【 想 い 】


*−サンデー07・42号先読みSS先に書いた「約束」からの設定を受けています。




 ……己の力を過信するとはこの事か。

 己の矜持にかけて、曲霊を討つと決めた。
 あの時、爆砕牙が覚醒し討つべき手段を手にした事で、どこかに驕りが生まれたのかも知れぬ。
 この殺生丸の追跡から逃れられるものなど無いと盲信して。

「これだけ時間を稼げば十分だろう。あんたをあそこから引き離すのが目当てだったからな」

 白夜の言葉と、切り捨てた瓢箪の中の曲霊の邪悪な魂の欠片。
 そして、白夜の言葉の意味が怖ろしい重みをもって自分の胸に染みこんでくる。

 つまり、もっとも危険な場所は ――――


( ―――― !! ―――― )


 逃げ去る白夜を追うよりも、今 真っ先に自分が駆けつけねば成らぬ場所。それは……

( りんっっ!! )

 天上の母より、三度目は無いと釘をさされていたりんの命。曲霊を追う自分の側より、犬夜叉達の村の方が人間であるりんには安全だろうと思い、尚の用心に邪見まで残して来たと言うのにそれらが全て裏目に出たと言うのか!

( この殺生丸を十日も欺きながら、それを今明かすとは…。既に村への襲撃は終わったと言う事か!? )

 それでもと、思考を巡らす。りんや邪見を置いても問題ないと思えたのは、あの村に犬夜叉や人間であっても相当腕の立つ者達が居るのを認めたからだ。少なくとも犬夜叉が居るなら、最悪の状況だけにはなるまい。しかし、もしその犬夜叉も自分のように欺かれ戦力を二分されていたとしたら……。

 焼け付くような焦燥感に駆られ、電光石火の速さで村を目指した。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 戻ってみれば、そこには三度見たくはない光景。

「殺生丸様〜〜〜」

 邪見の声に、ひどく神経が高ぶる。そこにあった小屋は大きく瓦解し、醜悪な邪気と悪霊の毒気が色濃く残っていた。手酷く傷付いた法師と妖怪退治屋の娘。少し離れて倒れているりん。それらを呆然と見ている犬夜叉とかごめ。二人のなりを見れば、事に遅れて来た事は明白。

「邪見……」

 皆までは口にしない。己の問い掛けを読んだ邪見が、今ここで起きた事を訴え始めた。

「曲霊に操られた琥珀の仕業です。琥珀を取り返そうとした姉や法師をも殺めようとし、それを引き止めようとしたりんは、かごめ同様邪気に中てられて昏倒してしまいましたっっ!!」
「…………………………」

 凍りついたような感覚で、邪見の報告を聞いている。

「その後、曲霊が琥珀の体を乗っ取って逃げて行きました! ほんの半日ほど犬夜叉がここを留守にした間を狙って―――― 」
「留守、に…?」

 ぼそりと低い声が漏れる。

「あ、あの…、私、私を迎えに……」

 殺生丸の問い掛けに、ぴくりとかごめが反応する。かごめが自分のせいだと、身の置き所のないような気持ちでそう言った。こんな時ほど自分が『現代人である』と言う事が、どれだけ皆の足枷になっているかを思い知らされる。そんなかごめを庇うように犬夜叉が前に出て、殺生丸とかごめの間に入る。

「……俺が迂闊だったんだ。かごめは悪くない。こいつは二つの世界で一生懸命に頑張ってる。だから―――」

 こちらでの体制を整えるためにも今はその能力を封印されているとは言え、『かごめ』の存在はなくてはならないもの。十日間何もなく、それでついいつもと同じように迎えに行った自分の迂闊さは否定しない。むしろ、今の『破邪』の力のないかごめが単身こちらに来る事が、どこか危険だと本能的に感じていたのかもしれない。事の不始末さを素直に認め、受ける責めは逃げずに受けようと姿勢を正して殺生丸の出方を待つ。
 殺生丸はつかつかと犬夜叉の前に歩み寄り、その頬を渾身の力で張り倒す。その眸には、明らかな殺気。

「殺生丸っっ!!」

 ひっと、声を呑んでかごめが叫ぶ。
 犬夜叉の唇が切れ、血が滴る。
 緊迫した空気の中、辛うじて首だけを動かし弥勒が声を発した。

「兄…う…え……、どうか犬夜叉とかごめ様を…、許して……下さ…い」
「………………………」
「あな…たの……、大事…な りんを……  私の…不…手際……」

 瀕死の重傷を負った弥勒が、この兄弟の仲裁に入る。
 殺生丸の怒りの原因がどこにあるかを見抜いた弥勒の言葉。だが、判って欲しい。『守りたい者』を守る、その事に誰もが己をかけている事を。自分も、そして犬夜叉も。弥勒と殺生丸の視線が絡む。

「邪見、りんの様子は」
「は、はい! 気を失のうておりますが息はちゃんとあります!!」

 ふっと、殺生丸の眸に揺らめいていた殺気が鎮まる。

「……法師、お前のその様もこいつのせいであろう」
「はは…、それだ…けではあり……ませんので……」
「りんに不埒な真似をした報いもあるか。もしりんが落命していたら、犬夜叉もこんなものでは済まぬ。法師、お前もな」
「いや…、かえって…… 楽かもしれませぬ」

