星空に向かって、背番号89が5度、舞った。王貞治監督(63)率いるダイエーが、3年ぶりにペナントを奪還した。マジック1で迎えたロッテ戦。試合途中、西武敗戦でのV決定だったが、試合では今季を象徴する「つなぎの野球」を展開。3点ビハインドも一気の集中攻撃で逆転勝ちした。投打のバランスのとれた「常勝球団」づくりへ、心血を注いできた王監督の執念が結実。球団売却問題など荒波を乗り越えて、ゴールした。10月18日開幕の日本シリーズで阪神を破り、ダイエー黄金期の到来を告げる。
感激は試合中に飛び込んできた。その時、9時12分-。ベンチ裏の王監督の元へ西武敗戦の朗報が届けられた。まだ試合中だ。それでも、ほおをつたう涙が止まらない。ベンチへ戻ると、何度もうなずきながらナインに目を細めた。2度目の至福の時。試合終了は笑顔で待った。苦楽をともにしたユニホームの渦が待ち受ける。その歓喜の輪に進むと、大きく両手を広げて5度舞った。「3回の優勝の中で一番うれしかった」。ひとみが潤んだ。
あれから15年がたつ。88年のちょうど今ごろ。愛着ある巨人のユニホームを脱いだ。翌89年からの充電生活中には次々に監督要請がきた。それでも頑として首を縦に振らなかった。転機が訪れたのは93年11月。故根本球団社長からの監督就任の打診だ。半年の熟慮。その熱意にほだされ現場復帰の道を選んだ。巨人監督5年間でVは1度だけ。成就できなかった「常勝」の夢を九州の地にかけた。
9年の歳月を経て理想のチームにたどり着こうとしている。大砲の小久保不在の中、「つなぎの野球」を展開。投手陣の屋台骨は斉藤、和田ら若い力が支えた。V9時代を述懐したことがある。「V9のときはON、ONと言われるが防御率もよかった」。投打ともにトップレベルだったことが強さの根底にあった。「今年はあの時(V9)と似ている」。安定した戦いが常勝球団再来の予感をもたらした。
究極の目標が孤独との戦いの支えだった。01年12月、恭子夫人が死去。関東遠征のたびに都内にある墓へ足を運んだ。前日も墓前で手を合わせたばかり。「女房は信じてくれていたと思う」。声が震えた。自身のパソコンには4人の孫の写真を取り入れ始めた。携帯電話の待ち受け画面も孫の写真。心に宿る思い出が形見だが、寂しさは募った。7月下旬、湿疹(しっしん)に襲われた。二女理恵さん(32)には「眠れない」とこぼした。ナイター後は外食が「日課」だったが、今ではコンビニでビール1本だけ買う日が増えた。63歳。「絶対的な野球をやりたい。ファンの人に面白くないと言われてもいい」。独り身の寂しさと引き換えに、理想のチームづくりを追い求めた。
球団は身売り騒動に揺れ続けた。プライベートでは恭子夫人の遺骨盗難という憂き目にもあった。来季で10年目。逆境が続いても長期政権に迷いはなかった。「チームを築き上げた時、バトンタッチするのがいいという気持ちもある。それがいつになるかは流れ」。あと1歩で届く常勝球団を前に、ユニホームを脱ぐことなどできなかった。だからこそ「発展途上ではあるが、よくここまできた。でも、来年以降、やらないといけないことは山積している」と言う。球団側も黄金期到来を信じている。来季から黒と白を基調にしたユニホームに王者をイメージした「ゴールド」の彩りを加えることになった。
後ろは振り返らない。球団が過去2度の優勝で作製した記念リングが、どこにあるかも覚えていない。「選手権では絶対に日本一になります」。4年ぶりの日本一が、ダイエー黄金時代の真の幕開けとなる。
[日刊スポーツ 2003年10月1日]