【 誓 −ちかい− 】



 ―――― 天生牙


 なぜ、鳴かぬ!?


 お前は、百の命を繋ぐ剣。
 今、冥界の主を切り伏せたお前が、なぜ…

 どんなにこの眸を凝らしても、これの周りに居るはずの「あの世」の使いの姿は見えず、切り伏せる事も出来ぬ。

 このままでは、りんは…

 私は、りんの体を抱きかかえると急ぎ、戻れる道を戻り始める。
 そう、戻れるものならば!!

 あの、母の前に出る前に!

 ……いや、あの母なら、何か手立てを知っているやも知れぬ。
 今となっては、それだけが一縷の望み。



  * * * * * * * * * * * * * * * 



「のう、小妖怪」
「…邪見でございます、御母堂様」

 どうやら、邪見の名前など覚える気もない風な、その態度。面白そうに、手にした冥道石を見ている。

「お前は、殺生丸とあの小娘との関係をどう見ている?」
「どう…、とは? わたくしもりんも殺生丸様の下僕で御座いますれば」
「…うむ。確かにお前は下僕そのものであろうな。それなりの働きも出来るようだし」
「はい! 左様で御座います。この邪見、殺生丸様のお言葉であれば、一命を賭しても、ご下命果たしてご覧に入れましょう」

 そんな邪見の言葉を聞いているのか、聞いていないのか?
 殺生丸の母は、冥道石に映し出される殺生丸の姿を、不思議な色合いの眸で見つめていた。

「…情のない子であったのにのぅ」
「御母堂様?」
「あんなお前よりも役に立たぬ、足手まといでしかないような人間の小娘を、ほれ あんなにも大事そうに抱え込んで」
「殺生丸様はりんを無事、助け出す事が出来たので御座いますかっっ!!」

 邪見の声も弾む。
 その声にちらりと、冷たい視線を投げ、感情の掴めぬ声音でぽつりと殺生丸の母は言葉を零した。

「必死な顔じゃ。さて、どうなる事やら…。あの娘の息は、もう既に止まっておるな」
「な、なんですと!! あっ、いや… 殺生丸様には、天生牙が御座います。りんもこのわたくしも、殺生丸様の振るわれるあの天生牙に救われた身で御座いますれば」
「ほう…、お前も黄泉帰り組か。ならば、お前には言っておこう。その命、大事にするがよい。二度目はないのだからな」
「はっ!? あ、あの…、今 何と仰られたので……」
「…天生牙がその者に使えるのは一度きり。それ以上は、『欲』になる」

 今まで、色んな恐ろしい目にあってきた。もう、生きているのが嫌だと思う事など、星の数ほど。だがしかし、今の殺生丸の母の言葉ほど恐ろしく、深く胸をえぐる言葉を聞いた事がないと、邪見は思った。

 ……それでもあの殺生丸であれば、決してりんをみすみす見殺しにはするまいと、敬愛する主の帰りを待ちわびる。

 冥道石を見ていた殺生丸の母が、くすりと笑みを漏らす。

「ほほほ、どうやら天生牙を覚醒出来たようじゃ。時期、お前の主はここに戻ってこようぞ、小妖怪」
「ここに戻ってこれれば、りんの命は助かるのでございますかっっ!? 御母堂様!!」

 すいっと、冥道石から視線を外し、あらぬ方を向いて気のないように答えを返す。

「…最初に申したはず。あの天生牙を鍛えるには、それなりの犠牲が必要と」


「――― 聞いてはおらぬ、母上」


 その声は、常に変わらぬ邪見が主(あるじ)、殺生丸のもの。

「おや? 言ってはおらなんだか。まぁ、良い。無事、そなたがこの世に戻ってこれたのじゃからな」
「…天生牙が利かぬ。何か、手段はあるのかっっ!?」
「当たり前じゃ。誰彼と幾度も命を繋ぐようなお助け刀ではあるまい、天生牙は」
「母上っっ!!」
「……何を焦っておる? たかが人間の小娘一人。それも特別な力がある訳ではなし、そのくらいの犠牲で天生牙が覚醒したのなら、安いものじゃ」
「 ――― !! ――― 」

 取り付く島のない母に、殺生丸はこれ以上この城館にいても『時』の無駄だと判じた。何も言わず踵を返すと、何百年ぶりかに会った母に背を向ける。

「わたくしの庭に、そんな薄汚い小娘の墓など作ってはくれるなよ、殺生丸」

 そのあまりの言われように、殺生丸はもう二度とここへは足を向けるまいと強く思った。今はただ、りんの命を取り戻す事が先決。腕の中のりんの匂いがまだ『りん』のものであるうちに!!