 この期に及んでまでの弥勒の軽口に少し眉をひそめた殺生丸だが、霞み行く目でしかと弥勒は見定めていた。今まで見せた事のない熱情的な光と、『想い』を知った温かさが殺生丸の眸に浮かんでいるのを。

( ああ、きっと大丈夫だ。もし私がここで命尽きても、兄上が私の替わりに闘ってくださるだろう…… )

 弥勒がそう思うのと、風穴に吸込んだ悪霊の毒に焼かれた内臓が血反吐を吐くのは同時だった。胸に向かってのびる瘴気の傷、風の音を大きくしつつある左手。

「法師様っっ!!」

 自分も重傷を負っているにも関わらず、珊瑚が弥勒の体を支え起こす。殺生丸の眼には、今にも吹き消えそうな弥勒の命の炎が見えていた。減らず口を叩く法師の顔に死相が浮かび、それが何よりも忌まわしく感じられた。

「いやだっ! 法師様、しっかりして!! あたしを残してゆくなんて約束が違う!! 奈落を倒して、夫婦になって、子どももいっぱい作ってって……、法師様ぁぁぁっっ!!!」

 死に逝こうとする弥勒に取りすがって泣く娘に視線を向ける。妖怪退治屋の娘で、琥珀の姉。その生真面目で気丈な性格は、あまり接触のなかった殺生丸にも判っていた。弟の琥珀は曲霊に操られ、自分の手の中から離れた。目的は琥珀の命を繋いでいる四魂の欠片だろう。ふと殺生丸は泣き崩れる珊瑚から視線を外し、倒れ伏したままのりんを遠目で見た。心配げな表情でりんの様子を見ている邪見を見、そしてまた足元の珊瑚を見る。

( もし、私がこの法師のような姿になったら、りんもこのように悲しむのだろうか……。いや、もし、りんが ―――― )

 ごほっと、大きく咳き込み弥勒が毒に焼かれた肺から血の塊を吐き出した。続けて二度・三度と。

「いや〜〜〜っっ!! 法師様!」

 号泣する珊瑚の顔の上に、儚いりんの笑顔が重なる。
 その瞬間、殺生丸の心は決まった。

「……苦しいか、法師」
「やはり……、報いでしょうなぁ…。最後の最後で…、泣かせて……」

 毒で爛れた肺からの出血。それが気管に流れ込み、窒息しそうになってはごほごほと咳き込む。咳き込むだけで全身が焼けそうに痛む。そんな状態でも弥勒は泣き崩れている珊瑚を気遣う事を忘れていなかった。

「約束だったな、法師。私がここに戻った時には、その首を刎ねると」

 淡々とした声で、そう告げる。
 周りの空気が、一瞬にして凍りついた。

「ば、馬鹿野郎っ!! この期に及んで、そんな冗談笑えやしねぇ!!」
「止めて! 殺生丸!!」

 血相を変えて止めようとした犬夜叉とかごめを制したのは、他ならぬ弥勒自身だった。

「…いえ、良いのです。かごめ様……。これは…、兄上……の 慈悲…です」
「弥勒様!!」
「弥勒っっ!!」

 あまりの事に珊瑚の思考が停止しする。最後の力で微笑んだ弥勒の笑顔に向けて、殺生丸が鋭い爪を光らせる。全ての音や色が消えたようなその場面に、弥勒の首筋から溢れ出る血潮だけが鮮やかだった。

「あ、ああああ〜〜〜っっっ!!!!!」

 ぎらりと憎悪を込めた瞳で珊瑚が殺生丸を睨み付ける。自分自身深手を負っているのも忘れ、飛来骨を構える。

「……女、琥珀は……、お前の弟の事は許せ。その代り ―――― 」

 ぽつりとそんな言葉を珊瑚にかけると、既に息絶えた弥勒の上に天生牙をかざす。天生牙を真横に構え、刃越しに弥勒の周りに跳躍するあの世の使いを見定める。その餓鬼にも似た姿の使いを、天生牙の一閃にて切り捨てた。

 まだ音も色彩も戻ってはこない世界で、珊瑚は愛しい者の亡骸をじっと見つめていた。首を切り裂かれ、流した血潮の海に倒れ伏した弥勒の指先がぴくりと動く。やがて弥勒は、己の血の海の中から起き上がってきた。抜き身のままの天生牙からは、清浄なきららな光の珠が幾つも幾つも零れ落ちている。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「兄上、深くお礼申し上げます。こんな私のような下賎な人間にかけてくださった慈悲のお心に」

