新説西遊記

 極夜の日々に決別を







「悟空・・・・・少し休んでください」
「ん」
 紅孩児の攻撃を受けて、傷を負った悟浄、八戒、玉龍の看病を続けていた悟空は、水の張った桶に手ぬぐいを放り込んで天井を仰いだ。
 目の前の二つの寝台では、悟浄と八戒が死んだように眠っている。
 彼らの額の上には氷嚢が乗り、傷の為の発熱から額に汗が浮かんでいる。深くはないが、完治し、旅を再開するのはまだまだ日が掛るだろう。

 ここで無理をしても仕方がない。
 そう、判ってはいるつもりだが、珍しく悟空は気が急いていた。

 事態が事態だ、と言うのもある。

「悟空」
 天井を仰いだまま目蓋を落とし、絶望に染まった様な笑みを向ける旧友を思い出していた悟空は、そっと触れた柔らかな掌に、目を開けた。
「・・・・・・・・・・貴方も熱が有るんじゃないですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ひんやりとした玄奘の指先が、悟空の前髪を払い、額に触れる。疲れ切った様子の彼に、彼女は眉を寄せた。
「熱いです」
「俺の体調不良なんぞ、いつもの事だろうが」
 億劫そうに返せば、「なら尚の事です」と更に玄奘が眉を吊り上げる。
「彼らの事は私が看ますから、貴方は休んでください」
 きっぱりと告げる玄奘の、その透明な眼差しには決意の色がありありと浮かんでいる。

 腹のそこに疲れが溜まっているし、身体は普段の倍以上だるい。記憶が解放された所為で、頭痛は大分収まっているが、熱を持っているのは判った。

(知恵熱・・・・・ってか?)
 ぼうっと玄奘の顔を見上げていれば、普段の様な怜悧な色味が無い、呆けたような悟空の眼差しに、つり上がっていた彼女の眉はみるみるうちに落ちて行き、心配そうに彼の顔を覗きこむ。

「どうみても大丈夫そうに見えません」
「・・・・・あー・・・・・だな」
 のろのろと椅子から立ち上がり、やや背中を丸めて悟空が歩き出す。ぞくりと背筋を寒気が走るが、彼はそれに気付かない振りをした。
「んじゃ、あと任せた」
「あ・・・・・はい」
 普段よりもやる気のない足取りで部屋を出ていく悟空を、玄奘は息を詰めて見送る。大きな背中が戸口から廊下に消えるのを見て、それから彼女は深い息を吐いた。





 部屋には寝台が二つずつ。悟浄と八戒、玉龍と悟空、そして玄奘で三つ、部屋をとってある。悟浄と八戒が、ぼんやりと意識を取り戻した時に、悟空が煎じておいた薬湯を飲ませて、更に寝かせる。八戒がくれた、なにやら意味不明な称賛に苦笑し、動こうとする悟浄を押しとどめて、彼女は隣に玉龍の部屋へと向かう。
 傷がなかなか塞がらない彼は、しかし他の二名と違って身体の作りから異なっている。
 包帯を変え、傷薬を塗り替えながら玄奘はほっとしたように溜息を洩らした。
「大分、良くなっていますケド、まだ寝ていなくては駄目ですよ」
 上着に袖を通す玉龍が、「僕は大丈夫」と掠れた声で告げるのに釘をさし、彼女は隣の寝台で眠っている悟空に近づいた。
「悟空・・・・・うなされてたよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 しぶしぶ寝台に横になる玉龍が、ぽつりと告げるのに、玄奘は唇を噛んだ。こちらに背を向けて眠る悟空の顔色は良くない。
 もともと絶好調の時など知らないから、彼の顔色が悪いのかいいのか判断に困るが、今は度を越して悪かった。
「色々・・・・・ありましたから」
 告げる玄奘に、玉龍は何も言わない。ただその綺麗な翡翠色の瞳を陰らせてぎゅっと手を握りしめた。
「悟空にも、薬湯が必要ですね」
 疲労回復と滋養強壮の何かが有った筈だ。
 彼の荷を引き寄せようと寝台の下辺りを覗きこんだ時、不意に軋んだ音が立った。
「人の荷物漁りとは良い趣味だな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 やや寝ぼけたようなその台詞に、彼の荷袋を引きずり出した玄奘がこちらを見詰める薄紅の眼差しに眉を吊り上げた。
「非常事態に何を言ってるんですか」
「貸せ。自分の事くらい自分で面倒見るよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 億劫そうに身体を起こし、手を伸ばす悟空から、玄奘は一歩引いた。しっかりと荷袋を抱え込む。
「・・・・・・・・・・・・・・・をい」
 呆れて突っ込む悟空から、「私が用意します」と玄奘がきっぱりと告げた。
「何がだよ・・・・・つか、良いから寄こせ」
「嫌です」
「それ、俺の荷物なんですけど」
 半眼で告げる悟空は、口調こそ軽いが、声が重たく仕草も気だるげだ。首の辺りをさすりながら、斜めに見上げられ、玄奘は更に荷物を抱き込んだ。
「何のつもりだ?」
 ちらりと、苛立ちが混じる。やや鋭くなったその眼差しに、玄奘は身を竦ませるがそれでも袋から手を離さなかった。
「玄奘」
「看病くらいさせてください」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 やや必死さの籠った彼女の台詞に、一寸だけ悟空が目を見張った。彼女はすとん、と傍に有った椅子に腰を下ろすと、じっと悟空を見詰める。
「私では・・・・・貴方のお役には立てませんか?」
 微かに潤んでいる眼差しに、悟空は言葉に詰まる。
(どういう意味だ?)
 記憶の封印が解かれ、それでも植えつけられた斉天大聖のそれと閻魔王の記憶がぶつかって、熱が出ている。
 無意識のうちに記憶の整理を続ける所為で、上がる熱に瞳を潤ませて、それでも悟空は首を捻った。

