王監督の愛妻が死去、長嶋も絶句


 ダイエーの王貞治監督の恭子夫人が11日午後9時21分、東京都内の病院で胃がんのため亡くなった。57歳だった。通夜は13日、葬儀・告別式は14日に、目黒区碑文谷1−22−22、円融寺で、喪主は夫貞治氏。

 王監督は容体が急変したことを出先で聞いたという。恭子夫人は3年前に体調を崩して手術を受け、療養を続けていた。「8月に入院して頑張っていたんだけど…。夕方に(病院に)来て話をした。息を引き取る前には会えたよ。よく頑張った。57歳の若さだから、もっと長生きしてほしかったけど、病気には勝てなかった」と気丈に語った。

 64年にシーズン55本塁打の日本記録をマークして、1本足打法が花開き、本塁打量産態勢に入った66年、当時26歳だった王選手と結婚。3女をもうけた。実働22年、本塁打王15度、3冠王2度、世界記録の通算868本の達成を陰で支えたのが恭子夫人だった。

 2人の初めての出会いは、王監督が早実高から入団した59年、多摩川グラウンド。毎日のように声援に来ていた2人の女子高生のうち、ほとんど何も言わず、黙っていた女の子が恭子さんだった。「野球に興味がないのに付き合わされて大変だな、と思った」。

 寡黙な女の子と結ばれたことに、「世の中は面白いね」「オレは外で戦っている。家庭のことは一切関知しない」と、結婚後は亭主関白を貫いた。娘が病気をしたとき、恭子夫人は一切知らせず、外で戦っている夫に気を遣ったという。

 95年にダイエー監督に就任した王監督は福岡に単身赴任。パ・リーグ制覇を果たした2000年のハワイ優勝旅行には、闘病中の恭子夫人を同伴した。「長い間、本当に苦労をかけてきたからね」。

 病院に駆けつけた長嶋茂雄前巨人監督は、「突然のことだからね」と絶句。「以前から、お体の具合がよくないと聞いておりました。残念です。ここしばらくは体調がよくないとうかがっていたので、人を介して電話などしてご容体を気にしていたのですが…。どちらかというと2、3歩後ろに下がって、王監督を立てる控えめな印象が残っています」と、しんみりと話していた。

[夕刊フジ2001年12月12日]