ロンゲラップ被曝者の証言
マジュロにて
★ハルコさん 1939年9月19日生まれ 61歳
12歳のときロンゲラップで被曝。外を歩いているとき、爆風と音を聞いた。灰を被った皮膚がかゆくなり、髪の毛がぬけた。吐き気がし、風邪をひいたようにお腹がいたくなった。翌日、クワジェリンに船で行った。アメリカの医者に海に行き体を洗うようにいわれた。火傷をした皮膚が痛かった。毎日医者に血を採られ、色々の薬を飲まされ、背骨から液を採られた。視力が落ちた。57年にロンゲラップに戻り、10年ほど住んだ。タコの実を食べると口の中がヤケドをしたみたいになった。手術はうけていないが、甲状腺の薬を今も飲んでいる。
★アトメダさん 1935年1月30日生まれ 66歳
ブラボー核実験のときはクワジェリンにいたが、57年に家族とともにロンゲラップに帰った。22歳だった。叔父はロンゲラップで被曝し、被災者のなかで最初の犠牲者になった。心臓マヒだった。85年までロンゲラップで暮らした。タコの実やモクモクを食べると口の中がおかしかった。結婚し子どもが8人生まれ、4回は流産した。
★リノクさん 1938年5月6日生まれ 62歳
15歳のときロンゲラップで被曝。朝ものすごい光をみて、昼頃空から灰が降り体にかかった。当時妊娠していたので、クワジェリンには飛行機でつれていかれた。ハルコと同じように毎日海水につかった。子どもは18人できたが、現在生きているには8人。長男は昨年原因不明の病気で物が食べられなくなり48歳で死んだ。被曝のせいだと思う。他の子どもたちは小さいときに亡くなった。57年にロンゲラップに戻り、85年まで住んだ。夫は喉が痛くしゃべれなくなり、4年前に亡くなった。ガンではないかと思う。私はアメリカ・クリブランドの病院で甲状腺の手術をし、いまも薬を飲んでいる。
★ヒロコさん 1942年8月13日生まれ 58歳
12歳のときロンゲラップで被曝、直接灰を浴びた。直後吐き気がし、その晩から体がかゆくなった。翌日クワジェリンに船で行った。毎日浜辺で体を洗った。髪の毛がぬけ、頭半分が禿げた。足にもヤケドみたいなものができた。アメリカの医者が肉を採って調べた。58年に家族10数人とともにロンゲラップに帰った。その後マジュロの学校に入ったが、卒業後は結婚しロンゲラップで暮らした。子どもは9人いるが、他に2人が死亡、1人が流産した。男の子は生まれつき心臓が悪く、生まれて間もなく死んだ。その妹は死産だった。夫は注射の副作用で60歳で死亡。上の娘が声がでなくなった。私は75年にオハイオ州のクリーブランドの病院で甲状腺の手術を受け、その後は薬を飲んでいる。他に高血圧、糖尿病、白内障がある。補償は年700ドル受けている。
★キオアサングさん 1939年3月6日生まれ 63歳
ロンゲラップで被曝、他の人たちと同じような経験をした。57年にロンゲラップに帰り、60年代にマジュロに移り住んだ。子どもは7人健在で6人が死亡。5人は流産で1人は生まれて4時間後に死亡。体がグニャグニャして弱かった。夫はいま頭に腫瘍ができ検査を受けている。
★ナミコ・アンジャインさん 1940年9月9日生まれ 60歳
クワジェリンで生まれたが、ブラボーのときは家族とともにコプラ作りのためアイルグナイに行っており、13歳で被曝した。母と兄、上の兄嫁が亡くなった。兄はガンで40歳で死亡した。ロンゲラップと同じように翌日の昼から夕方まで灰が降った。灰が目に入って涙がでた。船でクワジェリンに行った。当時頭痛がし背骨が痛んだ。57年にロンゲラップに行き、85年にメジャトに移った。結婚したが、4人の子どもを流産と死産で失い、今生きているのは女の子1人だけ。その後離婚した。私は、医者から心臓病といわれ息切れがするようになった。前に甲状腺の手術をうけた。病気の補償として年700ドル被曝の補償として3か月で80ドルもらっている。
★エレンさん 1930年11月6日生まれ 70歳
24歳でロンゲラップで被曝。吐き気、脱毛、首にヤケドを負った。家族で被曝したのは私たち夫婦と子ども4人である。夫は92年に普通の病気で死亡した。私はアメリカで2回甲状腺の手術をした。57年にロンゲラップに戻り、その後イバイ、ロンゲラップ、メジャトと移り住んだ。今はメジャトに住んでいる。
昨年、建設工事のためロンゲラップに行った。島は荒れていて家はなかった。いろいろあったが、ロンゲラップは自分の故郷だ。本当に安全なら帰りたい。
子どもは13人、そのうち9人は被曝後に生まれた子である。他に2人死亡した子がいる。一人は女の子で発育が悪く、手も足も短かった。もう一人は男の子で生まれるとすぐ死亡した。被曝した娘の一人は甲状腺異常で手術をした。補償は最初に2500ドル貰った。