 『死人』の匂いに変わらぬうちに ――――


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「…ほんに、久方ぶりに会った我が子だと言うに、もう二度と見(ま)みえる事は出来ぬかも知れぬな」

 今では使命を果たした冥道石を、感慨深気に撫でてみる。

「闘牙王も罪な方。我が子らに新しき『時』を紡がせる為とは言え、全ての柵(しがらみ)を断ち切らせるように仕向けるとは、いくら享楽な母であるとはいえ、切ないものよ」

 今、殺生丸の母のそばには誰も居なかった。
 殺生丸が去り、邪見が後を追い、その場に居る事が煩わしくなった母は城館内の自室に戻ると人払いをしていた。

「…一目見て、判ったわ。あの娘の、殺生丸に寄せる『信』の心。何も持たぬが故の、『純』と言う力。それが、あの子を導いたのだな」

 するりと冥道石は殺生丸の母の手を滑り落ち、硬い床の上で綺羅のように砕け散った。
「この母でさえ、そこまで信じる事は出来ぬわ。最初から、勝負にはならぬ。後は運命(さだめ)に従うが良かろう」

 ふっと、殺生丸の立ち去った方向に投げた視線に滲んだ色がなんであったか、それは誰も知らない ――――


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 地上に降り立った殺生丸。
 腕には、既に息のないりんの体を抱きしめて。

 どうすれば良い?
 どうすれば、りんは助かる!?

 自分が、こんなにも無力だと思い知らされたのは生まれて初めて。
 『力』など要らぬ。
 『りん』さえあればと ――――

「殺生丸様…」

 おずおずと、殺生丸の後ろに控えていた琥珀が口を開く。

「……………」
「俺の…、俺の背中にある四魂の欠片を使ってください!!」

 琥珀の顔にも必死な表情。

「四魂…、の ――― 」

 その言葉を、足元の邪見が遮る。

「駄目じゃ、駄目じゃっっ!! 四魂の欠片と言えば、持つ者の気質を歪め、禍を呼ぶ穢らわしいもの。それをりんに使おうなどと…」
「大丈夫です! 俺の欠片は…、桔梗様が精魂傾けて浄化されたもの。もっとも清浄な欠片です。だからこそ…、りんに相応しい、と ―――」
「…その欠片は、琥珀。お前の命を繋ぐものでもあろう」

 静かな声だった。
 数多な死者の魂を浄化させた者に相応しい、神威さえ感じさせて。

「…構いません。桔梗様は俺にこう言い付けられました。『何があろうと、この欠片を穢させてはならぬ』、と。俺はこの欠片を使えば、りんの命が助かる事を知っています。知ってて…、もし、ここでりんを見殺しにしたら、この欠片はもう清浄ではいられません」
「琥珀…」
「俺も、一度は死んだ人間です。記憶を奈落に封じられ、心を操られて沢山の人を殺しました。いえ…、その前に自分の『弱さ』ゆえ大事な父上や姉上、退治屋の仲間まで傷つけ、殺して ――― 」
「……………… 」
「俺の手は、もう血塗れです。自分の心を取り戻した後でさえ、せめて奈落に一矢報いんと、操られた振りをして何の罪もない人たちも殺しました」

 殺生丸と琥珀。
 共に修羅を生きる二人であった。

 かつて、人間であろうと妖怪であろうと一片の情もなく、塵芥のごとくその『命』を散らしてきた殺生丸。その身には常に死者の血臭と怨念とが纏わり付いていた。二人の視線が、殺生丸の腕の中のりんに注がれる。


 ――― 己の身を血潮に濡らしても、血で汚した事はないその小さな手。その手はいつも殺生丸を求め、琥珀に差し伸べられ……


 その先には、あの笑顔。

「…俺は死んだら、地獄に行きます。それだけの罪を重ねてきました。その裁きから、逃げようとは思いません。でも…、この俺の『生』の最後にりんを助ける事が出来たら、きっと俺は地獄の底でもりんの笑顔を思い出せます」
「…今は、お前の言葉に甘えよう」