 両手を揃え、深々と殺生丸の前で頭を下げる弥勒。
 はっと正気に返ったように珊瑚が弥勒に駆け寄り、その身を案ずる。

「殺生丸、お前……」
「ありがとう、殺生丸」

 ほっとした表情の犬夜叉とかごめ。
 弥勒の様子を見ていた珊瑚の眼に、うれし涙が光る。

「かごめちゃん! 犬夜叉!! 見て! 法師様の傷がっっ!」

 珊瑚の声に呼ばれ、二人が弥勒を囲む。今にも心臓に届きそうだった瘴気の傷が二の腕辺りまでに後退している、張り裂けそうだった左手の風穴も傷口の周りがしっかりと固まっていた。

「相当根深い呪いと瘴気だな。天生牙でも消しえぬほどの。これで、しばらくは時間が稼げよう」
「本当に、本当にありがとう! 殺生丸」

 素直な気持ちでかごめは殺生丸に感謝の気持ちを伝えた。過去に殺されかけたことも、『人間』であるからと蔑まれ忌み嫌われた確執も、もうかごめの中にはない。こんなにも『変わること』が出来る、その凄さを目の当たりに感じていた。

「……琥珀には天生牙は使えぬゆえ。娘、必要とあらば琥珀の命はこの殺生丸が絶つ。覚悟はしておけ」
「 ――― !! ――― 」

 どんな時でも冷静な判断を下せるからこそ、殺生丸。
 それが怒りを伴うことであっても、それが最善の方法であると判っているから。

 今、必要なのは ――――

 ふと、何か気付いたのか殺生丸がかごめに向き合う。

「かごめ、お前は何故ここにいる?」
「何故って…、だって私がこの時代に四魂の珠を運び込んでしまったんだし、その責任はとらなくちゃ―― 」
「曲霊に力を封じられ、逃げ帰る世界を別に持つお前がか」

 それは明らかな挑発。

「私がこの時代に呼ばれたのはきっとこの時代でしなくてはならないことがあるから。責任…、ううん、違うわ!! 私がそうしたいの! この時代から四魂の珠を消滅させたい、奈落を倒したい。今度みたいに弥勒様や珊瑚ちゃん、琥珀君やりんちゃんみたいな酷い目をもう誰にも逢わさせたくない!! 皆を守りたい!!!」

 言葉が考える前に溢れてくる。胸の奥がとても熱い。背に追う桔梗の、巫女の弓が重さを増したような気がした。その答えに得心がいったのか、殺生丸は琥珀を乗っ取った曲霊が翔け去った空を見上げた。

「……琥珀を助ける為にも、急を要する。後はお前達に任せる」

 言うが早いか殺生丸は巨大な妖犬姿になり、天に駆け上っていった。雷雲が巻き起こり、轟々たる疾風の音が上空に鳴り響く。ときおり雲の合間から雷光が漏れ射す。

 最後まで倒れ伏したりんの様子を、その眸で直に見ようとせずに ――――

「あれが、あいつの本当の姿なんだな」
「犬夜叉…」

 あまりにも違う兄と弟。しかし、胸に抱く思いは変わらない。

「犬夜叉、私決めた! ここでの決着がつくまでもう家には帰らない!! ここで、今私が何をしなければいけないか、それに気付いたから。本当ならもっと早くそうしないといけなかった事に」
「かごめ……」

 そう、今しなければならない事。
 
「殺生丸が曲霊と闘うように、私も闘う。私の力を封印している、自分の中の曲霊と」
「かごめちゃん……」
「かごめ様 ―― 」

 くるりと振り返り、犬夜叉の顔を見、そして一命を取り留めたとは言え満身創痍な弥勒と珊瑚を見る。

「――― 殺生丸に言われたとおり、今は任されたここを私は守る。早く巫女の力を取り戻して、殺生丸が戻ってきた時に、りんちゃんの笑顔で迎えられるように」

 その決心は、もう一つの世界との決別を意味する。
 それをかごめは悔いる事はない。

 向こうの世界でかごめは十分に満たされ、愛されてきた。それは今も変わらない。どれだけ時がたち、世界が変わろうともこの『心』は変わらない。


 『愛おしむ心』と『守りたい想い』、そしてきっと『許す心』 ――――

 それが世界を動かしてゆく。


( ママ、じいちゃん・草太…、それに友達みんな! 勝手な事をするかもしれないし、もうそっちには帰れないかもしれないけど、きっと判ってくれるよね? 許してくれるよね、ママ…… )

 心の中で零した涙と一緒に ――――


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「えっと、入学の手続きにいる書類はこれで大丈夫、と」


 入試の合否の連絡。
 入学手続き、高校進学の為の準備。
 真新しい制服と鞄、備品一式。

 主の居ない部屋に、少しずつ増えてゆくそれらのもの。


 いつか帰ってくる、その日の為に ――――


【終】
2007.9.21




【 あとがき 】

サンデー42号からの突発です。まぁ、今回は十日間も騙された殺兄もナンだし、緊迫した状況で楓さんの村をかごちゃんを迎えに行く必要があったからと持ち場を離れた犬君もナン(苦笑)
そんなこんなもあるのですが、何よりも弥勒様の危機を一番に救いたい!! という気持ちから書き始めたSSです。
これも来週になれば、「あははは〜、やっぱり留美子先生にやられちゃったよv」って事になるとは思います。


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