「ハコダテ☆ものづくりフォーラム」設計競技2014

主題 Centennial Inquiry

今回で3回目の開催となりました「ハコダテ☆ものづくりフォーラム」設計競技は、函館市船見町に現存する「旧ロシア領事館」の建物、及び敷地を含めた空間の再生をテーマとし、施設の「利活用に向けた提案」を募集いたします。

安政 2 年(1855 年)の箱館開港後、ロシアと結ばれた和親条約を受け、日本における最初の「ロシア領事館」が、「箱館」に置かれることとなりました。幾度かの移転を経た後、明治 39 年(1906 年)現在の所在地である、函館港を見下ろす「幸坂」の頂に、今日の「意匠」のままの建物が建設されました。 着工から数年に渡る工期の間には「日露戦争」による中断や、完成の翌年に発生した「函館大火」による消失、「ロシア革命」など数奇な歴史を辿り、ソビエト連邦時代の昭和 19 年(1944 年)に至るまでの38 年間、日露の外交を担う領事館として使用されてまいりました。 同年、領事館が閉鎖された後の昭和 27 年(1952 年)、土地と建物は、日本国外務省の所管となります。 12 年後の昭和 39 年(1964 年)「旧ロシア領事館」の土地と建物は、函館市が購入することとなり、翌年より平成 8 年(1996 年)までの約 30 年間「函館市立道南青年の家」として利用されてまいりました。

1902 年より始められた設計者の選考には、当時、既に日本で建築家として活躍していたイギリス人の「ジョサイア・コンドル」、同じくドイツ人の「リヒャルト・ゼール」、ロシア本国の「ヤジコフ陸軍大佐」の3 者が各々設計案を寄せ、検討が重ねられた結果、最も素晴らしい計画としてゼール案が採用されました。 ゼールの設計案は、ハーフティンバーと称される北ヨーロッパの伝統的な様式を踏襲しながら、ユーゲントシュティルの作風を感じさせる初期アールヌーボーのデザインを取り入れた最先端の建築でした。 完成した翌年の函館大火によって、オリジナルの建物は、残念ながら消失してしまいましたが、日本人棟梁「佐藤誠」の手により、1年と言う短期間の間に、ほぼ忠実に再建され、竣工した明治 41 年(1908年)より今日に至るまでの約 100 年間、同敷地より函館の歴史を見守ってまいりました。 木骨レンガ構造の堅牢な外観に、アールデコの繊細な装飾美を兼ね備え、なおかつ日本人の職人の手による唐破風の意匠が折衷したこの建物は、まさに世界に誇ることのできる稀代の名建築と言えるのではな いでしょうか。

明治から昭和期への激動とも言える変遷の歴史を経て現在に至るこの歴史的建築遺産も、平成 8 年、「函館市立道南青年の家」としての役目を終えてからは、見学の目的で一般に開放される以外に使用されることはなく、市の管理のもと17年間、ほぼ閉鎖されたままの状態で今日を迎えております。 平成13年、市の計画のもと外壁の補修工事が行われましたが、その後も永きに渡り続いたブランクが「旧ロシア領事館」に与えて来たダメージは、非常に深刻なものと言えます。 この建物に限らず、市内に現存する伝統的建築物が一様に抱える課題として、建物の老朽化を受けた補修問題が挙げられます。理想的で有効な維持管理の方法と、それを実現させる活用策が、官民を問わず議論されてまいりましたが、残念ながら抜本的で現実的な解決策は、いまだ見いだせずにいるのが現状です。

以上の経緯を踏まえ、今回の設計競技の主題を「旧ロシア領事館の維持保全を目的とした有効な利活用計画の提案」とし、広く世界にそのアイディアを募集することといたしました。 日本とロシアの友好・親善の舞台として誕生し、後に両国が辿った数奇な運命を見守り続けて来た「旧ロシア領事館」は、歴史の代弁者として、この函館の地に建つ貴重な碑と言えるのではないでしょうか。 函館の歴史的景観を代表する重要な遺産とも言える「旧ロシア領事館」を、これから先、百年の後までも残して行くためには「どのような解決の方法が相応しいのか?」。 この問いに「建築の手法」を用いてお答えください。 100年の時を超えて今、再び世界の「ものづくり」から寄せられる「回答」を、お待ちしております。