進化した王監督、いざ日本シリーズでトラ狩りへ


 今年の戦いを見る限り王監督のコーチ、選手への管理能力や環境作りについては阪神・星野監督に勝るとも劣らないものがあった。

 ダイエーのある球団関係者は「もし今、王監督がすぐに巨人に行っても、すぐに優勝争いをするだけの力があると思う。何事も臨機応変に対応する能力は並大抵ではない」と話している。決して、身内による「ヨイショ」ではない。

 オープン戦で4番小久保が「今季絶望」のケガをした直後こそ一瞬、頭を抱えた。が、「王監督はすぐに走る野球に切り替えた。」というのは島田外野守備・走塁コーチだ。

 村松、川崎、井口の俊足トリオを1番から3番に並べた。

 相手投手のクセやタイミングのはかり方を、伝授した島田コーチとともに、振り切る打撃を村松に授けた新井打撃コーチの功績も大きい。金森スコアラーは古巣、西武の"秘密"を明かすとともに、準打撃コーチとして新井コーチを補佐した。

 王監督の意向で獲得したコーチ陣。単身赴任の新井コーチや尾花投手コーチを、積極的に食事に誘った。その際も王監督は家族で赴任しているコーチには「今回は悪いな。次は一緒に行こうな」と必ず声をかけていた。

 選手は大人として扱った。攻守の要、城島には責任感もたせた。城島は好機に凡打したチームメートに「勝つ気があるんですかね」とベンチ内で声を張り上げる和を乱しかねない火種になる危険もあるが、闘争心のあるリーダーとしての資質の持ち主でもある。投手交代のときは必ず、城島の意見を聞いた。

 プレーヤーとして雲上人であった王監督が、地上に降りて実行した気配り、目配り。神様、仏様、稲尾様の稲尾和久さん(日刊スポーツ専属評論家)が次のように「王監督論」を語ったことがあった。

 「王は優勝した年(99年)から変わった。それまでは途中まで大差で負けていても投手をつぎ込んでいた。それが王人気の一端なんだろうが、あの年から負けゲームというわけではないが、メリハリをつけた投手起用をするようになった」と。足元ばかりに目を奪われがちだったが、全体を見渡せるようになったことを強調した。

 キャッチフレーズも、巨人時代の打ち勝つ野球から投手を中心にした守りの野球、になった。

 世界の王に対して失礼は重々承知だが、王監督は確実に「進化」しているのだ。

[夕刊フジ 2003年10月1日]