 上手い具合に思考が働かないのは、仕方ない。
 なので、彼は率直に質問してみる事にした。

「役にたたねぇって、どういう意味だ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 言葉を選んでる余裕も、彼女の気持ちを慮ってやる余裕も無い。事務的な口調での質問には、意図せず冷たさが混じってしまった。
 玄奘が奥歯を噛みしめる。
「悟浄や八戒や玉龍が怪我をしたのは、私を護ろうとしてです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「貴方が疲弊しているのも、その所為」
「俺は別に」
「ただ護られるだけなのは、嫌なのです」

 ふるふると首を振って、やや強めの口調で悟空を制し、玄奘は窓から差し込む西日に透ける眼差しを、ひたと悟空に注いだ。
 真剣なそれをしばらく眺めた後、悟空は重く溜息を吐いた。
「なあ、玄奘・・・・・前にも言ったと思うが」
「それでも嫌な物は嫌です」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 自分達は、天竺に向かう玄奘を護るためにここに居る。
 だから、自分たちの大将である彼女を、無事に天竺に連れて行くためには、誰が傷つこうとも構わない。
 彼女さえ無事なら任務を果たした事になる。

 そう、玄奘に説いたのは、他でもない悟空だった。

 お前の役割は、死なない事だと。
 その為には、誰を捨てても行け。

 その覚悟を持てと、旅も終りに近づいたころ、悟空は彼女に諭していた。

 青ざめながら、頷いた彼女を彼は苦みと共に思い出す。そして、それでも嫌だと告げる女に、更に苦笑した。
 呆れた様な悟空の笑みと溜息に、判っていない、と言われた様で、玄奘は唇を噛んだ。それでも、譲れない。
「確かに・・・・・悟空が言う事はいつだって正しいです。でも・・・・・失いたくないと心から願うのは愚かでしょうか」
 ぎゅっと、彼の荷袋を抱きしめて、振り絞るように告げる玄奘を、悟空はひたと見詰めた。

 ふと、彼女の背後越しに、玉龍と目が合う。

 彼は、金蝉子の頃の彼女を知っている。だから、少なからず驚いたのだろう。微かに緑の瞳が見開かれていた。

「誰ひとり欠けることなく、全員無事で居ることを・・・・・望むのは甘いですか?」
「甘いな」
 即答すれば、歪んだ眼差しが悟空を映す。今にも泣き出しそうなのに、でもその瞳は決意を孕んで強かった。
「玉龍」
「・・・・・・・・・・何?」
 そんな玄奘にふっと笑みを洩らし、悟空は隣の寝台に声を掛けた。
「他言無用だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・判った」
「え?」

