万葉わーるど  第三期 作歌群





1 大伴旅人(おおとものたびと)作

その一

★ 濁り酒 ★

妻を失い
悲嘆(ひたん)にくれ

もの思いなど
していても
甲斐(かい)がない

一杯の
濁(にご)り酒でも

飲んでいたほうが
よさそうだ


「酒を讃(ほ)むる歌」より



験(しるし)なき
物を思はずは

一杯(ひとつき)の
濁れる酒を

飲むべくあるらし


大伴旅人
万葉集、巻三


その二

★ 酒壷になりたい ★

なまじ
人などでいずに

いっそ
酒壷(さかつぼ)に
なってしまいたい

酒に存分に
浸(ひた)っていられるし

浮世(うきよ)の辛(つら)さだって
絶つこともできる


「酒を讃(ほ)むる歌」より



なかなかに
人とあらずは

酒壷(さかつぼ)に
なりにてしかも

酒に染みなむ


大伴旅人
万葉集、巻三



その三

★ よっぱらいの一言 ★

ありゃ・・・

醜(みにく)いもんだねぇ・・・

賢人(けんじん)ぶって
酒を飲まない人を
よく見ると

お猿さんに

まあ
よく
似ているんだもの

「酒を讃(ほ)むる歌」より



あな醜(みにく)

賢(さか)しらをすと
酒飲まぬ人を

よく見れば

猿にかも似る


大伴旅人
万葉集、巻三





その四

★ 酔臥 ★

この世が
楽しくありさえすれば

来世(らいせ)には

虫にでも
鳥にでも
なってやるさ

楽しくありさえすれば

 

「酒を讃(ほ)むる歌」より



この世にしく

楽しくあらば

来(こ)む世には

虫に鳥にも

われはなりなむ


大伴旅人
万葉集、巻三



その五

★ 面影 ★

今は亡き

妻の植えた
この梅の木は

これを
目にするたびに

お前の面影(おもかげ)が
心に浮かぶ

涙が
とめどなく

流れ落ちる



吾(わが)妹子(もこ)が

植ゑ(え)し梅の樹

見るごとに

こころ咽(む)せつつ

涙し流る


大伴旅人
万葉集、巻三



その六

★ 酔眼 ★

我が家の庭園に

梅の花が
散っている

いや
あれは

空から流れ落ちる

雪じゃないかしら・・・



わが園に
梅の花散る

ひさかたの
天(あめ)より雪の

流れ来るかも


大伴旅人
万葉集、巻五





2 山上憶良(やまのうえのおくら)作

その一

★ 唐より愛をこめて ★

さあ
供の者たちよ

いざ
帰ろう

日本へ

御津(みつ)の浜辺の松が

われわれを
待ち焦(こ)がれているだろう


(遣唐船が出帆(しゅっぱん)した大阪の御津の港が目に浮かぶ。)




