ダイエー 耐えて2度目の日本一


 耐えて、忍んで、4年ぶり2度目の日本一を手に入れた。第7戦までもつれ込んだ日本シリーズはダイエーが底力を発揮。初回に松中が先制の2点二塁打を放ち、三回に井口、城島が一発で続く。城島は六回にも2打席連発の4号ソロ。投げてはルーキー和田が2失点で完投した。身売り騒動に揺れる中、史上初めてすべて本拠地で勝利を挙げて歴史に残るシリーズを制した。このシリーズ限りで勇退する阪神・星野仙一監督(56)は試合後、正式に辞任を表明した。

 マイクを思い切り握り締め、王監督は絶叫した。総立ちのファンが占拠した福岡ドームにかすれた声が響く。熱かった。長かった。歴史に残る激闘を制した。大きな瞳がうっすらと光る。本拠地で4度宙を舞った興奮に震えていた。

 「2勝3敗で帰ってきての逆転優勝ですから感無量のただ一言です。何十年後に振り返ってもいの一番に出てくるシリーズになる。われわれはやりました。ファンの前で日本一を勝ち取ることができて最高です」

 地元で開幕連勝も甲子園でまさかの3連敗。第3戦の雨で流れが変わった。00年のON対決は連勝後に4連敗。悪夢がよぎった。だが、1日順延で本来は第6戦の斉藤を第5戦に起用。「和田が最後になったのは結果的にいい流れになった」。杉内で逆王手。第7戦に和田を投入し、今季を象徴する打線の爆発で本拠地4戦全勝の逆転V。天は、実は王監督に味方した。

 特別なシリーズだった。表彰式後、星野監督に別れの意味を込めて帽子を振った。決戦直前に闘将の勇退が表面化。「同じリングで戦っているわけだから、今は語ることはできない」。期間中はそのことには触れなかったが、99年に続いて闘将(当時は中日監督)に勝って「仲間としては最高の形で送り出せればいいと思っていた。同じ土俵で戦う以上は最善を尽くすのが礼儀。星野監督も満足していると思うよ」としみじみとつぶやいた。

 「思った以上に体調がよくないんだろう。幸いオレは体調は大丈夫。両親に感謝しなきゃね」。甲子園の冷気で風邪をひいても63歳の肉体には精気がみなぎっていた。2年で勇退する闘将だけでなく今季は監督が相次いで退団。リーグ制覇翌日の10月1日には携帯電話が鳴った。巨人・原監督だった。志半ばで辞任する後輩の無念さを痛感すると同時に日本一奪回へ気力が強く芽生えた。

 「巨人の監督は他のことが大変。宿命みたいなもんだ。そういう意味ではここ(福岡)でのんびりやらせてもらっているよ」。39年のプロ生活で20回目のシリーズ、14度目の日本一。輝かしい球歴の中で第7戦を制したのは現役時代の63年の西鉄戦以来だが、川上監督を平和台で胴上げしてから40年後、同じ福岡で日本一となった。

 恭子夫人の遺骨盗難に本社が抱える約1兆2000億円の有利子負債削減へ向けた身売り騒動。期間中も産業再生機構の活用を断念、球団向け貸付金の株式化…。そんな逆風にも負けなかった。「監督のやることは限られてる。王野球なんて邪道だよ。しょせんやるのは選手」。将来の巨人復帰がささやかれても「これからは若い人たちの時代だ」と来季も福岡で10年目の指揮を執る。巨星としての宿命。それが、王貞治の使命だと分かっている。

 「長い一年だったね」。夢の100打点カルテットと若い投手陣の力で歴史的シリーズの覇者に名前を刻んだ。「お互いにいい思い出になるシリーズだったね」。4年ぶりにチャンピオンフラッグが関門海峡を渡る。福岡で築き上げた常勝軍団。無骨な野球人はこれからも王道を歩いていく。

[スポーツニッポン 2003年10月28日]