 考えなくちゃならない事で、彼の頭脳は熱を上げている。身体はだるいが、だてに体力値の最低記録を更新し続けたわけじゃない。重い身体を引きずるようにして、立ちあがった悟空は荷袋を抱え込む彼女を抱き上げた。

「ちょ!?」
 そのまま自分の部屋を出て、玄奘の部屋へと向かう。器用に片手で扉を開けて、彼女を寝台に落とすと、「無駄に疲れた・・・・・」と零して悟空がその上に倒れ込んだ。
「!?」
「寒い・・・・・から詰めろ」
「ちょっと、悟空!?」
「あー・・・・・ほら、毛布よこせ」
「!?」
 すっぽりと抱き込まれて、玄奘の頬が熱くなる。なんとかその腕を振りほどこうとするが、例え体力値が落ちていても、男だ。力の強さでは叶わない。
「大人しくしろって・・・・・」
「・・・・・・・・・・なんなんですか、一体」
 やや強張っている彼女の身体を抱きしめる。
「誰ひとり欠けることなく、全員無事で居て欲しい・・・・・んだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「なら、こうしてろ」
「あのですね、悟空。ありがたい事に、言ってる事が高尚すぎて意味が判りません」
 精一杯皮肉を込めて返せば、男が小さく笑った。
「お前みたいな甘い事、さらっと言える奴、危なっかしくて放ってなんか置けねぇだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「人を疑う事をしないし、騙されやすそうだし、隙だらけだし、ほんと直球勝負しか出来ないよな」
 苦笑を含んだ物言いに、玄奘はひきりとこめかみを引きつらせた。物言いたげな顔で見上げてくる女に、男は熱っぽい眼差しを落とす。
「んな可愛い女・・・・・ほっとけねぇだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ちう、と唇をついばまれ、ぎょっとする。
「もちっと警戒しろ」
 ばーか。

「ちょ」
 そのままちうちうと口付けを繰り返され、やがてそれは深くなる。

 頭は熱でくらくらするし、身体は酷い倦怠感に見舞われている。だから、これ以上何かをする気力等とてもじゃないが持て無いが。


 彼女は、金蝉子が持ち得なかった物を、持っている。
 だから、欲しくて欲しくて堪らなくなる。


「お前護って死ぬのも・・・・・男としてはカッコいいかと思ったが、止めた」
 不意に泣きそうな顔をする玄奘に、悟空はにたりと笑って見せた。
「そういうのは、五百年前だけで十分だ」
「悟空・・・・・」
「俺も望むよ。お前の甘すぎる希望を、な」

 だから、お前は今、ここに居ろ。
 俺の為だけに。

「・・・・・・・・・・・・・・・私は皆の為になりたいんですけど?」
「固い事気にすんな」

 金蝉子は、己の理想の為ならば、何をなぎ倒しても進めるだけの冷静さと冷徹さを持っていた。
 付け入る隙も無かった。

 彼女の意志は強固で、その為なら、自らが望む事をも諦めていた。

 だが玄奘は違う。

 あれもこれも、全部大事だと、真正面から告げてくる。

 彼女は決して諦めない。
 何もかも全て。

 だから愚かで可愛らしく、眼が放せないほど危なっかしくて、愛おしいのだ。

「お前を護って、全員無事で・・・・・んで、楊漸ぶん殴って・・・・・それで、一緒に帰ろうぜ」
 低く囁かれた、悟空の言葉。

 多分、彼の一生で言う事などないと思った台詞。それが、自然と口を突いて出て、悟空本人が驚く。
 だが、玄奘は違ったようだ。

「当たり前です」
 きっぱりと告げる彼女に、悟空は呆れたように・・・・・でもどこか嬉しそうに笑って目を閉じた。

「んじゃ、そのためにも体力回復に努めますか・・・・・」
「って、その前に薬湯飲んでください!」
「んー・・・・・」
「悟空!」

 徐々に熱が下がっていくのを、悟空は、玄奘の焦った様な声に感じる。


 過去に混乱するのは、いい加減終いだ、と。




















 対楊漸戦前半後妄想(笑)
 怪我の程度がどれくらいなのか判りませんが、多分回復まで結構時間掛ったよなぁ、という所から〜




(2011/03/15)

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