いざ子ども

早く大和へ

大伴(おおとも)の
御津(みつ)の浜松

待ち恋(こ)ひぬらむ


山上憶良
万葉集、巻一



その二

★ 子どもたちよ ★

まくわ瓜(うり)を食べていると

わが子が
喜んで
これを食べている姿が
目に浮かぶ

栗を食べていれば

なおいっそう
わが子が
いとおしく
思われてならない

どのような
過去の因縁(いんねん)で
子どもというのは
自分の子として
生まれてきたものなのだろうか

こうして離れていても
子の面影が
目の前に
しきりにちらついて

安らかに眠ることが
できない



瓜(うり)食(は)めば
子ども思ほゆ

栗食めば
まして
偲(しぬ)はゆ

何処(いずく)より
来(きた)りしものぞ

眼交(まながひ)に
もとな懸(かか)りて

安眠(やすい)し
寝(な)さぬ


山上憶良
万葉集、巻五



その三

★ 生まれてきてくれて ありがとう ★

銀も
金も
宝石も
何になろうか

子どもに勝(まさ)る
宝など

ありはしない



銀(しろがね)も
金(くがね)も
玉(たま)も

何せむに

勝(まさ)れる宝
子に及(し)かめやも


山上憶良
万葉集、巻五



その四

★ 嘆息 ★

富裕(ふゆう)な家の子どもが
多くの衣服を
持ち倦(あぐ)んで

捨ててしまうという
絹や綿といったら
まあ・・・

あきれるばかりだ

そんな衣服であっても
着せて喜ぶ子どもは

世間に
どれだけいることだろう



富人(とみひと)の
家の児(こ)どもの
着る身無み

腐(くた)し棄(す)つらむ

絹綿(きぬわた)らはも


山上憶良
万葉集、巻五




その五

★ 悟り ★

世の中を
辛(つら)いと

身も細るような
心地(ここち)も
するけれど

それでも

どこかへ
飛び去ってしまう
ことなどできはしない

鳥ではないのだから



世間(よのなか)を
憂(う)しと痩(や)さしと
思へども

飛び立ちかねつ

鳥にし
あらねば


山上憶良
万葉集、巻五






3 小野老(おののおゆ)作

★ 薫ふがごとく ★

奈良の都
平城京は

咲く花が
色美しく
照り映(は)えるように

今や
まことに

繁栄の極(きわ)みである



あをによし
寧楽(なら)の京師(みやこ)は
咲く花の

薫(にほ)ふがごとく



盛りなり


小野老
万葉集、巻三





4 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)作

その一

★ 微笑 ★

青い山を
横切って
流れてゆく
白雲のように

際(きわ)やかな
笑みを

私と
お交わしになって

人に
それと

知られなさいますな



青山を

横切る雲の
いちしろく

われと
咲(え)まして

人に知らゆな


大伴坂上郎女:大伴安麻呂の娘
万葉集、巻四

 




その二

★ そこはかとなく ★

夜霧が立ちこめ

あわくかすんだ
月の姿

そこはかとなく
悲しく



ぬばたまの
夜霧(よぎり)の立ちて
おほほしく
照れる月夜(つくよ)の
見れば
悲しさ


大伴坂上郎女
万葉集、巻六

 



その三

★ メッセンジャー ★

暇(ひま)をもてず
たずねてくださることの
なかった
あの方に

ほととぎすよ

恋い慕(した)う
私の
この思いを

飛んで行って
告げてきておくれ



暇(いとま)無み
来(こ)ざりし君に
霍公鳥(ほととぎす)

われかく恋(こ)ふと

行きて告げこそ

大伴坂上郎女
万葉集、巻八

 




5 山部赤人(やまべのあかひと)作

その一

★ 麗容 ★

田児(たご)の浦を
海上に
こぎ出して
ふと見上げると

富士の高い峰には
真白に
まあ

見事に
雪が
降り積もっているよ



田児(たご)の浦ゆ
うち出(い)でて見れば

真白にぞ

不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に

雪は降りける

山部赤人
万葉集、巻三

三十六歌仙の一人




その二

★ 若の浦 ★

若の浦に
潮が満ち

干潟(ひがた)が消えて

葦(あし)の生える
岸辺を目指し

鶴(つる)の群れが
鳴きながら

飛んで行く



若の浦に
潮(しお)満ち来れば
潟(かた)を無(な)み

葦辺(あしべ)をさして
鶴(たづ)鳴き渡る

山部赤人
万葉集、巻六

 



その三

★ 夕景 ★

吉野の
象山(きさやま)の

山間(やまあい)の
梢(こずえ)には

これほどまでに
数多く

鳴き騒ぐ
鳥たちの声



み吉野の
象山(きさやま)の際(ま)の
木末(こぬれ)には

ここだもさわく
鳥の声かも

山部赤人
万葉集、巻六

 



その四

★ 静寂 ★

夜は
更けゆき

久木(ひさき)の生える
清らかな

吉野川の

川原の
かすかな
せせらぎ

千鳥の

しきりに
鳴く

声がする



ぬばたまの
夜の更けゆけば
久木(ひさき)生(お)ふる

清き川原に

千鳥しば鳴く

山部赤人
万葉集、巻六

 




その五

★ 野辺にて眠る ★

春の野に
すみれの花を
摘みに来た

野辺を慕い
野辺をなつかしみ

一夜
野に
宿ることにした




春の野に

すみれ採(つ)みにと
来(こ)しわれぞ

野をなつかしみ

一夜(ひとよ)寝にける

山部赤人
万葉集、巻八

 



