親会社の読売新聞社の最大のライバル・朝日新聞社からも『2002年スポーツ賞』を贈られた、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督。残された名誉は『国民栄誉賞』だけだ。
「朝日が、ライバル・読売グループの重役(株式会社よみうりの専務取締役)である長嶋さんをよく選んだな」と、読売グループ関係者が驚きの声をあげる。
今回の『2002年朝日スポーツ賞』は、国民的スーパースター・長嶋茂雄の偉大さを改めて見せつけた。
が、一番ふさわしい栄冠の『国民栄誉賞』とは縁がない。20世紀最後を飾った、球史に残るONシリーズを制し、日本一になった一昨年オフに、長嶋監督が勇退していれば、文句なく国民栄誉賞だった。
「正直言って、日本一になったところで辞めようか悩んだこともある」と、長嶋終身名誉監督は告白したが、結局、昨年、優勝を逃してユニホームを脱いだために、タイミングを逸して、実現しなかったのだ。
今回の『朝日スポーツ大賞』をはじめ、数限りなく栄誉を手にした長嶋氏だが、国民栄誉賞だけは間合いが悪い。
「だってワンちゃんの時にできた賞だからな。オレの時にはなかったんだから、しようがない」とは長嶋氏の弁だ。
確かにその通りだろう。ミスター・ジャイアンツ、ミスタープロ野球と呼ばれ、日本のプロ野球を国技にした最大の功労者だけに、国民栄誉賞があれば、第1号は間違いなかっただろう。
昭和49年、「わが巨人軍は永久に不滅です」という名セリフとともに、日本中を泣かせた感動的な涙の現役引退セレモニー。これ以上、国民栄誉賞にふさわしい人はいないからだ。が、残念ながら当時はなかったのだから、仕方ない。
昭和52年、ホームランの世界記録を作った世界の王こと巨人・王貞治(現ダイエー監督)が受賞第1号。プロ野球界では、その他に昭和62年、鉄人・衣笠祥雄(元広島)が「プロ野球連続出場記録」を理由に受賞している。
不運だった長嶋氏だが、ラストチャンスがやってきた。来年のシドニー五輪アジア予選から日本代表監督として指揮を取るからだ。アジア予選通過は確実だし、2年後の2004年の五輪本番で金メダルを獲得すれば、無条件で国民栄誉賞を受賞できる。
現役時代だけでなく、監督としても不滅の国民的スーパースターとして君臨してきた長嶋茂雄にとってようやく巡ってきた最大のチャンスだ。
[夕刊フジ2002年5月17日]