サロン

桜沢エリカ
飛鳥新社/桜沢エリカ選集2


評価
☆☆☆


  田舎の温泉町を抜け出して東京に辿り着いた少女・直。
  彼女が迷い込んだその先はゲイたちの楽園・「サロン」だった。


  少女漫画で育ったワタシは、その中によく登場する”少年愛”だの”ホモセクシャル”だのが、どーもうさん臭くてかなわん、と思っていたのでした。
  「じゃからワシがホンマのこつ描いたる」とはちっとも思いませんが、陽気でオシャレでかわいいオカマモノがあってもいいじゃありませんか、とゆうのが「フールズ・パラダイス」を描いた当初の動機となったのでした。

(河出書房新社「フールズ・パラダイス」あとがきより引用)


  桜沢エリカの漫画には、ゲイが頻繁に登場する。
  そしてそのゲイの描かれ方は、この「フールズ・パラダイス」でのあとがきで桜沢自身が言うように、いわゆる「やおい」の描くホモセクシャル像とは明らかに一線を画している。つまり、「うさん臭く」ない。陽気でオシャレで、かわいい(?)。
  今回は凄まじくマイナーな作品で申し訳ないのだが、桜沢作品の中でもっともゲイが主題に関与している「サロン」を読み解くことで、桜沢エリカの描くゲイ像、ひいてはジェンダーの問題についても簡単に論じてみたいと思う。



  主人公・飯島直は15歳の女子高生。
  花の都・パリに生まれることを夢見ていた少女は、よりによって群馬の山奥の温泉宿の娘に生まれてしまったことを嘆く毎日。
「学校はつまんない。みんなTVの話しかしないし」
  学校で誰とも口を聞かない直。また彼女は母親の愛人の男にもちょっかいを出されてしまう。

「学校もいや、家もいや。ここには私の居場所がない。
どこか遠くへ行きたいなあ」


「この線路がずっとパリまで続いていたらいいのに」。
  そんなことを思いながら、いつもの通学電車で居眠りを始める直。そして目覚めたその先は「自由の都」・東京だった。
  せっかく来たのだからと、代官山にあるかつて一緒に過ごした幼なじみ・唯史の家を訪ねる直。しかし玄関のチャイムを鳴らして出迎えたのは直の見知らぬ男・恭二。
  わけもわからないまま恭二に部屋に通された直。そこに帰ってくる唯史。そこで直は玄関でキスしあう唯史と恭二を見て貧血で倒れてしまう。
  これが直の東京物語・「サロン」での生活の幕開けである。


「愛にはいろんな形があるんだもん、
ゲイだっていーじゃない。
でも、愛っていったいなんだろう」


  学校にも家にも居場所のない閉塞から抜け出してきた、直。そして直は不思議の国に迷い込んだアリスのように、彼女にとってまったくの未知の世界、異世界に飛び込んでしまう。つまり、ゲイたちの楽園、「サロン」にだ。
  この作品の読解で見逃してはならないのは、直とゲイたちの「閉塞」の状況が通常と逆転している点である。わかりやすく言えば、本来まったく自由であるはずの女子高生である直の方が閉塞を抱えていて、本来は差別され、思い詰めているはずのゲイたちの方がまったく自由でお気楽に生きているという点が妙である。そしてそこが面白い。
  つまりこの作品は、愛を知らない無垢な少女が「恋愛の達人」・ゲイたちの自由な生き様を見つめることで、自然体に生きることの大切さ、また愛に形なんてないのだということを教わり成長する、という作品なのである。ここが従来の「やおい」的ゲイ漫画と桜沢作品の最大の差違である。だから桜沢の描くゲイは同性愛を皮膚感覚でどうしても嫌悪してしまう僕が唯一「人間として」好きだと思える、ゲイなのである。



  唯史と恭二の愛の巣・サロンに居候を始めた、直。
  彼女は次々にやってくるオカマたちの異様な明るさのパワーに圧倒させられてしまう。
  みんなでカレーとサラダの準備を始めるゲイたち。そのセリフが、可笑しい。

「このくらいフツウよん。オンナのタシナミっていうの?」
「そーそ。昔からいうでしょ、男をつなぎとめるのはカラダと料理って」

  なんとも言えない彼らの陽気さに直は半笑いを浮かべることしかできない。
  ゲイたちの中に紛れて一緒にカレーを食べる、直。
「大勢で食べるごはんは、おいしい」。
  ゲイであるとか女であるとかいう垣根を越えて、直は彼らと心を通わせていく。