その六

★ 春雪 ★

明日からは
若菜を摘(つ)もうと
標縄(しめなわ)を

張っておいた
野には

昨日も
今日も
雪が降り

雪が降り



明日よりは
春菜(わかな)採(つ)まむと
標(し)めし野に

昨日も今日も

雪は降りつつ

山部赤人
万葉集、巻八

 




6 高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)作

その一

★ 真間の手児奈よ ★

東(あずま)の国
下総(しもふさ)の
真間(まま)の手児奈(てこな)という
古来伝えられる美少女は

青いえりのついた麻の衣を着て
麻糸で織った裳(も)を腰にまとい
髪さえ
櫛(くし)でとかさぬままに
歩くときも
履(は)き物すらはかずにいた

そんな素朴な身なりの
手児奈であっても
その美しさは

錦(にしき)や綾(あや)の衣を
身にまとった
都の豪家(ごうか)の娘でさえ
到底(とうてい)及びはしない

満月のように
美しくふくよかに
清らかに整った
その顔立ちで

花のように微笑み
たたずんでいれば

夏虫が
灯(あか)りを慕(した)って
火に飛び込んでゆくように

先を争って
湊(みなと)に舟が
漕(こ)ぎ入ってゆくように

恋焦(こ)がれる
多くの男たちに
求愛され

どれほどの余生で
あったかも知れないのに

何としたことか

思案に余り
わが身さえなければと
海に身を投げ

波音の騒ぐ湊を
自らの墓としてしまった

はるか遠い
古(いにしえ)の
この出来事は

昨日にでも
目にしたことのように

鮮やかに
目に浮かぶ



鶏(とり)が鳴く吾妻(あずま)の国に
ありける事と今までに
絶えず言ひ来る勝鹿(かづしか)の
真間(まま)の手児奈(てこな)が
麻衣(あさぎぬ)に
青衿(あおくび)着け
直(ひた)さ麻(お)を
裳(も)には織り着て
髪だにも掻(か)きは梳(けず)らず
靴(くつ)をだに穿(は)かず行けども