★アトミネさん 1938年1月生まれ 63歳
水爆実験のときウジャエにいた。57年にロンゲラップに帰り、子どもが10人生まれた。1回流産した。夫はナムリック出身。夫も子どもたちも元気である。補償は3か月80ドルのみ。病気は糖尿病の薬をのんでいる。
メジャトにて
★ボロカイン・アンジャインさん(村長代理) 47歳
85年にロンゲラップからここ(メジャト)に移り住んで村をつくるのが大変だった。
当時の居住者は170人位だったが、現在の居住者は340人余りである。この15年間に30人以上が亡くなった。
私の家族は、両親に男の兄弟3人、女の姉妹2人が被曝している。57年に父が胸の病気でロンゲラップで亡くなり、98年に兄が亡くなった。きょうだいのなかで2人(男1人、女1人)が甲状腺異常で薬をのんでいる。私は甲状腺に腫瘍があるといわれ、薬をのんでいる。年に2〜3回、DOEの船で検診をうけている。子どもは5人で、一番上の女の子が髄膜炎で死亡している。
島民の食料は、年に4回アメリカの援助物資がとどく。事故で届かなかったりして食料が不足する場合は、ロンゲラップ自治体が調達して送ってくる。それだけでは十分ではないので、椰子を植えたりして補っている。援助物資は、米、小麦粉、缶詰、リーンピースなどである。若い人たちの何人かはイバイやマジュロに行き、何人かはここに残っている。ロンゲラップが安全かどうか、子どもの将来にとって心配だ。安全であればロンゲラップで教育を受けさせることができるだろうし、でなければ他のところで教育させなければならない。信頼できる科学者に安全かどうか調べてもらいたいと思う。今はお産の異常はない。大人はいいが、若い人に異常がでてくるのが心配だ。
アメリカのミサイル実験のときは、事前にクワジェリンのマーシャル政府事務所から知らせてくる。その間はクワジェリンにいくことができない。年に3回のときも1回のときもある。ミサイル実験は好きではないが、政府どうしが決めたことだから仕方がない。
★キャシー・ジョエルさん 52歳
水爆実験のときは6歳だった。大きな音がして粉のようなものが降ってきた。気持ちが悪くなった。家の中にいたのでヤケドはしなかった。子どもは7人いるが、6回流産している。甲状腺異常はない。57年にロンゲラップに戻ったが、夫はジャルート出身なのでそこで暮らしている。孫は7歳になるが、いまだ歩けず話せない。補償は1回のみ1万ドルもらった。ロンゲラップに帰ったときは、かぼちゃも育ってなかったし、お腹がすいた。ここは安全でよいが、自分たちの故郷でないという気持ちが絶えずある。
★アルフォンソ・ジョブダックさん 47歳
57年に4歳のときロンゲラップに帰った。子どもは4人いる。4番目の子が動けない子で、1歳のとき亡くなった。妻は足が悪い。ロンゲラップに帰りたいが、放射能のことが心配だ。
★フレディ・スウィンリイさん 48歳
コスライの出身であるが、70年にロンゲラップ出身の妻ローズと結婚し、ロンゲラップに移り、85年までそこで暮らした。妻は47年に生まれ、ロンゲラップで被曝。7人の子どもができたが、8番目のお産のとき出血多量で母子とも死亡した。妻の話では、実験のあと白い粉が降ってきて水たまりに落ちた。有害とはしらず、それで遊んだという。50〜60代の人が沢山死に、本当に可哀相だった。
チューリーは3番目の娘だが、彼女と同じ年に生まれた4人の子どものうち、チューリー以外の子はみな亡くなった。チューリーの障害は私と妻がうけた放射能障害によるものだと思う。チューリーは3か月まで元気だったが動けなかった。77年にホノルル病院に6〜8カ月入院し、DOEのチェックをうけた。ハワイから帰って少し良くなったが、病院はどういう病気で、なにが原因か何も説明してくれなかった。多分みんなに知られたくない病気なのだろう。
チューリーは生まれた時はいい顔をしていたが発育が遅く、歩きだしたのは5〜6歳、話しだしたのは11〜12歳になってからで、学校には行っていない。現在23歳。背は低いが、人の言うことは理解できるし話すこともできる。動作がのろく子どものようだ。肌に黒い筋ができている。DOEの医者もその事は知っている。アメリカの医者は信用できない。日本の医者に原因を調べてもらいたいと思う。
妻の墓はメジャトで最初につくった。ロンゲラップ被災記念館のプランは200%賛成だ。
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