  桜沢作品全作品のゲイに共通することは、自分たちが「被差別的存在」であることを恥じたり嘆いたりせず、むしろ笑いのネタにしてしまうほどの強さと明朗さを備えていることである。
  わりと有名な彼女の代表作の一つ「愛し合う事しかできない」含む多くの作品でも、ゲイは主人公の女の子のよき理解者であり、かけがえのない友達である。桜沢世界においてゲイは本物の女以上に「オンナ」であることの魅力を備えた、「いい奴」なのである。
  もちろん、桜沢はゲイの本当の(真実の)姿を描けているとはとても言えない。桜沢はゲイを面白可笑しく描くのが本当に上手いが、逆に言えば現実的に彼らが受けている差別であるとかそれによって嫌でも歪んでしまうだろう精神の負の部分であるとか、そういうことを何一つ描けてはいない。偏見に満ちているとさえ思う。だから本物のゲイが桜沢作品を読んでどう思うのかは、まったくわからない。「脳天気なことばっかり描きやがって!俺達の苦労も知らないで」と怒る者すらいるのかも知れない。
  しかし、僕は桜沢の描くゲイの生き方が、とても好きだ。性的対象としてなんて意味ではなく、純粋に人間として魅力的であると思う。暗くジメジメしたやおい的なイメージしか持てなかった僕に、ゲイだって千差万別、いろんな人間がいるんだという「当たり前のこと」を、桜沢は教えてくれた。僕ら男子高校生がコンビニでふざけてはしゃぎあう感覚で、化粧して胸パッド入れて互いの悪口なんか言い合いながら深夜のコンビニにゾロゾロと向かう彼らが、なんだか僕にはとても身近に感じられるのだ。こういう言い方はもの凄く失礼かもしれないけれど。ああ、彼らも、同じ人間なんだ、と。はしゃぎかたも傷つきかたも僕らと何一つ変わらない、同じ人間なんだと、本当にごく自然に、そう思えたのだ。本当に今さらながら。

  そしてこの作品「サロン」の第一部は、彼らゲイたちから「自然体に生きる」ことを学んだ直が、家出をやめて田舎に帰ることを決意することで終結する。差別という閉塞を抱えながらもまったく気にせず明るく楽しく暮らしている彼らゲイの姿に、直は「自分が変われば、見えてくる環境だって変わるんだ」という大切なことを学んだのだ。
「学校もちょっとだけど好きになれそうな気がしてきました。いい事よね」。
  この辺りの成長劇は、僕が他の評論でさんざんやってきた通りなので、深くは触れない。が、僕はゲイという特殊な題材を用いつつその「うさん臭い」匂いをまったく感じさせないこの「サロン」は、漫画として人生の教科書として、とても優れていると個人的には思うのだ。



  この作品の評価がやや低めなのは、きちんとした形で完結していないというただその一点に尽きる。途中で連載休止になり、桜沢はこの単行本で途中の展開を全てすっとばして無理やり最終回を描きおろすという荒技を見せている。
  作品として不完全なものに高評価は下せないので、星は確かに低い。だが、僕は個人的にこの作品もしくは桜沢の描くゲイ作品を一度は読んで欲しいと思う。ゲイに対する偏見が矯正されるとはとても思えないが、少なくとも暗くドロドロしたやおい的な負のイメージだけは、払拭できることは間違いない。僕が保証する。
  投げやりな感じがしなくもない描きおろし最終回だが、僕は結構好きだ。どっちも新婦のウェディングドレス姿で登場する二人はとても凛々しく、綺麗だ。
  自分に胸を張って生きている人間の魅力を、桜沢エリカは熟知している。だからこんなに楽しいゲイたちの姿が描けるのだろう。そしてそんな「いい奴」となら、ぜひ友達になってみたいものだなあと、僕は思うのである。


  桜沢エリカ選集、僕はもうすぐ全て揃え終わるけれど。興味のある人は、今からでも揃えてみてはいかがだろうか。
  彼女の作品集は、絶対に買って損はない。桜沢エリカは間違いなく漫画史に名を残すであろう、「絶対に読まれるべき」大作家の一人であるのだから。



update 99/11/13

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