尾崎 咢堂 (年譜)
1857(安政5年)神奈川県に生まれる
1872父の転勤により一家は伊勢市に住む
1873宮崎文庫英学校に学ぶ
1877「民間雑誌」を復刊、「協議社」をおこし、討論会や演説会を行う
1879福沢諭吉の推薦で、新潟新聞主筆となる
1881大隈重信に招かれ、統計院権少書記官に任ぜられる
1882報知新聞に入社する 大隈重信を総理にいただき、改進党を組織する
1885東京府会議員となる 朝野新聞に転じる
1887後藤象二郎を主盟に、大同団結の運動を起こす保安条例発布され東京退去を命ぜられる
1888アメリカ、イギリスへ亡命の旅に出る
1889憲法発布の大赦令により退去命令とかれる
1890日本最初の国会総選挙に、三重県から立候補して当選する(33才)
1894政府の軟弱外交を痛撃し、各地で対外演説会をひらく(日清戦争 三国干渉)
1896大隈重信を首領とし、野党を糾合、進歩党を組織する
1898憲政党内閣の成立により、文部大臣として入閣する
1900伊藤博文の立憲政友会組織にあたり創立委員として尽力し入党する
1903東京市長に就任する(46才)
1904外債を募集し、東京区改正を完成、上水道拡張下水工事、路面改良、街路樹など、市政を改善する
1910国会議員として、ベルギーの会議出席する
1911東京の市電を作る
1912サクラの苗木3千本を東京市からワシントン市におくる東京市長辞職桂内閣攻撃のめ憲政擁護運動を起こし、犬養毅とともに「憲政二柱の神」といわれる
1914大隈内閣の成立により、司法大臣に就任する
1917寺内内閣の成立に対し、ふたたび憲政擁護運動の陣頭に立ち、明治座の対閥演説会で暴漢に襲われる
1919世界大戦後の欧米視察をし、平和主義による世界改造の理想をいだく
1920普通選挙運動を展開し陣頭に立つ
1931カーネギー財団の招きに応じ、四度目の外遊をする
1937辞表をふところにし、痛烈な軍部攻撃を行う
1945第二次対戦でわが国の降伏により、「休戦と新世界建設の構想」と「平和的新世界建設の要件」の論文を起草する
1946衆議院議員の立候補を辞退したが、咢堂会の推薦候補として最高点で当選する
1950前駐日大使グルーやキャッスルの招きに応じ、空路渡米する
1952衆議院から憲政功労者として表彰を受ける病床から立候補して、衆議院に当選する(95才)
1953衆議院名誉議員に推薦される東京都名誉都民第一号として顕彰される
1954逗子の風雲閣で永眠する 97才衆議院葬 両陛下勅使を差し遣わす北鎌倉円覚寺黄梅院に埋骨さる