ロンゲラップ平和ミュージアムのデザイン
マーシャルの建築様式をとりいれたかやぶき屋根のコンクリートの建物。メインの建物と4つのウイングから成ります。メインの建物の一階は、ロンゲラップの被害者が被ばくの体験を語るホール、2階は、事務室、資料の保管室になります。4つのウイングは、マーシャル諸島の被害地、ビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリック環礁を象徴しています。


 昨年5月に支援する会が発足して以来、被爆者の方々をはじめ、多くのみなさまから心温まる募金をお寄せいただき、ありがとうございました。募金は9月30日現在で850万円に達しました。ホームページ上にお名前を発表し、お礼にかえさせていただきます。最後までご支援、ご協力の輪を広げていただくよう、よろしくお願いします。




最新 キャンペーン推進ニュース第4号(2004年4月8日)をUPしました。



9月12日、起工式行われる

起工式のため、ミュージアム設立を支援する会事務局の土田弥生が9月、現地を訪問しました。 ここをクリック!

写真:起工式で鍬入れをするミュージアム設立委員会メンバーら。
左から建設請負業者のデュオ氏、ロンゲラップ環礁首長ジェームズ・マタヨシ氏、デザイナーのデニス・アレッシオ氏、「支援する会」事務局の土田弥生、マーシャルの設立委員会会長のリン・カブア氏、ロンゲラップ選出の上院議員アバッカ・アンジャイン・マディソン氏。(マーシャル諸島の首都マジュロにて)




キャンペーン推進ニュース

第1号(2003年3月1日)
第2号(2003年4月1日)
第3号(2003年10月18日)
第4号(2004年4月8日)



 

ロンゲラップ平和ミュージアム設立協賛募金のお願い
2002年5月27日

 

1954年3月1日、多くの日本漁船とともにアメリカのビキニ水爆実験で被災したマーシャル諸島から、最大の被害地ロンゲラップ環礁島民の被災とたたかいを記録に残す「ロンゲラップ平和ミュージアム」建設の計画が世界によびかけられています。
あの日、ロンゲラップ環礁の島民86名は、事前に何の知らせも警告もないまま全身に大量の放射能を浴びました。天から降り注ぐ白い粉を、子どもたちは見たこともない「雪」だと思い、大喜びでおもてにとび出したとのことです。悲劇の始まりでした。
1957年、島民はアメリカ当局による「安全宣言」を信じ、被災当時ロンゲラップにいなかった者も含め多くの人々が帰島しました。しかしそこで島民を待ち受けていたものは、死産、奇形児出産、これまで島民が経験したこともない病気と死でした。1985年、島民はロンゲラップを捨て、それ以来、マーシャル諸島のクワジェレン環礁メジャト島など各地で、避難生活を余儀なくされています。
いま、ロンゲラップでは、島民の願いであった帰島にむけて汚染除去作業が進んでいます。しかし、環礁全体の汚染は深刻であり、帰島するにも、避難先に残るにも、被害を起こしたアメリカ政府の補償についての国際的な監視と、世界の人々との連帯を欠かすことができません。
2000年3月1日、ロンゲラップ島民の救済のために命をささげたマーシャル諸島共和国の故ジェトン・アンジャイン上院議員の長女で、父親の遺志をついで上院議員となったアバッカ・アンジャイン・マディソンさんが「3・1ビキニデー全国集会」(焼津)に出席しました。「ロンゲラップ平和ミュージアム」は、このときに、アバッカ・マディソンさんが呼びかけたものです。
ロンゲラップ救援の声は、1975年、当時のロンゲラップ自治体首長ネルソン・アンジャインさんが救援を求めて日本に来たことから日本に広がりました。それ以後、広範な方々がマーシャル諸島島民の被害を日本と世界に知らせ、先駆的に救援の運動にたずさわってきました。1991年、ロンゲラップ代表が原水爆禁止世界大会に出席し、以来、日本原水協も5度にわたり医師や専門家を含む代表団を派遣し、救援と連帯の活動を行ってきました。
 私たちは、歴史的にも経済的にも日本と深く結ばれたマーシャル諸島ロンゲラップ島民の、この再生への願いに連帯し、「ミュージアム」建設計画に、物心両面で支援するとともに、日本の広範な各界各層のみなさんにも、支援と協力を呼びかけます。

