13日に間質性肺炎で急逝したダイエー・藤井将雄投手(享年31歳)の告別式が、佐賀県唐津市内の斎場でしめやかに営まれ、王貞治監督(60)以下、選手がユニホーム姿で参列した。明るい人柄と闘志あふれる投球で慕われた故人との別れに、選手代表で悼辞を読み上げた若田部らナインは号泣。亡くなる数日前にメッセージを託した同投手の遺志を受け継ぎ、シリーズ連覇を霊前に誓った。
晴れ渡った秋空に、出棺のサイレンが響く。ユニホーム姿のV2戦士に抱えられて、霊柩車内に運び込まれた藤井との最後の別れ。若田部が、小久保が、松中が…、人目もはばからず泣いた。参列者の間からも嗚咽がもれた。
「今、ここにこうしていることが信じられません。いつも、明るく元気で、強気、気合という言葉でチームを引っ張ってくれた。でも、本当はすごく寂しがり屋で、ボクにはそんな姿をみせてくれた…」
選手を代表して追悼の辞を読み上げた若田部は号泣。親友だった。病名を知っていた。辛かった1年間。堪えてきたものが、一気に無念の涙となってあふれ出した。前日は黒潮リーグに登板。直行便が満席だったため、大阪経由で帰福。通夜に到着したのは、午後11時半過ぎ。この日もほとんど眠れなかった。
「残された僕らは野球を通して、皆を勇気づけた藤井さんの魂を守っていきます。日本シリーズではチャンスの時もピンチの時も僕らを見守ってください。これからもずっと一緒だからサヨナラは言いません」
シリーズ連覇を霊前に誓った。痛み止めの薬を一切断り、想像を絶する痛みに耐えながら壮絶な治療に挑んだ藤井。その不屈の精神を受け継いで、『打倒巨人』に立ち向かう。それが、喪章を左そでにつけた鷹ナイン全員の思いだ。
藤井の人柄を示すように、告別式には王監督以下選手、球団関係者、友人、一般ファンら約500人が参列。最後の別れを惜しんだ。葬儀では病床でV2を知った藤井が小久保や若田部に贈った手紙、亡くなる数日前に、妹・マリ子(29)さんに口頭で託した最後のメッセージも公開された。
「僕が過去から現在まで出会った全ての人に感謝します(中略)。素晴らしい野球人生だったと胸を張れる。生きる希望を与えてくれた皆様、ありがとう」
病名は知らされていなかった藤井だが、死を予感したかのような文面。非情な運命を恨むでもなく、ただひたすらに感謝の気持ちだけを繰り返し、精いっぱい命を燃やした喜びが綴られていた。
生きていれば、くしくもこの日が32回目の誕生日。志半ばで天に召された藤井の魂は、日本シリーズ開幕まであと5日に迫った鷹ナインの心に、しっかりと刻み込まれた。
★藤井投手のメッセージ全文★
皆様へ
今の自分があるのは、過去から現在において出会った全ての人のおかげだと思います。その中の誰1人が欠けても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。だから、すべての人に感謝しています。
プロ野球選手は、まわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。でも、ボクは逆です。たくさんの人々から夢や希望、エネルギーをもらってきました。そのことがうれしかったんです。
6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。その願いも去年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。そして、今年はチーム全員で頑張ったつかんだV2。すばらしい野球人生だったと胸を張れます。
この病気には、自分自身、すごく勉強させてもらいました。孤独や優しさ、思いやり、不安。人間の本当の感情に触れることができました。今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。すべては、この病気が教えてくれたことです。
この1年間、ゆっくりと休ませてもらいました。あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ、球団の方々、王監督、チームメートのみんな、感謝の気持ちは忘れません。そして、生きる希望を与えて下さったファンの皆様、ありがとうございました。これからもダイエーホークスを応援してください。
藤井 将雄
[サンケイスポーツ2000年10月17日]