【 誓文 −ちかいぶみ− 】


このお話は、サンデー38号までのりんちゃんの危機を読んだ時点で先読みSSとしてUPさせた、「誓」からの続きです。先にそちらを読まれてからの方が、物語の展開は判り易いかと思います。それでは、どうぞお楽しみくださいませv




 ――― 腕に伝わる、温かさ。



 耳元に届く、かすかな息遣い。
 抱き寄せ重ねた胸に響く、その鼓動。


「殺生丸様…」
「…………………」


 言葉など、あろうはずもない。
 私の名を呼ぶその声音に、胸が詰まる。


 変わらない。
 りん、お前は変わらない ――――


 四魂の欠片で命を繋ぐ者に現れる、気質の悪化は感じられなかった。
 りんはりんのままで、今 私の腕の中にある。
 母の謀(はかりごと)か、天生牙が仕向けたのか?
 お前に二度も黄泉路を歩ませ、そしてこの腕に取り戻し……


 突き付けられたものは ―――


 三度目はない、と言う事。
 次にお前を失うその時が、お前との永遠の別れ。

 その事実に、背に慄然とした冷たいものが走り抜ける。
 腕の中の、りんの温かささえ儚くなるような…、怒りにも似た恐慌感。
 きつく抱き締めたりんの胸から伝わる鼓動の中に紛れる、四魂の欠片の波動。それが更に重たい意味を持って、己の胸中に圧し掛かる。

 今まででも姑息な企み事の手段にとりんを攫った事もある奈落だが、これからは『りん』が、いやりんの胸に息づく『四魂の欠片』が標的となろう。
 それは取りも直さず、『りんの命』を狙うと言う事に他ならない。


 ――― あの奈落が、りんの命を…?


 漠然と、『許せぬ事』と思っていたそれが、また違う様相を見せる。

 りんの命を狙う?
 りんの全てを私から奪って…?

 その存在も、想いも、全て……

 かっと、体中が熱くなった様な気がした。
 それと同時に、腕の中のりんの存在があまりにも危うく感じられ、ある想いを身の内に生じさせる。

 ……二度とお前を手放さぬと。
 お前の命は、その身はこの殺生丸が守り抜く。


 全てが終わる、その日まで ――――


( その日まで…? )

 己の想いの中の、冷静で残酷な棘のような事実。
 いつか終わる、りんの生(とき)。
 それを、どこかで自覚している。

 誰が、終わらせるのか?
 誰が、連れてゆくのか?

 お前を、私から奪い去って…

 奈落か?
 『時』の流れか?


 いや、違う ―――


「りん…」

 私の耳に響くは、ひしがれた昏(くら)い己の声。
 気がついてしまった…、それに。

『愛しい』もの、『守りたいもの』は、りん お前。
 それが、『刹那』に過ぎないと妖の性(さが)が告げている。
 お前の全てが私のものだと言うのなら、お前のその、『生』も『死』もこの手の中で ―――

「殺生丸様。りんね、ここに戻ってくる前に、あの巫女様に会ったよ」

 きつく抱きすくめられたまま、息ぐるしそうにりんが口を開く。

「あの巫女…?」
「うん、白霊山でりんを助けてくださった巫女様だよ」
「そうか…」

 りんが身じろぎ、知らぬうちにその腕の力を緩めていた。

「巫女様ね、不思議な事をりんに言ったよ? りんがね、その巫女様や殺生丸様よりも強いって」
「………………」
「変な事を言う巫女様だよね。でもりんがここに帰って来れたのは、その巫女様と殺生丸様のお陰なんだ」
「りん…」

 りんが姿勢を正し、真正面から私の顔を見つめる。
 一点の曇りも迷いもない瞳で。

「あの暗闇の中でりん、巫女様に聞かれたんだ。どうしたい? って」
「お前は、どう答えた」
「決まってるよ! 殺生丸様の処に帰りたいって、言ったんだ」
「りん…」

 りんの顔が、いや全身が不思議な光に縁取られてゆく。

「そうしたらね、巫女様が殺生丸様は妖怪でりんは人間。殺生丸様がりんの事をどれだけ思っているか、判らないのにって」

 ぎりっと、りんに気付かれぬよう唇を噛み締める。

「そんな事、りんだって判ってるよ。でも、そうしたいのはりんの気持ち」
「………………………」
「何でかなぁ。りんね、殺生丸様のお側に居てもいいなら、必ず殺生丸様がそうしてくださるって思ってる。そうじゃなかったら…」
「そうではないのなら?」
「うん! その時は、殺生丸様がりんを死なせてくれるって」
「りんっっ!!」

 りんの言葉に、胸を射抜かれる。
 あの焼かれるような怒りにも似た恐慌感の底で見つけたものを、りんは疾うに悟っていたのか。

「りんがそう言ったらね、巫女様笑いながら殺生丸様が待ってるから早く戻りなさいって言って下さって、殺生丸様のりんを呼ぶお声が聞こえて…」

 ああ、かの巫女の言葉の意味を理解する。
 りんの強さを。
 その揺ぎ無い、心の強さを ―――

 お前は、その揺ぎ無い心で私と共に在る事を選んでくれたのだな?

