではありません」
「殺生丸様! 弥勒様は何も悪い事はしてないよ!! りんの為に、殺生丸様がちゃんとお戻りになるよう計らって下さっただけで……」

 りんの一言に、殺生丸の顔に浮かんだ『微笑』の意味は ――――

「判っている。もしお前に他の男の手が付こうものなら、その場で八つ裂きだ。二度目はない、肝に銘じておけ!」

 そう言い放った言葉は誰に対してのものかはよく判らなかったが、どうにか収まりそうな気配を嗅ぎ付け、阿吽の腹の下に隠れていた邪見ががさごそと這い出してくる。

「ふぅぅぅ〜、肝が冷えたわい。どうやらワシの事はお目こぼしいただけたようじゃ」
「良かったね、邪見様。殺生丸様にお仕置きされなくて」
「なっ…! なんで、お前がそんな事を言う〜っっ!?」
「えっ、だって皆気が付いてるよ? ねぇ、法師様」

 りんの言葉に弥勒は苦笑いを浮かべ、殺生丸は表情を硬くする。幼いとはこうも罪なものか。
 ぽろっと心の中で呟いた本音を周りの者みなに悟られていた事に慌てふためき、誤魔化すように叫んだ。

「や、やめいっ! りん!! お前は殺生丸様だけを見ておれば良いんじゃ!」
「うん! そうだね、邪見様!!」

 触れれば切れそうな冷気だけを残し、殺生丸は弥勒の側を離れた。
 目指す所は同じものかもしれないが、互いを兄弟とどこかで認めつつも狎れ合う事を良しとせぬ気性ゆえ、再び袂を分かって次の道へと歩みだす。

 先に歩き出した兄の後姿。
 左腕に纏いし神光がすっかり収まった頃には、そこにはもうあの左手はなかった。

幻の左手。

 かつて、犬夜叉に切り落とされた左腕には未練もないと言い切った殺生丸。
 今もその身は隻腕のまま。
 右手(めて)だけの身を、不自由とも思わぬ。

 あの左手は、修羅に塗れさせてはならぬもの。
 大事なものに触れるその時の為に。
 愛手(めて)として、触れるその時に。


 いつか闘いの終わる、その時に ――――


【終】
2007.8.11




【 あとがき 】

はぁ〜v 今年の夏も殺りん&犬兄弟で思いっきり楽しんでしまいました。突発ゆえの説明不足な所や前に書いた分との微妙な食い違いなどは大目に見ていただけると幸いです^_^;
このSSは前回の「約束」からの設定を受けていますが、その前の「相性相剋」とはちょっとずれてます。


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