 殺生丸の『気』が大きく揺らめく。
 琥珀は自分の背中に走るような痛みを感じた。
 その痛みは全身に広がり、欠片の力で押し留められていた『死んだ時の』琥珀の体に戻ってゆく。皮膚は裂け、肉は割れる。満身創痍のその姿は、瞬く間に自分の血に塗れてゆく。

 遠くなる、意識。
 視界が暗く、底なしの闇が琥珀を包もうとしていた。闇の底からは、先ほどまで居た冥界の生臭い風が吹き付けてくる。
 ちか、と目の奥が瞬いた。

 一瞬浮かんだのは、二人の人影。

 一人は、琥珀の傍らで同じ修羅の道を歩んでいた悲運の巫女、桔梗の姿。
 もう一人は陽だまりの中、野花を摘んでありのままの自分を受け入れてくれる、暖かな笑顔のりん。

( ――― 俺は、自分に課した誓いを破った。奈落を討つという誓いの元、この手にかけた人たち。もう、取り返しの付かない事だけど… )

( …でも、桔梗様。俺、桔梗様との約束だけは守りました。桔梗様が清められた欠片をりんに託します。りんなら、あの子なら、きっと ――― )

 琥珀の瞳の底に映っていた人影も、消えようとしていた。
 訪れる、死の真闇。


 ――― 二人の姿が消えるのと同時に、その真闇の帳に一閃、光が鞘走る。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「…邪見、後を見ておけ」

 天生牙を鞘に収めながら、殺生丸は腕の中のりんを見やる。爪先は欠片を琥珀の背中から抉り出した時の血がついている。天生牙を掴んだ掌には、四魂の欠片。

「殺生丸様…、本当にそれをお使いで…?」

 恐る恐る邪見が、殺生丸の手の中の物とりんを見比べそう言う。
 邪見とて、知らぬ訳ではない。
 確かにこの『四魂の欠片』は、死者をも蘇らせる事が出来る事を。

 あの白霊山の折、りんを攫ったのは凶悪さゆえに首を刎ねられ葬られた傭兵どもの骨に四魂の欠片を埋め込んだ死人どもであった。
 この琥珀も、欠片で蘇った時は心のない人殺し用の操り人形だった。

 もし、りんがそんな事になったら ―――

「…他に手はない」
「ですが、殺生丸様!!」
「その時は、この手で……」



 殺生丸は密かな決意を胸に、腕に抱えたりんを伴い空へと駆け上がった。
 『もし』の時に、その様を誰にも見せたくはなかった。
 掌の欠片は、優しく光を零し続けている。

 ……あの奈落をも浄化せしめんとした、桔梗が最強に清めた四魂の欠片。今までの殺生丸であれば、おそらく浄化される事はなくとも同じだけの力の強さで反発しあう事だったろう。
 それが今、真の天生牙の使い手として覚醒した事により、その『力』は共鳴しあう。

 殺生丸は未だ人の踏み込んだ事のない、太古の森のその奥に湧き出す泉のそばに、りんの体を横たえた。

 息は絶え、薄い胸から鼓動も消えた。
 手足はひんやりと冷たくなってきている。
 血の気のうせた顔は、まだ死者の相を浮かべてはいないが、それも時間の問題。

 手にした四魂の欠片に『願い』を込め、止まってしまったりんの心臓の上に掌を置く。四魂の欠片はりんの着ている単の衣越しにりんの胸に吸い込まれていった。
 固唾を呑んで、りんの変化を見逃すまいと金の眸を凝らす。
 閉じられた黒き瞳に映る自分をもう一度見たいと、あの笑顔をもう一度見たいと ―――


 ――― しかし、その瞳。開く事、叶わず ……



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 り…ん……

 りん……


 りん ―――



( …誰の声だろう? 優しい声…、聞いた事があるみたいな ――― )

 目が見えなくなったのかな?
 どこを向いても真っ暗で……

 ううん、自分の体もどこにあるかわからないみたい。
 この感じは…

( りん、また死んじゃったのかな? あんまり苦しくも痛くもないけど… )

 でもあの時みたいな、胸を苦しくするような恐怖感はない。
 知ってるから、りん。
 きっと殺生丸様が迎えに来てくださるって。

 なんでだろう?

