【 怒 り 】

 …08.サンデー11号「光の罠」より



 曲霊を切り捨てた結果、かごめの霊力が戻ったらしい。出会い頭に私を睨み付けた娘だけの事はある。今ならその霊力を評価してやろう。

 奈落が創り上げた体内結界。中に満ちる邪気と瘴気と奈落の臭いに臭跡がかき消されていたりんの匂いを、今 はっきりと捉えた。ならば、ここにはもう用はない。犬夜叉も元に戻ったようだしあの娘…、かごめが側にいるならあれも我を見失う事はもうあるまい。

 私がここに来た理由は二つ。

 一つは曲霊を討つこと。
 もう一つは、りんをこの腕に取り返すこと。

 りんの匂いを追って、結界の中を進むほどに他の嫌な臭いも混じり始める。この臭いは……。

( ……二つではなく、三つだったな )

 苦々しく舌打ちし、相手の思惑を外す為に妖気を潜め気配を消す。相手に肉薄するまでは、気取られてはならない。あの時の借りは、倍にして返してやろう。りんの匂いと、この匂いはあの法師の傍らにいた娘のもの。法師の臭いがしないのは、奈落の策に嵌まって引き離されたのか。奈落の臭いに満ちてはいるが、存在を感じない。

( どこまで私を愚弄するつもりか。琥珀を操ってりんを殺させようとした二番煎じを姉にも演じさせるつもりか )

 静かに、自分の中で燃え滾る熱いものを抑えつつ私は先を急ぐ。気配を殺し、眸凝らした先で展開されていた光景は……。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「あれ〜? おっそいな、殺生丸の奴。曲霊の邪気が消えたから、もうここにこの小娘がいるのは嗅ぎ付けたはずなんだけどな〜。まぁ、いいか。早すぎたら拙いけど、あの娘がりんを殺せばそれで済む話だし」

 おもしろ見世物でも眺めるような表情で、幻の奈落に抱き上げられているりんと珊瑚の様子を見ている白夜。あの奈落も四魂の玉も幻、だけどりんだけは本物。間違いなく殺生丸はここに来る。幕が上がるのは、りんを珊瑚が殺してからだ。

「りんを離せ!」
「りんがいては飛来骨を投げられんか?」

 幻の奈落が、珊瑚を言葉で嬲り始める。

「優しいな珊瑚。だが、その優しさが… 法師を殺す」

 珊瑚の悲痛な叫びが、声にならない絶叫が聞こえたような気がした。

「このりんという娘…、珊瑚、おまえにとってなんなのだ」

 さらに嬲り続ける奈落の幻。

「法師の命を犠牲にしてまで、守るべきものなのか……」

 珊瑚の心に修羅が忍び込む。それがどれほど非道な事でも、この千載一遇の好機を逃せばもう法師を助ける事は出来ないと。珊瑚の、飛来骨を掴む手に力が篭る。

「いよいよだな。さぁ、早く愛しい法師の命を助ける為にりんを殺せ。りんを殺してから、目の前の相手が幻だったと気付くが良い。絶望に落ちる間もなく、お前は殺生丸に引き裂かれるだろうけどさ」

 白夜はにやにやとした笑いを浮かべて、珊瑚の手から飛来骨が放たれるのを待っている。珊瑚の手は最後の良心との戦いで、ぶるぶると細かく震えていた。

「ほらほら、早くしないとあっちの幻に誑かされた法師が風穴を開いちまうぜ?」

 芝居見物の客気分で、そんな野次を口の中で呟く。

「んっ?」

 緊迫したその場面で、一瞬幻の奈落の頭から何かが光ったような気がした。

「……相手を間違えたな」
「なっ、なに……っっ!?」

 どすっと鈍い音を白夜は自分の腹に感じた。体が雷に撃たれた様に痺れ、身動きできない。その衝撃で白夜の呪術の念が途切れ、ふっと珊瑚の目の前の奈落の姿は四魂の玉ともども掻き消えた。支えをなくし、落ちてゆこうとしたりんの体を殺生丸の腕がしっかりと抱きとめた。

「殺生丸っっ!!」
「殺生…丸っ……、お前…」

 その時になって白夜は自分の腹に感じたものの正体に気が付いた。それは鞘のまま自分を奈落の結界に縫いとめている爆砕牙だった。

「へへ、ほ〜んとお前も見境ない奴だな、殺生丸。りんを助ける為にゃ、なりふり構ってられねぇって…?」
「………………………」
「これ…、お前に取っちゃ大切な武器だろう? こんな使い方していいのかよ」
「構わん。それが先の問いの答えだ」