「そうしたらね、ちゃんとりん、殺生丸様の処に帰ってこれたよ」

 笑顔。
 りんの、私を導く笑顔。

 もう一度、きつくりんの全てを抱き締める。
 りんの想いと私の想いが共鳴し、りんの胸の四魂の欠片の輝きがさらに増す。


「殺生丸様…」

 りんが腕を伸ばし、私を抱き締める。
 私はりんを抱いたままその場から立ち上がり、泉へと歩を進めた。


 太古の森。神域の泉。
 まだ何人たりとも、その泉に触れた者はなし。
 躊躇う事無く、泉の中へと入ってゆく。

「殺生丸様、何…?」

 腕の中のりんは怯える風もなく、ただ成り行きの判らなさに首を傾げる。

「…禊(みそぎ)だ」
「禊?」
「ああ、共に冥府より戻ったばかりの不浄な身では、交わす訳にはゆかぬだろう」

 静かに話しながら、その足は泉の中心へ。

「交わす? 何を?」

 小鳥の雛のような様に、笑みが零れそうになる。
 この私ともあろう者が。

「…お前と私。共に在らんと、人間どもが『神』とか呼ぶものに誓文を」
「誓文?」

 判るまい、お前には。
 だが、言葉の意味など判らずとも良い。
 お前が、ここに在る。
 それが全てだから。

「そして…、お前と契る」
「せっしょっっ……!?」

 まだ幼いお前に判らせるような言葉を、私は持ってはいない。
 この想いを僅かな言葉に置き換える事が出来るほど、私は器用では無い。
 だから……



 『生−とき−』を重ね、『想い』を重ね、一つになる ――――


 りん。
 お前の、『生』も『死』もこの手の中に。

 お前を守ろう。
 お前を愛しもう。

 たった一つの、その『りん−いのち−』を…

 そして、『その時』には……
 私の腕の中で死んでゆけ、りん ―――


 今を愛しむ。
 刹那、刹那を愛おしむ。
 全てが、りん。
 お前に、繋がってゆく……


 お前の声を、息吹を、己の身のうちに。
 そして私の息吹と想いをお前に与えて ―――


 漣立つ泉の水面に、悠久の星の光が砕ける。
 木々のざわめきが、私たちを見届ける。
 初めて交わした口付けが、どれほどの長さだったのか知る者はいない。


「殺生丸様…」
「りん…」

 再び交わした口付けの甘さも ―――

 降り注ぐ光の禊を受けながら、泉の水にりんの帯が解けてゆく。
 私の装束も、散じてゆく。

 互いの身に纏ろう全ての穢れを、世俗を、私が妖怪である事も、お前が幼い人の子である事も…


 全てを流し、清めてゆく。
 ただ『在る』のは、私とお前のふたりだけ。

「りん」
「はい、殺生丸様」

 重ねた唇をりんの素肌の胸の上に、あの『四魂の欠片』の上に移し、言葉を続ける。

「…お前を、二度とこの手から離すつもりは無い」
「はい」
「お前のこれからは、生きるも死ぬもこの手の中で…。それで、お前は良いのだな?」
「りんには、殺生丸様しかおりません! 殺生丸様がりんの全てです!!」

 空から、水面から光が溢れ出す。
 二人の姿が溶けてゆく様に。
 光に包まれ、一つになってゆく ―――


 水面に一筋、流れる鮮赤。


 それは二人で記す、朱の誓文 ―――




   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




「どうじゃ? 琥珀。どこか苦しいとか、痛いとことかはないか?」

 りんを助ける為に、自分の命を繋いでいた『四魂の欠片』を殺生丸に差し出した琥珀。本来なら、とおの昔に果てていた筈のその身。また無益にも殺め過ぎた人々の血潮に塗れた身ならば、何時捨てても惜しくないと…。

 その琥珀の姿に何を感じたのか?