一、 募金目標 
ロンゲラップの設立委員会がたてている目標は140,000ドル(約2000万円)で、日本からは内1000万円を目標に協力します。団体、事業体は一口2万円、個人は一口2000円とし、何口でもご協力ください。
  (募金送先)中央労働金庫 本店営業部 (普通)0600846
        名義:ロンゲラップ基金 代表 土田弥生
二、 期限
 ロンゲラップの設立委員会は、2003年8月に着工し、被災50周年の2004年3月1日に開館することを目標としています。着工に間に合うよう、2003年8月を目処に募金目標達成をめざします。

ロンゲラップ平和ミュージアム設立を支援する会・よびかけ人 第一次分 
(2000年5月23日現在)
―――――――――――――――(あいうえお順)
○飯塚利弘(静岡県元教師)
○大石又七(第五福竜丸元乗組員)
○河井智康(日本科学者会議)
○聞間 元(静岡県民主医療機関連合会会長)                         
○斎藤禎量(医師・宮城厚生協会坂総合病院)
○清水谷子(ブンブンプロジェクト神奈川事務局代表)
○島田興生(写真家)
○白井雅子(新日本婦人の会副会長)
○杉山秀夫(静岡県原水爆被害者の会会長)
○鈴木勝之(静岡県原水協事務局長)
○高草木博(日本原水協事務局長)
○土田弥生(日本原水協事務局)
○豊崎博光(フォトジャーナリスト)
○永沢丈夫(神奈川県原水協事務局長)
○南 京子(広島とマーシャル・ロンゲラップをつなげる会会長)
○森住 卓(フォトジャーナリスト)
○森清一郎(高知県保険医協会理事)
○森田喜一(核兵器廃絶三浦連絡会)
○和田忠明(高知県原水協事務局長)
○三輪博志(長崎被爆者)

連絡先:
事務局担当:土田弥生
〒113‐8464
      東京都文京区湯島2‐4‐4 平和と労働センター6F
      原水爆禁止日本協議会内
      電話)03-5842-6034 Fax) 03-5842-6033 Email:jojoi@ballade.plala.or.jp

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ロンゲラップ平和ミュージアム設立へ支援をよびかける国際アピール

1954年3月1日、ビキニ環礁での水爆実験の日からまもなく半世紀になります。私たちの夢であった、最大の被災地ロンゲラップ環礁本島の汚染除去作業がいま急ピッチで進んでいます。
ロンゲラップには、たくさんの美しい島があります。けれども、いま長く美しい浜辺や青い環礁を楽しんでいる人はだれもいません。子供たちが遊び、動物を追いかけている姿もありません。25年前にあった家々にはだれもすんでおらず、荒れ果てています。残されている墓地を見ていると、なにも知らず犠牲となった島民のいたみや苦しみがよみがえります。恐ろしい核兵器の被害を受け、たくさんの命が失われたことはなんという悲しいことでしょう。
しかし、私たちには未来への希望と夢があります。記念館をつくるという夢です。被ばく者が忘れられてはなりません。私たちは、彼らのいたみや苦しみから学ばなければなりません。記念館は被ばく者の経験や被ばくのできごとのみを展示するのではありません。
ロンゲラップと日本の被ばく者、核兵器から被害を受けた世界の人々との連帯のセンターの役割も果たします。記念館は、核兵器のない平和な世界をという共通の願いをもつ世界諸国民の友好・親善の関係を示すものです。世界中から核兵器の被害をなくし、核兵器そのものをなくすために私たちはひきつづき団結しなければなりません。そうしてはじめて、子供たちや将来の世代に安全で平和な明日を残すことができるのです。
夢はなにもしなければたんなる夢で終わります。あなたのご支援、ご支持を必要としています。ロンゲラップ平和ミュージアムは、ビキニ被災50周年の記念日にあたる2004年3月1日に落成し、開館をよていしています。この記念館が、ロンゲラップの被災者に未来への希望と困難を乗り越える勇気を与えるものとなるよう、また、ロンゲラップの被災者と他の環礁の被災者、日本をはじめ世界の被害者との連帯の碑(いしぶみ)となるよう、力をお貸しください。

2002年3月1日ロンゲラップ平和ミュージアム設立実行委員会

                    会長   リン・カブア・ミルネ
執行委員 アバッカ・アンジャイン・マディソン


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