 表情も変えず、声も荒げず、だけどその怒りの程は三千世界を貫くほどに。殺生丸の腕の中には気を失ったままのりんの姿。

「その娘は殺生丸、お前にとって全てを投げ打ってでも守らなきゃならない相手ってことか。そんな価値がそのちっぽけでなんの力も無い、ただの小娘にあるってのかっっ!?」
「……価値など、関係ない。【りん】だからだ」
「お前…、お前って、本当は大馬鹿野郎だろっ!? そんな足手まといにしかならない小娘に血道を上げやがって…。戦国一の大妖怪と言われる殺生丸ともあろうものが、さ……」
「自分の行く道は自分で決める。周りがどう言おうと、関係ない」

 殺生丸の怒気が爆砕牙に流れ込むのか、パリパリと言う雷音が激しく響き青紫の閃光が白夜の体を駆け巡る。

「本気、なのか。そんな娘に執着して大妖怪としての道を踏み外すほどに。奈落も馬鹿だけどさ、お前もその上を行く馬鹿だな。どっちも俺の手にゃ負えないぜ」
「馬鹿はどちらだ。結界の外にいればまだ、生き永らえるやもしれぬのに」
「いちおー俺も奈落の分身だからなー。あいつが呼べば、中に入らねぇ訳にゃいかないんでね。お前みたいに、物好きでここに飛び込んだ馬鹿と一緒にして欲しくないね」
「……言いたいことはそれだけか。お前には借りもあったな」

 りんを初めて両腕で力強く抱き締め、しっかりとした足取りと滾り零れる怒気を隠しもせずに白夜の元にと歩み寄る。

「借り? ああ、その娘を攫うのに時間稼ぎをしたあの時の事か。鼻が良すぎるのも考え物だな」

 瀕死の様で、それでもどこか軽佻浮薄な風は変わらない。その時の事を思い返しているのか、ニヤニヤした笑いが女のような白夜の顔に浮かんでいる。その一言がさらに殺生丸の怒りを煽る。鞘に納まったままの爆砕牙に貫かれたせいか、その爆裂は外に広がる事は無く白夜の体内の芯に向かって爆裂崩壊を繰り返す。

「その娘、りんって娘はお前に取っては足手まといの疫病神だな。今までいったい何度攫われたんだっけ? そのうちお前、それで命落とすだろーな」
「……りん自らが招く禍ではない。これは私が待てと言いつければ、いつまでも待っているような娘。諌めを聞かず、厄災に飛び込むことは無い」
「ああ…、そう、そうだっけな。いっつもその娘は殺生丸、お前のとばっちりで酷い目にあうんだったな」
「……………………」

 それは紛れもない事実。痛いほどそれを身にしみて知っている殺生丸は、ただ腕の中のりんを抱き締めるのみ。

「……そんなに大事な娘なら、お前がその手を離せば良い。禍神のお前がその娘を自由にしてやれば、人並みの幸せを手に入れられるかもな」
「黙れ」
「って、お前聞く耳持たないって話だっけ。ならお前もその娘も、堕ちるところまで堕ちると良いさ。先に地獄に行って待っててやるから、また遊ぼうぜ」
「地獄になど、行かせはしない」
「そりゃ、無理だろ? 人間のくせに妖怪と通じるような娘じゃな。そう思うなら、全てが終わってからで良いからさ、手ぇ離してやれよ」
「……出来るものならばな」

 怒りと自嘲に塗れた、その呟き。それを耳にした白夜の顔に最後に浮かんだ笑みは嘲りか、それとも……。

「そろそろ俺は舞台を下りるぜ。それなりに楽しめたから、まぁいいか」

 その一言を残し、薄皮一枚で『白夜』の貌を保っていたモノが波打ち際の砂の楼閣のように崩れ去っていった。あっけないほどの幕切れで。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「あ、あの、あたし……」

 飛来骨を握り締めたまま、今までの成り行きを見ていた珊瑚がようやく声を出した。あの時、殺生丸が白夜を封じなかったら、自分は何の罪も無いりんを最悪の形で巻き添えにしてしまうところだったのだ。

「……姉弟だな。操られてりんに手をかけようとするところは。娘、二度目はないと思え!」
「………………………」

 そうだ、そうだった。珊瑚はもう少しで琥珀が犯すところだった罪を、自らが犯すところだったのだ。

「相手は、あの奈落。あいつの言葉は全て疑ってかかれ。己の信念に反する事は、決してするな」
「殺生丸……」

 そこにいる殺生丸は、珊瑚の目にはもう妖怪とは見えなかった。人でも妖怪でもない、なにか。

( ……雷を武器に軍神と崇められる建御雷神(たけみかづちのかみ)が化身されたら、こんな姿かもしれない )

 その『変化』をもたらしたのが今殺生丸の腕の中にいるりんだとしたら、不思議な望みのようなものが胸に湧いてくる。なんの力も持たない存在でも、誰かの大きな力になるのかもと。自分だけではないのだと、ここにいるのはもっと自分が信じるべき相手がいるのだと。

( そうだよね、法師様もきっと早まった事はしないよね。あたしみたいに騙される事なく、何が『本当』かに気付かれるよね? )

