【 母 二人 】



 ――― 夜空にかかる月の光は、いまにも細り幾日もせぬうちにやがて朔を迎えよう。

 寝殿造りの屋敷の縁から、十六夜は空を見上げていた。
 十六夜の想い人は、空よりの来訪者。
 人でないものに恋焦がれる己を、周りの者は奇異な目で眺め蔑む。
 十六夜とて、教養高き貴族の姫君。
 世間一般の目や常識も弁えてはいる。
 弁えていてもなお、この闘牙を慕う心を殺す事は出来ないのだ。

 そんな十六夜の前に、それは何の前触れもなく降り立った。

 辺りを艶やかさと、玲瓏なまでの威圧感で満たし、金の眸で十六夜を見る。
 細い月の光でも、その頭上を飾り背なに流れる白銀(ぎん)の髪は、神々しいばかり。

「……お前が、闘牙の女か」
「貴女様は……」

 問われた十六夜は顔を伏せる事なく、その女妖を見つめた。

「儚き人間の身で、あの闘牙のような大妖の情けを受けるとは、命知らずな愚か者よのぅ」
「……はい、返す言葉もございません。女ゆえの愚かしさと、捨て置き下さいませ、お方様」
「ふふ、妾(わらわ)が何者か、察しておるようじゃの」
「闘牙様の奥方様に御座いましょう。闘牙様より聞き及んでおります」
「ほう、あの闘牙が? なんと言っていたか興をそそられるが、今はその段ではないな」

 淡々と話が続いているが、今のこの現場は正妻と側室の言わば女の寵を争うような、そんな場面。
 この時代の人間達の風習では、正妻側が親族郎党引き連れて妾の家屋敷を打ち払う「うわなり打ち」がまかり通る時代であれば、この目の前の女妖もまた……。

「お方様は私を打ちに参られたのですね」
「そうだと言えば、お前は泣いて許しを請うのか?」

 静かに、そして怯える風もなく十六夜は、真っ直ぐな視線を目の前の女妖に向けた。
 その瞳には、すべてのものをありのままに受け入れようとする優しさと柔軟さが満ち溢れ、そして己の信じたものを貫き通す意思の強さも秘められていた。

「闘牙様との出会いは、運命にございます。私はあのお方が手を差し伸べて下さらなければ、取る事も適わぬ非力な身です」
「……闘牙が無理を強いたと?」
「いいえ、あのお方の手を取ったのは私の意思です」
「それが何を意味するか、判らぬほどお前も幼くはあるまい」
鋭い女妖の視線が、十六夜の華奢な姿を刺してゆく。

「……人間の身で『妖-あやかし-』と交わるという事は、己が命を削る事。人の世には、住めなくなろう程に」
「はい……」
「ましてお前より生まれ出る者は、人にも妖怪にも忌み嫌われる『半妖』。お前の盲しいた恋情が、その子に拭い切れぬ重荷を背負わせる事になる」
「判っております。それでも、私の心は嘘をつく事が出来ませぬ。こんな私が忌まわしいとお思いでしたら、どうかお方様の手でお打ち下さいませ」
「……良い、覚悟だな」

 十六夜の言葉に、冷気の篭った返事が返る。
 すらりと伸びた美しい女妖の指先に妖光が宿り、振り下ろせばその指先から妖光が鞭のように十六夜の体を打ち据え、引き裂いてゆくだろう。

「貴女様は、闘牙様がお選び正妻に据えられたお方。言わば、闘牙様と同等にございます。私に逆らう術は御座いませぬ」

 そう言うと十六夜は、毅然としたまま深くその女妖の前に頭を下げた。

( ……ほう、このような非力でか弱い人間の女にしては、なんと肝の据わった女である事か。己の選んだ道を、少しも恥じる事なく堂々と胸を張って見据えておる )

 女妖は怜悧な表情のまま、十六夜を見ている。

( 流石、闘牙の選んだ女だけの事はある。あやつには必要であったからな )

 指先に灯した妖光を納め、ふと らしくもなく自嘲する。

( ……妾(わらわ)は、一人児(ひとりご)しか産めなんだでな )

「女、顔を上げよ」
「お方様……」
「お前を打つなど、人間の浅ましい習いの真似はしとうはないわ。闘牙の選んだ女がどんな女か、気まぐれに見に来ただけの事」
「あの……」
「……妾は風来な気質でな。一つ処に、一人の者に縛り付けられるのが嫌でのぅ、そのせいか闘牙とも行き違っておる。闘牙がお前の許に通うのであれば、せいぜい妾の代わりに労ってやっておくれ」
「お方様!!」

 既にその女妖の足元には薄紫の妖雲が立ち込め、優美な姿を夜闇に浮かべせかけている。

「……お前、名は何と言う?」
「は、はい。十六夜、十六夜でございます」
「十六夜、か。この夜空にかかる月の名の一つと同じじゃな。なにやら我ら、縁(ゆかり)があるやもしれぬの」
「お方様……」
「忘れるでないぞ、十六夜。そちもまた、あの闘牙に選ばれた者だという事を」

 細い月の光の影に隠れて、そう言った女妖の表情は見えなかったが、ほんの微かにその怜悧な瞳が笑みで細められたような気がした。
 その額には、空にかかる月と同じ二十六夜の月を頂いて。

 夜半の風が吹く。
 先ほどまでの出来事が夢のように、辺りは何事もなくひそと静まり返っていた。

 やはり、どこか緊張していたのだろう。
 ほぅ、という小さなため息が十六夜の口元から零れた。
 そして、そっと十六夜は自分の下腹を撫でる。

「……お前の父上も大変なお方ですが、お前の兄上の母君もまた偉大なお方。半妖として生まれるお前の行く末は、とても心配です。ですが、お前にはあの方達と同じ強さがあるのです。どうか、それを忘れないで」

 まだ、自分の胎内に芽生えたばかりの新しい命に向かってそう呟く。

 誰も知らない、ある一夜の出来事だった。

【終わり】
2006.7.21脱稿


【 あ と が き 】

いや〜、今週号の殺母登場には、ちょっと度肝を抜かれました。
そっか、殺母と犬母は同時代に生きていらっしゃったんですね。
私としては、大奥のような闘牙の寵を争う正室と側室、みたいなドロドロした関係は苦手で、ましてやかたや大妖怪の正妻であるならそれなりにドン! 構えていらっしゃるんじゃないかと…。
そんな事を考えているうちに、無性に書き落としたくなったSSです。

本当を言うと、これの原型は現代版に置き換えた殺生丸・りんちゃん・神楽のある関係を、ちょっと艶っぽく書きたいSSがあってそれの変形バージョンになっています。


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