「ま」の巻


あえいおう。
うるうるう。
おろおろお。

もういくつ寝るとお正月。

それぞれの御霊は
改心なされ、

色々な世界へと
それぞれ移り変わり

うれしうれし
となり
変わられる時となった。

三千世界すべての
移り変わり。

うれしうれしの世の姿。

みなみな
うれしたのし
すべてに喜び唄う
地となりて

痛みも
苦しみも
迷いもない、

まっさらな
透けて見える
誠の民の世と
なりゆくぞ。

それぞれ
御魂相応の
世界へと移る
とは、

例えではなく
それぞれの
心のまま
であるのぞ。

日々の思いの
因果であるぞ。

何をするにも、
まず
思いがはじめ
であろうがな。

すべて

思いが映り、

言となり、

動きを為す。

思い通りとなるのじゃ。

何を思うて生きるか、
この先の己を
決めるのぞ。

誰彼のせい
でなく、
己の思いは、

何千年もの
因果の現れ
となって出ておる。

何もかもが
己のまま
であるのじゃから、

何一つ
不足申すでないぞ。

顔も体も
みなみな
その方相応に
変わるから、

末代動かぬ
誠で移すから

今のうちに
いくらでも
改心なさり、

みなの為に
生きて下されよ。

金も要らぬぞ。

要るのは
今しばらくの狂言じゃ。
捨てて見なされ。

みなの為に使いなされ。

生きること感謝致し、
うれしうれしと
仲よう
みなと暮らされよ。

金より
大事なものあるのぞ。

命失うても
縋り付いておるもの
多いのう。

己の未来が
決まるのじゃから、

いつまでも金に
しがみ付いて
くださるなよ。

金は要らぬ世
となるのじゃから、
心暮らせんこととなるぞ。
自ずと悪となるぞ。

霊も神も居らぬ

と申す人民、
まだまだ
たくさん居るが、

今に淋しくなりて
生きて居れん様に
なってくるから、

今のうちに
縋りなされ。

縋るとは、
生きていることに
感謝居たされ
と申すことぞ。

みなみなに感謝なされ。

己の神は、足元に居るぞ。

いつでも
そなたを見て居るぞ。

上ばかり見ておっては、
誠判らんぞ。

そなた、
この方千切りて
作って居ること
まだ、判らんか。

いつでも
話しかけてくだされよ。

そなた
話しかければ、
そなたの
守護霊殿に申して、

いつでも
改心させてやるぞ。

改心すれば、
その日その時から
うれしうれし

あら何とした事か

と愉しくなりて参るぞ。

この方、
無理に変えよう
として居るのでは
ないのじゃぞ。

そなたが変わるのを、
ただまだかまだかと
待って居るのみじゃ。

可哀相じゃから
人民に
話しかけ
始めて居るのじゃ。

今までも
神人使って
何百年も
言って参りたが

まだまだ
言葉たらんようじゃから、

人民欲張りじゃから
事細かに
判り易く申すのぞ。

神人、神の言
通訳致す役割を申すぞ。

霊人殿
幾人もの方々通じて
現れて居るから
我出すと言歪むぞ。

歪むと
苦となって
現れるから、

うれしうれし
たのしたのし

感謝致し
くだされよ。

何も考えず
入れ物となりて下されよ。

それで事は
巧く行くように
なりて居るのじゃから
何も心配せんでよいぞ。

これから
生きてゆく上で
大切なことじゃ。

みなと仲よう
御暮らし下され。

何事も
愉しんで
やりなされ。

あっぱれ
みなみな
喜び
であるのじゃから、

人民の善悪で
決めてくださるなよ。

みんな
判っておらん事の方が
多いのであるから、
素直に致すが一等ぞ。

いつでもいいから、
気が済みたら
お変わり下されよ。

神、待ち遠しいのう。

神には、
天罰は無いのじゃぞ。

地震も雨風も
みなみな
必要であるが故に
あるのじゃ。

天罰無いのが、
誠の神の道。

神がかりと見えぬ
神がかり、誠ぞ。

神がかりとは、
そなたに判らぬように
そなたを導いておること
を申して居るぞ。

早合点なされるなよ。

奇跡無いのが誠の奇跡。

あらゆる方々、
奇跡見せて居るのは

みなみな
御役目であるからぞ。

次元変わればどうなるか、
新たな次元
見せてくださって
おるのじゃ。

それぞれの御役目、
みなみな大切じゃが、
執着するでないぞ。

執着とは、
ひとつの見方だけで、
事をくくるでないぞ
ということじゃ。

それぞれの道
あるなれど、
それぞれみなみな
違うのじゃから、

言葉も世界も違うから

ひとつにくるるは、
苦しみを生むだけ
であるから、

それぞれ
違いを愉しみなさる心、
誠の神心。
大和の心であるから、

早よう
元へ戻って来て下され。

元と申すは、
元の元の元の
大神へと向かって
歩いてくだされ
と言う意味じゃぞ。

神々様もみなみな
大神の子であるぞ。

大神いよいよ
御現われとなりて

まぁ何としたことか、

神々様さえ知らぬ光
出るから、

何処までも
何処までも
限りなく

弥栄弥栄で
ありますこと

どれほど
うれしいか
お判りになりますぞ。

はじまりは
限りないのじゃ。

終りも
限りないのじゃ。

喜びは、与えよ。
限りなく
そなたに与えるぞ。

与えられたら、
益々みなに
与えてくだされ。
益々喜びとなりますぞ。

限りなく
何処までも
何処までも、
うれしうれし

満ち満ちて

神々と共に
御暮らしなされ。

神々殿も
大神と共に
何処までも
限りないのじゃから、

宇宙は
限りない生命体(いのち)
でありますぞ。

命とは、
限りないのが
誠のお姿じゃ。

一二三四五六七八九十
から、

いよいよ、

○一二三四五六七八九十

となったぞ。

ウシトラコンジン
うれしうれしと唄歌う。

これみな
愛に生きるもの
への宝授けじゃ。

これが、
うしとらの
誠の仕組みであるぞ。

食べ物気付けよ。

騙した神様からは
騙した因果が
御現れとなりますぞ。

それぞれ、
食うもの出所
ようく見極めなされ。

祭るとは、
喜びに溶けいることぞ。

愛するとは、
他を喜ばせ頂くことぞ。
己にすることぞ。

祭り合わせ結構結構。

霊は、
そのものの想念を
頂いて居るのじゃから、

喜び頂けよ。
喜び己となされよ。

神世へ生きる
はじめの行であるぞ。


二〇〇七年二月三日
艮金神