錦綾(にしきあや)の中に
つつめる斎児(いつきご)も
妹(いも)に如(し)かめや

望月(もちづき)の
満(た)れる面輪(おもわ)に
花の如(ごと)
笑(え)みて立てれば

夏虫の火に入るが如(ごと)
水門(みなと)入りに
船漕(こ)ぐ如(ごと)く
行きかぐれ人のいふ時

いくばくも生けらじものを
何すとか
身をたな知りて
波の音(と)の騒ぐ
湊(みなと)の奥津城(おくつき)に
妹(いも)が臥(が)せる

遠き世にありける事を
昨日(きのう)しも
見けむが如(ごと)も
思ほゆるかも

高橋虫麻呂
万葉集、巻九

手児奈の霊は、千葉県市川市にある真間の手児奈堂に祭られている




その二

★ 真間の井 ★

葛飾(かつしか)の
真間の井を
見ていると

ここを
行き来しては
水を汲(く)んでいたであろう
手児奈(てこな)の姿が
目に浮かぶ




勝鹿(かづしか)の
真間の井を見れば

立ち平(なら)し
水汲(く)ましけむ

手児奈(てこな)思ほゆ

高橋虫麻呂
万葉集、巻九

真間の井は手児奈堂の境内にある


その三

★ 浦島太郎 ★

ある春の
霞(かすみ)のかかった日に
墨吉(すみよし)の岸まで来て
釣り舟が揺れているのを見ると
昔あった出来事が思われる

水江(みずのえ)の
浦島の子が
鰹(かつお)を釣り
鯛(たい)を釣っては
得意になって
一週間も家に
戻らない

海の果てまで
漕(こ)ぎ行くと
海神(かいじん)の姫(ひめ)に出会い
夫婦(めおと)になる
相談がまとまり
堅(かた)く約束し合った

不老不死(ふろうふし)の
仙境(せんきょう)の
立派な宮に二人着き

互いに手を取り
入って行った

宮の中では
年を取ることなく
死ぬこともなく
長い間
暮らしていたというが

世にも愚(おろ)かな
浦島の子が
愛人に
告げて言うには

しばしの間
家に帰って
父母(ちちはは)に
事の次第(しだい)を
物語り
明日にでも
宮に戻って来ようと
言ったところ

愛人が言うには
この宮にまた帰り来て
今のように再び
二人が会おうと思うなら

この箱を
決して開けてはならぬと
くれぐれも
堅(かた)く
禁じたにもかかわらず

墨吉(すみよし)に帰り着けば
自分の家が
探しても見つからず
住んでいた里が
探しても見つからず
不思議に思い

家を出て三年間に
垣根も家も
露と消え去ることが
あるはずないと

あるいは
この箱を開いて見たならば
元のように家は
現れるだろうと

美しい箱を
わずかに開けてみたところ

たちまち白雲(しらくも)が箱から出て
仙境(せんきょう)の彼方へと
たなびいた

浦島は驚いて
立ち走り
叫んでは
袖を振り
ころげ回って
足ずりをしながら
たちまちに
気を失ってしまった

若々しかった肌は
たちまちに皺(しわ)が寄り

黒かった髪は白く変わり
後(のち)には息までも絶え
ついには命を
落としてしまったという

浦島の子の家のあったあたりが
見えている




春の日の霞(かす)める時に
墨吉(すみのえ)の岸
に出(い)でゐ(い)て
釣舟(つりふね)のとをらふ見れば
古(いにしえ)の事ぞ
思ほゆる

水江(みずのえ)の浦島の子が
堅魚(かつお)釣り鯛(たい)釣り
七日(なぬか)まで家にも来(こ)ずて
海界(うなさか)を過ぎて
漕(こ)ぎ行くに

海若(わたつみ)の
岬の女(おとめ)に
たまさかにい漕(こ)ぎ向(むか)ひ
相(あい)誂(あとら)ひこと
成りしかば
かき結び
常世(とこよ)に至り

海若(わたつみ)の
神の宮の内の重(え)の
妙(みょう)なる殿(との)に
携(たづさ)はり
二人入り居(い)て

老いてもせず
死にもせずして
永(なが)き世に
ありけるものを

世の中の愚人(おろかひと)の
吾(わが)妹子(もこ)に
告げて語らく

須叟(しましく)は
家に帰りて
父母(ちちはは)に
事も告(かた)らひ
明日(あす)のごと
われは来(き)なむと
言ひければ
妹(いも)がいへらく

常世辺(とこよへ)に
また帰り来て
今のごと逢(あ)はむとならば
この篋(くしげ)開くな
ゆめとそこらくに
堅(かた)めし言(こと)を

墨吉(すみのえ)に還(かえ)り来たりて
家見れど家も見かねて
里見れど里も見かねて
恠(あや)しとそこに思はく

家ゆ出(い)でて
三歳(みとせ)の間(ほど)に
垣(かき)も無く
家滅(う)せめやと

この箱(はこ)を開きて見てば
もとの如(ごと)家はあらむと
玉篋(くしげ)少し開くに

白雲(しらくも)の箱より出(い)でて
常世辺(とこよへ)に
棚引(たなび)きぬれば

立ち走り叫(さけ)び
袖(そで)振(ふ)り
反側(こいまろ)び
足ずりしつつ
たちまちに
情(こころ)消失(けう)せぬ

若かりし膚(はた)も
皺(しわ)みぬ

黒かりし髪(かみ)も
白けぬ

ゆなゆなは
気さへ絶えて後(のち)
つひに命死にける

水江(みづのえ)の
浦島の子が
家地(いえどころ)見ゆ


高橋虫麻呂
万葉集、巻九




7 湯原王(ゆはらのおおきみ)作

★ 夕月夜 ★

夕月の
淡(あわ)い光の下

しっとりと
白露(しらつゆ)のおく
この庭で

しみじみと
心にしみる

秋の虫の声



夕月夜(ゆふづくよ)

心もしのに

白露(しらつゆ)の

置くこの庭に

蟠蟀(こおろぎ)鳴くも

湯原王
万葉集、巻八

天智天皇の孫、志貴皇子の子







つづく・・・