 ふと、殺生丸が結界の天井を仰いだ。高さも広さも判らないほど強大な奈落の結界。その天頂あたりから、嗅ぎ慣れた臭いが近付いてくる。

「……禍に自ら飛び込む馬鹿、か。信念に基づく行いなら、それもまた力になるもの」
「えっ?」

 謎のような殺生丸の言葉に、珊瑚も同じ方向を見る。

「誰かいませんかー! 姉上ー、殺生丸様ー!!」

 上から聞こえてきた声が、間違いなく外で待てと残してきた琥珀の声。

「まさか、また幻!?」
「いや、あれは本物だ。琥珀と阿吽の臭いに間違いない」

 悠然と構え、その様子を見ている殺生丸。

「琥珀っっー!!」
「姉上! そこにいるんですねっっ!!」

 珊瑚の呼びかけに、近付く早さが早くなる。阿吽も主人の匂いを嗅ぎ付けていたのか、方向を過たず一直線に舞い降りてきた。

「姉上…、あ、殺生丸様、りんまで!!」
「琥珀、どうしてこんなところまで……」
「じっとしていられなかったんです。姉上には止められたけど、でも俺の中の何かが行けって」

 琥珀は阿吽からおり、従僕の礼を取りながら珊瑚との会話を続ける。

「……丁度良い。琥珀、お前はりんを連れここから出ろ」
「殺生丸様…、でも殺生丸様がここに入られたのは曲霊を討ち、りんを取り返すため。曲霊が討たれたのは、ここに来る途中でこの結界の中が浄化され始めたのを、桔梗様の光で教えられました。もともと桔梗様の光は奈落を討つ為のもの。俺こそが、ここにいないといけないんです」
「琥珀……」

 まだ気を失っているりんの体を阿吽の背に乗せながら、殺生丸は背中越しに琥珀に言葉をかけた。

「もう、ここで私の用は済んだと?」
「は、はい。殺生丸様には、りんの側に居て欲しくて ―――― 」
「私に指図するな」

 琥珀なりの気遣い、主人を思っての言葉。それを軽く鼻であしらう。

「まだ、用は終わっては居らぬ。たとえ幻でも私のりんを抱いた、いや、触れた事は許しがたい。きっちり落とし前はつけてやる!!」
「殺生丸様…?」

 今この場に来て、先ほどまでの様子を知らない琥珀には何の事か良く判らない。良く判らないけど、もし殺生丸の眼の前でそんな事をしようものなら、それこそ地獄の果てまで追い詰められて涅槃寂静なまでに切り刻まれることだろう。

「お前は私が戻るまで、りんをしっかり護衛していろ」
「あたしもお前には外で待ってて欲しいから、どうか殺生丸の言う事を聞いて」

 姉と主人の二段攻撃に、もとが従順な琥珀は否を言えない。それに確かにこのままここにりんを留めておく方がこちらの分が悪いのは明らか。ああ言い切った殺生丸が引く訳も無く、ここは言葉に従った方が良さそうだと琥珀は判断した。もしかしたら、『このために』ここに導かれたのかもしれないと。

「判りました、殺生丸様・姉上。お言いつけ通り、りんを無事外に連れ出します。どうか、お二人とも御武運を!!」

 そうと決まれば、早くここから離れる方が主人の為、姉の為。しかし、どうやってこの肉壁を破れば良いのだろう? 入った時は、冥道残月破が空けた空間から入ったから。

「今、道を作る」

 そう言って殺生丸が取り出したのは天生牙。天生牙はこの世のものは切れぬ刀。そうさんざん曲霊に揶揄されて、闘いに役にたたぬと嘲られたもの。

「殺生丸様、天生牙は……」
「見ていろ」

 鞘から抜き放ち、高く掲げた天生牙の刀身に清浄な光は宿り溢れ出る。その刀身を殺生丸は深々と奈落の肉壁に突き刺した。強烈な浄化の力に邪気塗れな肉片は身をよじる様にして、刀身を避ける。そうして道を作り、外に二人と阿吽を出すと自分は再び奈落の結界の中に戻っていった。

 琥珀は阿吽の背の上で、まだ気付かぬりんを見守りながら真っ黒な四魂の玉と化した奈落の結界を見上げる。闘いは新たな局面を迎えようとしている。奈落はここに来てやってはならない禁忌を犯した。

 奈落がそれを身をもって思い知らされるのは、もう少し後の事である。


【終】
2008.2.14




【 あとがき 】

久しぶりの突発です。
いや〜、珊瑚ちゃんに言ったあの台詞は、言うべき相手が違うでしょ?
うわ〜、そこでりんちゃんをお姫様抱っこしちゃ、殺生丸が恕髪天ついちゃうよ?

って感想がもとのSSです。
来週はどんな展開になるんでしょうね! いまからとても楽しみですvvv


TOPへ  作品目次へ


誤字などの報告や拍手の代りにv 励みになります(^^♪


Powered by FormMailer.