 りんが殺生丸様のお傍にいたいって気持ちもあるんだけど、それ以上にまだりんはここに来るべきじゃないって、そう思ってしまう。
 りんにはまだ、何かしなきゃならない事があるみたいな…

( りん… )

 もう一度、闇の中からりんを呼ぶ声。
 優しい、少し哀しい、女の人の声。
 ああ、この声は…

 あたしが気付いたのと同時に、ぽぅっと闇の底に明かりが灯る。
 蛍の光のような、頼りない小さな光。

( りん )

 声が、あたしのすぐ側で聞こえた。

( …巫女様! りんを白霊山で助けて下さった… )
( 小さなお前を巻き込むつもりはなかったのだけど…、でもお前なら… )
( 巫女様? )
( お前なら、きっと守ってくれる。お前のその『強さ』なら… )
( 強さ? りん、ちっとも強くないよ。巫女様のように弓を引ける訳じゃないし、殺生丸様のように剣を振るえる訳じゃない )

 その巫女は小さな笑みを浮かべると、そっとりんの頭に触れた。触れた手が暖かいと、りんは思った。

( お前は強いよ。私より、かの大妖よりも )
( ……………? )

 細い指先で、りんの胸元を軽く押す。
 ぽぅっと明かりが灯ったような、暖かさを感じた。

( りんは今、どうしたい? )
( どうしたいって…、りん、今すぐ殺生丸様の所に帰りたい!! )
( 殺生丸は、妖怪ぞ? 人間であるお前の事など、どれほど思っていようか? )
( うん? ううん、そんな事、関係ないんだ。『りん』がお側に居たいだけなんだから )
( りん… )
( それにりん、信じているから。殺生丸様の事。りんがまだお側にいても良いなら、どんな時でも迎えに来てくださる。りんの御用が済んだ時には、殺生丸様がりんの事を死なせてくれるって )

 すっと、巫女の姿が引いたような気がした。

( お前は、全て判っていてそうしているのだな。それほどに、あの大妖を信じているのだな )
( 巫女様? )

 また、巫女の頬に浮かぶ笑み。
 その笑みの意味は ――――

( かの者が待っていよう。早く戻るが良い )

 ふっと、目の前の巫女の姿が流れたように揺れた。真闇の底が揺れ細い光の亀裂が入ったと思った瞬間、りんの耳は一番聞きたかった存在の声を聞く。


「りん!! 戻って来い! ここに、私の許にっっ!!!」


 声とともにりんの体は光の奔流の中に投げ出される。
 そして ――――

「殺生丸様……」
「りん!!」

 殺生丸の腕の中に戻ってきた存在。
 唯一無二の、己の傍らにあるべき存在。

 きつく、その身を抱きしめて ――――



 光の奔流の中、消え行く闇の中で桔梗が呟く

( …私には、出来なかった。自分が殺されても良いと思えるほど、犬夜叉を信じきる事が。それが、私の弱さ ――― )

 今、桔梗の瞳に映るのは、りんの胸で息づく四魂の欠片が放つ眩いばかりの光。


 全てのものを超えて輝く光。


 妖(あやかし)であろうと、人間であろうと ――――
 幼子であろうと、歳経たものであろうと ――――

 その未来が決して、人の思う『幸せ』とほど遠いものであっても ―――
 この者らの『想い』には、障害ですらないのだ。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 腕にりんを抱きしめ、殺生丸は思う。

 もう二度と、りんを人里に放つ訳には行かなくなったと。
 りんの中にある四魂の欠片。


 りんの、『命』。


 あの奈落が狙わぬ訳はないだろう。
 もし、欠片が奪われるような事があれば… …

 更に、腕に力を込めりんの体を抱き締める。


 今、誓う。


 二度とお前を手放さぬと。
 お前の命は、その身はこの殺生丸が守り抜く!!


 全てが終わる、その日まで ――――



【終】
2006.8.24




【 あとがき 】

2006年夏、サンデー34号から始まり現在まだ「祭り」続行中の原作での殺りん展開v これに乗らない訳はありません(*^_^*)
という事で、38号までの展開から先読み妄想分をまず1本、落としておきます♪
 
かなり、ありえそうな展開かな? と。
二次創作的には、色んな殺りんサイト様が手がけているプロットではないかと思うのですが、もう勢いに任せて仕上げました。

…実は、この話の続きが本当の意味での『誓』な部分なんですが、それはまた時間がある時にでも^_^;
ええ、ほんっとうに妄想としか言われない文章ですので。
しかも私の書く、『基本設定』に沿ったものですので、ね(邪笑)


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