 殺生丸は、琥珀の命が果てたその瞬間に、慈悲の天生牙を振るったのだった。琥珀の予後を邪見に任せ、自身はりんを伴い何処ともなく夜空を翔け去った。その真の理由は…。


「……大丈夫です。あの…、殺生丸様とりんは…?」
「判らん。息絶えたりんを連れ、どこに行かれたのかは……」

 自分の言った言葉でもあった。
 あの『四魂の欠片』は、桔梗が精魂傾けて浄化した最上最強の欠片。触れようとした奈落をも、浄化し尽くさんとした程に。

 でも……

 そんなにも強い力を秘めたものを、りんの体に入れたとして、りん自身は大丈夫なのだろうか? あの時、他に方法はなかった。それでも……

「邪見様……」
「……殺生丸様がお帰りになるまで、ワシらは何も言うまいぞ。いいな、琥珀」
「はい…」

 薄々、判っている。
 ふたりが揃って戻ってくれば、それが一番良い。

 そうでなかった時は ―――

 四魂の欠片ではりんを救えなかったか、あるいは『りんではないモノ』に変じ、殺生丸に……。
 この夜ほど、琥珀は長く感じた事はなかった。辛い夜も、胸を掻き毟るほど後悔に苛やまされた夜も過ごしたが、それでもこの夜ほどには。それは何処かで、りんに寄せる淡い想い故かもしれない。


 星が死に、時が果てぬ限り、明けぬ夜はない ―――


 最初、それに気づいたのは阿吽であった。
 東雲の、紫立つ曙光の中に、きらりと光を弾くものを見つけた。長い双首を更に伸ばし、それをもっと良く見ようと視線を凝らす。

「阿吽? どうした」

 阿吽の変化に気づき琥珀が声をあげ、その視線を追う。邪見も、それに倣い……。邪見の転げ落ちそうな金壷眼が、潤みさらに大きくなる。

「殺生丸様〜っっ!! りん〜〜〜っっっ!!!」

 邪見の声は嬉しさで掠れ震え、一行を包んでいた闇は一気に吹き払われた。


 光を増す朝日の中に、りんをしっかりとその腕に抱き締めた殺生丸の姿。


「りん!!」

 そう一言呼びかけると、琥珀はその光に向かって駆け出していた。
 遅れまいと阿吽が一飛びで琥珀を抜き、その後を邪見が転びそうになりながら一生懸命に足を動かしている。駆けて来る琥珀たちに気付き、りんが恥らいながら殺生丸の胸を軽く押した。
 りんの言わんとする事を察し、そっとりんを地に下ろす殺生丸。

 嬉しそうに嘶きながら阿吽がりんに頬摺りしようとして訝しげに首を傾げ、その様を殺生丸の怜悧な視線に射抜かれ、何事もなかったかのようにりんに触れる。

「りん、大丈夫か?」

 息せききって駆けつけた琥珀が、そう尋ねる。

「うん。ありがとう、琥珀。りんのここに…」

 そう言いながら自分の胸を押さえながら、顔を赤らめるりんの姿に琥珀まで顔を赤くする。

「琥珀から貰った『四魂の欠片』が入っているって。皆のお陰で、りんは助かったんだね」
「りん…」

 そっと、りんが微笑む。

 変わらない、りんの姿。
 変わらない、りんの笑顔。

 それは琥珀にとっての、大きな救い。


「行くぞ、りん」

 阿吽の側に歩み寄った殺生丸がそう声をかけ、りんに手を差し伸べる。その手をりんはそっと取り、小柄なりんの身体はあっという間に阿吽の背中に横座りで据えられる。

( あっ…!? )

 光が見せた幻か?

 殺生丸の手を取ったりんの姿は、幼い少女のものではなく。
 その手を取ったものに相応しい、いつか来るであろう日の姿 ―――

( りん… )

 何があったのか琥珀には判らなかったが、それでも感じるふたりの絆のようなもの。
 二人を繋ぐ、その光。


 琥珀は阿吽の背上の二人を、眩しいものを見るように見つめていた。

 


【終】

2006.12.13




【 あとがき 】

今年の夏の『殺りん祭り』v サンデー39号が出る前に、先読みSSとして「誓」をサイトUPさせたのですが、本当はここまで書いてUPしたかったんですね。
元々付けようと思っていたタイトルも「誓文−ちかい−」、だったんです。

「誓」の後書きにも書いたように、この部分が本当の意味での「誓文−ちかい−」。夏にUPした分は言わば前編みたいなものですね。ようやく後編部分を書く事が出来て、完結させる事が出来ました(^^♪ この話もりんちゃん現行設定での一線超えの話なのですが、それが目的ではないので表に堂々と置きますね。

誓文:1 神にかけて誓う言葉。また、それを記した文書。起請文(きしょうもん)。誓紙。
   2 相愛の男女が心変わりをしないことを誓って取り交わす文書。大辞泉より


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